『水車小屋のネネ』(津村記久子/朝日新聞出版)
『水車小屋のネネ』(津村記久子/毎日新聞出版)

 読後、強く「ああ、幸せだ」と思った。全身に立つ鳥肌。何かが込み上げてきて、何だか泣きたくなってしまった。そんなこの上ない読書体験を味わわせてくれたのが、『水車小屋のネネ』(津村記久子/毎日新聞出版)。第59回谷崎潤一郎賞を受賞し、「本の雑誌」が選ぶ2023年上半期ベスト第1位にも選ばれた、希望と再生の物語だ。

 実はこの作品は、谷崎潤一郎賞を受賞した際、名だたる選考委員たちから絶賛を受けている。筒井康隆は言う。

「小生、老齢なのでそろそろ選考委員を辞退しようかなどと考えていたのだが、こんな作品に出会えるのはこの賞しかないので、口にはしなかったのである」

 小説界の巨匠にそこまで言わしめる小説とはどのようなものなのだろう。そう思って、ページを繰れば、心洗われるとはまさにこのこと。「こんな素晴らしい小説に出会えるから本を読むのはやめられない」と思わされるほど、幸福な体験が私を待っていた。

 この物語で描かれるのは、1981から2021年まで40年間に及ぶ、ある姉妹の年代記だ。物語の中心となるのは、高校を卒業したばかりの18歳の理佐とその10歳年下の妹・律。彼女たちは二人、新天地の山あいの町で新たな暮らしをスタートさせる。シングルマザーの母親は、洋裁の短大に進学予定だった理佐の入学金を勝手に使い込み、その婚約者は、年端もいかない律に冷たい仕打ちをしていた。理佐は、そんな理不尽に耐えかね、律を連れて自立を目指したのだ。理佐が始めたのは、「鳥の世話じゃっかん」があるという、そば屋でのお仕事。そのそば屋は水車を使った石臼でそば粉を挽いているのだが、そばの実の補給が必要なタイミングを鳥が教えてくれるらしい。その鳥とは、ヨウムのネネ。理佐は、そば屋での給仕に加え、水車小屋でのそばの実の補充やネネの相手をすることになる。

オウム」なら知っていたが、「ヨウム」という鳥がいるとは知らなかった。平均寿命は50歳。人間の3歳児ほどの知能があるといい、ネネはとにかく賢い。音楽が大好きで、ラジオから聞こえてくる曲をそっくりな声で歌ったり、理佐や律との会話を楽しんだり。ときには、姉妹の危機を救うことだってある。そんなネネの愛らしさとそのユーモアには、思わず頬が緩んでしまう。理佐もはじめは「なんて奇妙な仕事なのだろう」と思っていたが、徐々にネネとの時間をかけがえのないものとして感じ始めていく。

 とはいえ、姉妹の二人暮らしは決して楽なものではない。お金のやりくりはいつだってギリギリ。第一、18歳が8歳の面倒を見ているだなんて、周囲の人が不安に思わないはずがなく、「律を親元に帰すべきなのでは」と指摘されることは少なくはない。だけれども、理佐は毎日真面目に働き、律もネネの世話を手伝う。そうして彼女たちは次第に町に根ざしていき、町の人たちは、大人を頼ることを躊躇する彼女たちの支えとなる。そんな淡々と進んでいく何気ない暮らしが、読む人の心を静かに震わせるのだ。

「誰かに親切にしなきゃ、人生は長く退屈なものですよ」

 作中のそんな台詞が深く心に沁みた。たくさんの優しさを汲んで、ゆっくりと、でも確実に回り続ける水車のような月日。かつて町の人たちに支えられた理佐と律は、大人になり、ネネとともに、今度は周囲の人たちを助ける側へと回っていく。そんな善意の連鎖に、胸がいっぱいになる。そして、読み終えた時、「私も誰かに手を差し伸べることができないか」とつい考えてしまった。……ああ、この物語の優しさを自分の中に取り込めて本当に良かった。この本は、ずっと忘れずに何度でも読み返したい。優しさで満ちあふれたこの本を、ぜひともあなたにも味わってみてほしい。

文=アサトーミナミ

筒井康隆大絶賛の【谷崎潤一郎賞受賞作】。姉妹としゃべる鳥が織りなす40年の希望と再生の物語