10人兄弟、12人家族のなかで育ったお笑いコンビ・LLRの伊藤智博。にぎやかな暮らしを送ってきた彼が、自身の半生を振り返りながら大家族ならではのエピソードを綴る連載っ!


両親の実家で過ごした大家族の夏休み

夏ですね! とんでもない猛暑が続いてますが、みなさんどんな夏休みをお過ごしでしょうか? 僕は先日、奥さんの実家の名古屋で奥さんの家族と過ごしたり、奥さんと一緒に“山中湖交流プラザきらら シアターひびき”で行われた、私立恵比寿中学さんの野外ライブ『エビ中 夏のファミリー遠足 略してファミえん in 山中湖』に行ってエビ中のパフォーマンスと水をたくさん浴びたりと、とても楽しい時間を過ごさせてもらいました!

奥さんも4人姉妹で、プチ大家族です
今年のファミえんも最高でした!

子どもの頃の夏休みといえば、やっぱり親の実家、“田舎”に行くことですよね。これに関しては、大家族も例外ではありません。両親とも三重県四日市市が実家なので、夏休みになると四日市に長期間遊びに行ってました。我が家の夏休みでは、子どもたちは父か母のどちらかの実家に、二手に分かれて行くことになります。僕たちは父方の実家を「おばあちゃんち」と呼び、母方の実家を「マミーんち」と呼んでいました。

マミー」に関してはまた今度ゆっくり話したいと思いますが、母方のおばあちゃんのことを我が家では「マミー」と呼んでました。ちなみにおじいちゃんの呼び方は、文字にすると「デヂー」です。たぶん「ダディ」が子どもの発音で「デヂー」になったんだと思います。

さすがにどちらかの家で一気に子どもたちを預かってもらうのは申し訳ないということで、僕たちはこの「おばあちゃんち」もしくは「マミーんち」、どちらかの家で夏休みを過ごすようになったのだと思います。そして、どちらの家で過ごすかによって子どもたちの夏休みはだいぶ変わってきます。

“おばあちゃんち”と“マミーんち”での対照的な生活

マミーんちは、母の姉にあたる伯母やその娘のいとこのお姉ちゃんたちがみんな元気で、ゲームもあるし、漫画も読み放題で、なにより小さい頃の僕を溺愛してくれていた伯母が、会うたびに欲しかったおもちゃやお小遣いをくれて、本当に行くのが楽しみでした。

余談になりますが、伯母は小さい頃の僕のことが可愛すぎて自分も男の子が欲しくなったそうで、僕が5歳のときに実際に男の子を産みました(冗談半分で聞いた話です)。いとこのお姉ちゃんふたりはその頃すでに高校生とかだったと思うんですけど、そこまでの影響力を持った僕の可愛さ、すごいですよね。

関係ない話をしてしまいましたが、マミーんちはとにかく楽しい夏が過ごせるイメージでした。

そして、父方の実家のおばあちゃんちです。おばあちゃんちの敷地はとても広くて、庭に畑とかもあって、家自体もとても立派なんですけど、古い建物なので全体的に薄暗いし、階段も急だし、トイレには見たこともない虫が出るし、とても怖いイメージでした。

そして、おばあちゃんはとても厳しい人でした。以前、我が家では父親が作った宿題を終わらせてからじゃないと外に遊びに行けないという話をしましたが(第3回:トイレが空かない朝、玄関でさまよう靴、父の自作宿題……伊藤家の1日あるある)、その父の厳しさはこのおばあちゃんの教育の賜物です。

おばあちゃんちでの生活は、朝は5時くらいに起きて(大音量のラジオで起きるんですが、そのラジオもとても怖く感じました)、電車を乗り継いで教会に行くところから始まり(どちらの家も敬虔なクリスチャンなんです)、午前中はほぼ机に向かって勉強をさせられてました。そしてテレビはNHKしか見られず、漫画などは一切なく、娯楽と呼べるものも一切ありませんでした(たぶん僕のなかでそんなイメージが強すぎるだけで、何かしらはあったと思います)。兄たちから聞いた話だと、僕らの頃はまだぬるかったとのことなんですけど、あれより厳しいなんて想像しただけでも恐ろしいです。

怒られてばかりだった厳しいおばあちゃんとの思い出

僕が個人的に1番辛かったのは、僕の可愛さが通用しなかったことです。自分で言うのもなんですが、子どもの頃の僕は本当に可愛らしく、そして行儀も良かったので、みんなに可愛がられてました。なにかお願いをしたら聞いてもらえたし、大人しくしてれば「偉いねー」と勝手に褒められていたんです。子どもながらにそのことを自覚していた僕は、どこにいっても甘やかしてもらえるという錯覚に陥っていたのですが、おばあちゃんにはその甘えは一切通じず、とても厳しかったです。

おばあちゃんちに行く年の夏休みは本当に憂鬱でしたし、毎日家に帰りたいって思ってました。マミーんちではあんなにみんなにチヤホヤされるのに、おばあちゃんちでは褒められることはほとんどなく、怒られてばっかり……。もう少し僕に行動力があれば、夜に抜け出してマミーんちに逃げ込んだりしてたかもしれません。

ただ、大人になった今考えてみると、あのときおばあちゃんが厳しくしてくれなかったら、僕は本当に何をやっても許されると思ってるただの勘違い野郎に育ってたかもしれないので、おばあちゃんの厳しさに感謝しています。

そして、辛かったイメージが強いおばあちゃんちですが、おばあちゃんが作ってくれたウィンナー入りのカレーはおいしかったし、おじいちゃんがしてくれる昔話はおもしろかったし、すぐ上の兄(5番目・3男)と一緒に近所の川に行って、兄が網がパンパンになるくらいザリガニを捕まえてサンタクロースみたいに持ち帰ったこともあったし、楽しい思い出もたくさんあります。おばあちゃんは僕が高校生の頃に亡くなってしまいましたが、そのときにおばあちゃんちの柱に刻んである兄弟たちの身長の記録を見ると、あんなに怖かったはずのおばあちゃんの優しい顔しか思い出せませんでした。

というわけで、僕が子どもの頃の夏休みはこんな感じでした。なんか結果的に、子どもの頃の僕がいかに可愛かったかっていう話が多めになってしまいましたけど、それは本当すみませんでした!

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伊藤智博(LLR)

いとうともひろ●1979年10月16日生まれ、東京都小平市出身。12人の大家族に生まれ、自身は10人兄弟の6番目。2001年、NSC東京校(7期生)に入学し、高校の同級生で同期の福田恵悟とお笑いコンビ・LLRを結成。ツッコミを担当している。2014年にはお笑い番組『THE MANZAI』の認定漫才師に選出。YouTubeチャンネル『LLRのYouTube Factory』では、趣味の漫画について独自の視点で魅力を語る動画を定期的にアップしており、漫画をテーマにした漫才も公開している。ツーリングが趣味で、レイザーラモンRGと福田光徳(チュートリアル)を中心とした芸人仲間で結成された『RGツーリングクラブ』のメンバーとして、バイクイベントなどでも活躍中。最近では舞台の脚本も手がけるなど、活動は多岐にわたる。

『LLR伊藤の大家族に生まれて良かった!』第5回:夏休みの命運を握るドキドキの田舎帰省