年金生活に入ると大きく収入が減ることから、資産の取り崩しが必要になるタイミングがくるかもしれません。しかし、そうした事態になる前に、家族間で資産の管理方法について話し合っておかなければ、あとあと憂き目に遇うことも……。本記事ではAさんの事例とともに、認知症がおよぼす資産管理へのリスクについて、FPオフィスツクル代表の内田英子氏が解説します。

節約の末に貯めた9,000万円で老後をスタートも…

現在63歳のAさんは、60歳のときに長年勤務した会社を定年退職しました。4歳年上の妻はもともと経理の仕事についており、大変な倹約家でした。移動はほぼ徒歩、お酒やたばこはなし、Aさんに毎日お弁当をつくり、お小遣いは1万円という徹底ぶり。そのかいあってか、Aさん自身は特別高収入だったわけではありませんでしたが、定年退職前にはおよそ9,000万円の資産が積みあがっていました。

Aさんが定年退職したのを機に、妻が親から相続した土地に家を建てました。Aさんは定年退職後も継続雇用で引き続き働いていましたし、妻はAさんが定年退職した翌年から年金を受け取りはじめていました。お小遣いが少なかったことで、これまでつらい思いもしてきたAさんは、いずれ始まる自身の年金生活のスタートを機に、自分自身で自由に使えるお金を少し増やせるよう妻に交渉できないかと考えていました。

ところがそんな矢先、Aさんの思いを大きく覆す出来事が起こります。妻が認知症と診断されたのです。

認知症の妻に代わり家計管理を始めたが…

もともと気が強く、怒りっぽかった妻でしたが、これまでよりもよく怒鳴るようになりました。室内は散乱し、食事は毎日同じメニューが続きました。耐えかねたAさんが家事をやろうとしますが、Aさんが少しでも手をつけようとすると家中のものをAさんに投げつけて激しく怒ります。整理収納の本を読んでいたと思ったら、影響を受けて「Aさんがいつも散らかす」と怒鳴ってきたこともあったそうです。

妻が認知症と診断されたことにより、長く妻にまかせてきた家計管理は、Aさんがすることになりました。しかし、すぐに問題に直面します。世帯の資産は6,000万円ほどありましたが、ほとんどの資産は証券口座にあり、妻の名義となっていたのです。売却や引き出しの手続きは妻本人しかできません。

いまはAさんが働いているので資産には手を付けずに済んでいますが、年金は夫婦あわせて月21万円ほどです。今後認知症の症状が進行し、介護が始まることなどを考えると、証券口座内の資産の取り崩しを考えていく必要がありました。

そんな矢先、妻の徘徊が始まりました。さらに、「夫に財産を取られる!」と資産の引き出しを訴えたのです。しかし、証券会社の窓口に行った妻は、本人確認やいくつかの問答により認知能力の衰えを指摘され、資産は凍結されてしまいました。

「妻がたくさんお金を貯めていたから、老後はやっと楽ができると思っていました。でも、こんな状況になって妻がやってくれないと家計が回らないことがわかったんです。妻もわたしがしっかりしないせいで怒ってばかりいて可哀そうです。お金は十分なはずなのに、これでは苦行のような毎日ですよ」

認知症時の金融機関の対応はケースバイケース

2021年2月、全国銀行協会から認知症患者の預金を引き出す場合の「考え方」が発表されました。この文書では、

銀行の預金は基本的には本人の資産であり、預金を払い出す場合には預金者本人の意思確認を原則とし、成年後見制度等を利用することを基本としながらも、代理権を有しない親族が本人に代わって預金引き出しを希望する際は、診断書や非対面ツールの活用等も想定した面談により本人の認知判断能力の喪失を確認したあと、本人のための費用を引き出すことを可能とする

と方向性が示されています。

Aさん夫婦のケースのように、もし口座名義人が認知症と診断されてしまうと、金融機関の口座内のお金の引き出しは不自由となってしまう可能性があります。銀行の普通預金であれば、前述の全国銀行協会の示した考え方を基本とし、本人のための支出であれば相談することも可能なのですが、その際には本人の認知能力の喪失を証明し、請求書などとあわせて本人のための支出であることを証明する必要があります。

また、投資信託等の価格変動のある金融商品の解約等については、全国銀行協会の発表した考え方においても、依然として慎重な対応を求めるとされていることもあり、預金とは対応がわけられています。実際の対応状況は金融機関によってまちまちです。

筆者は認知症と診断時の対応について、複数の金融機関にヒアリングをしました。その結果、長年取引があり家族事情もよくわかっている状況などであれば、事情を加味したうえで相談できるケースもありましたが、支店では対応されず、現実問題としてスムーズな相談ができないといった厳しいケースもあることがわかりました。

なお、証券会社では、預かり金を除き基本的に円預金の扱いはありません。証券口座にまとまった資産があり晩年に取り崩しをしたい場合は、預貯金よりも対応は一層シビアになると認識したうえで、認知症になる前の対策をとっておくことが求められます。

認知症診断での資産凍結リスクを回避する3つの方法

認知症時の資産凍結を防ぐ備えとして、具体的には以下のような対策が考えられます。

1.お金まわりを見える化・整理整頓する

銀行預金を含む本人の資産の引き出しには、基本的に本人の意思確認が必要とされます。認知能力が低下する前に自宅などの不動産も含め資産の状況を見える化し、それぞれの名義を確認しておきましょう。

また、年金と一口に言っても、公的年金だけではなく企業年金や個人年金保険など、複数あります。年金の種類と受給期間、振込口座などの詳細についても確認しておきましょう。証券口座内に資産がある場合は、運用方針や希望する使いみちを確認しておきましょう。お金まわりの整理整頓はエンディングノートなどを活用すると便利です。

2.代理人登録をする

証券会社や銀行、生命保険会社では「代理人登録」を受け付けているところもあります。具体的な対応は個別の確認が必要ですが、代理人登録をすることにより、本人に代わって一部の取引が可能になったり、保険金の請求などができる可能性があります。

代理人登録は一般的に、本人が認知症となってからではできません。代理人制度はあるのか、どのようなことができるのか、ご自身やご家族が持っている口座や保険商品ごとに確認しておきましょう。

3.情報を集め、頼れる人を探す

任意後見制度や成年後見制度、家族信託など、認知能力の低下に伴い活用できる制度もありますが、いずれも他者に資産の管理を託すものであり、それぞれに一長一短があります。

任意後見制度や家族信託であれば家族に託すことも可能となりますが、そうはいっても、実務の可否など、実際の課題は多くあります。専門家に託す場合も、得手不得手があるでしょう。頼れる人を一朝一夕で見つかることは困難なので、あらかじめ情報収集しておきましょう。

認知症は本人が認知症であることを認めず隠そうとすることもあり、周囲が気づくのが遅れる可能性もあります。金融機関によって対応は異なり、認知能力が低下する前であれば金融機関を変更したり資金を移すことなども可能ですが、低下してしまった後ではとれる選択肢は大きく減ってしまいます。

早くに対策を始めれば迷うことも、失敗もできます。一日も早く対策に着手しておきましょう。

<参考>

一般社団法人全国銀行協会「金融取引の代理等に関する考え方および銀行と地方公共団体・社会福祉関係機関等との連携強化に関する考え方(公表版)」

法務省「エンディングノート」

内田 英子 FPオフィスツクル 代表

(※写真はイメージです/PIXTA)