バジーノイズ
『バジーノイズ』(むつき潤/小学館)

 漫画で音を描くのは、難しいことだ。その音の特徴が読者に伝わりにくいからである。どのように音が広がり、どれほどの人の耳に届いているか、聞く人の感情にどのような変化をもたらすか。これらの問いは音楽に関する作品を描く漫画家たちの永遠のテーマだろう。

『バジーノイズ』(むつき潤/小学館)の主人公である清澄は、マンションの管理人をしている。それ以外はパソコンを使って音楽を奏でるだけの日々だ。彼の生み出す音は、シャボン玉のような形で描かれて、彼の必要最低限の生活を満たしていく。ただただ好きだから、音楽を奏でる。清澄からは有名になりたい、音楽で成功したいといった、夢や欲望は感じられない。ところが突然、彼のシンプルな生活は終わりを告げる。管理人室にいる清澄にいつもあいさつをする、潮という女性によって。

 潮は清澄とは正反対の人物だ。音楽を聴くのが大好きでSNSで承認欲求を満たすことに快感をおぼえている。彼女は、好きなものがひとつあればいいと話す清澄に、「わかちあう人がおってもいいのに」と明るく言い放ち、その言葉によって彼の頭にもやがかかる。この清澄の頭から離れないもやもやも、鉛筆をぐるぐると回転させたような形で描かれる。清澄の人生に潮が登場したことで、ひとりでいい、好きなものがひとつあればいいと思っていた清澄の心がゆっくりと変化をするのだ。

 ふたりが出会ったのが神戸の舞子という、都会から近いのに静かな街であることにも注目したい。清澄と潮が話すのは関西弁で、舞子からは明石海峡大橋が見える。そんな舞子で、清澄が奏でる音楽を潮はSNSで発信する。潮は清澄のパソコンを掲げ、清澄の作った音を表す心地よさそうな形のシャボン玉が、漫画のページいっぱいに広がっていく。それは潮がたくさんの人に清澄の音楽を知ってほしいと考えていることを、読者に示している場面でもある。

 承認欲求、自己顕示欲、SNSで同年代や自分より年下なのに成功した「だれか」をうらやむこと。潮は心のうちにそれらを抱えている若い女性だが、明るく堂々としている。潮を見ると私は、清澄が潮とは異なる、欲を手放した生活をすることで、心が傷つかないように自衛しているのではないかと思えてならない。潮は真っすぐな性格でよく笑いよく泣く。自分の欲求も感情も隠さずに表に出す。彼女の存在は、そういったものが自分の心から表出することを恐れる清澄の臆病さすらあぶり出していくのだ。潮は、清澄が神戸の三宮という兵庫県の中心街でストリートライブをすることを半ば強制的に決めて、心の中でこれが最後と思いながら、ストリートライブを承諾した清澄に「ありがとうな。うちのワガママに付き合ってくれて」と素直に口にする。彼がパソコンの音楽とギターで音楽を奏でるとシャボン玉のような音がたくさん生まれて、その心地よさに街行く人々は魅せられて撮影しようとスマホを掲げる。清澄にとっての音楽活動は、これで終わりにはならなかった。

「もしこのシャボン玉のような音楽を、実際に聴けたら、どのように響くのだろう」

 ふとそう思った時、あるニュースが飛び込んできた。2024年の初夏、本作が実写映画になるというのだ。清澄はJO1の川西拓実、潮は桜田ひよりが演じる。2000年前後に生まれた川西と桜田は、物心ついた時からSNSやインターネットが身近にあった世代でもあり、現代社会における若者たちの心情をリアルに表現できるだろう。清澄の音楽が生み出すシャボン玉が実写化でどのような音になるのか気になる。原作漫画は完結していて全5巻、決して長くない。映画になる前に、ぜひ一度読んでみてほしい。

文=若林理央

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JO1川西拓実×桜田ひよりで映画化。趣味で音楽を奏でるだけの男と、承認欲求を追い求める女と音楽のリアル