去年10月、王座戦で永瀬拓矢前王座を下し、全冠制覇を達成した藤井八冠。21歳2ヵ月という驚異的な若さでの大偉業だった
去年10月、王座戦永瀬拓矢前王座を下し、全冠制覇を達成した藤井八冠。21歳2ヵ月という驚異的な若さでの大偉業だった

史上最年少でプロ入り、史上最多の29連勝など、数々の記録を塗り替えてきたスーパースターが、新たな偉業を成し遂げたのが去年の10月。"藤井八冠フィーバー"が続く将棋界だが、現在のAI全盛時代の将棋は以前と比べてどのように変化してきているのか。

【表】将棋とAIの歴史

■昔ながらの戦法が今は通用しない?

去年10月、将棋界のスーパースター、藤井聡太さんがとてつもない金字塔を打ち立てた。将棋の八大タイトル(竜王、名人、王位、王座、棋王、王将、棋聖、叡王[えいおう])をすべて獲得し、21歳2ヵ月という若さで前人未到の「八冠」全制覇を成し遂げたのだ。

将棋に詳しいライターの本末ひさおさんが言う。

1996年羽生善治九段が全タイトルを制覇して七冠(当時はまだ叡王戦はなし)を達成しました。もちろんそれも歴史に残る大偉業なのですが、藤井八冠がさらにすごいのは、タイトルを一度も失うことなく、ストレートで全冠を奪取したことです」

2016年に史上最年少の14歳2ヵ月でプロ入りして以来、最多連勝(29連勝)をはじめとする数々の記録を塗り替えてきた藤井八冠。その鬼神のような強さを支えているのは、将棋のAIを取り入れた序盤・中盤の戦術ともいわれている。

将棋の観戦記者歴30年の椎名龍一さんがこう話す。

「とにかく藤井さんは、AIが推奨する2番手や3番手の手を指さないんですよ。そのほとんどがAIが最善手に推している手で、将棋の真理に近づこうという姿勢が見て取れます。

また、パソコンを使いこなす能力が非常に高く、自分で高性能のパソコンを組み立てるなど専門家に近い知識があり、処理能力を高める改造をして研究に役立てているといわれています」

AIという武器を誰よりも使いこなし、現在の将棋界を牽引(けんいん)している藤井八冠。そんな"藤井フィーバー"に沸く一方で、古い将棋ファンからは意外な嘆きの声が聞こえてくる。

〈最新の将棋が難しすぎて、とてもマネできない。ちょっと間違えただけで詰まされてしまう〉

四間(しけん)飛車で美濃囲いとか、矢倉(やぐら)で棒銀(ぼうぎん)とか、そういう昔ながらの戦法をするプロが減ってしまって、AIが推奨する将棋ばかりなことに物足りなさを感じる〉

前出の椎名さんもうなずく。

「確かにそういう側面はあるかもしれません。昔はいろいろな戦法を試すことが許される時代でした。とにかく今は振り飛車党が激減しましたよね。それは単純に飛車を振ると、その時点でAIがマイナス300点などと低い評価値をつけるからです。

AIに飛車を振るのは不利だと判断されると、プロ棋士はその手を避けるようになり、序盤は似た指し方になりがちです。逆に言えば、それくらい棋士とAIの共同研究が行き届いて、序盤が洗練されてきているともいえます」

言われてみれば、勝負が二転三転する泥仕合的な将棋はあまり見られなくなってきた。また、昔は初心者に「王様をしっかり囲ってから戦う」と教えたものだが、今やその常識も覆されている。

「最近のプロの将棋は、王将を囲わずに全体のバランスを重視する傾向にあります。『駒を損しないようにする』のも将棋の基本ですが、今は桂馬を損していても攻めているほうが優勢といわれる戦法もあります。そういう新しい価値観や大局観はぐっと増えましたね」(椎名さん

■スポーツを見るように将棋が観戦できる

では、AIが出現して良くなったことはなんだろうか。「将棋観戦が格段にわかりやすくなった」と指摘するのは前出の本末さんだ。

「これまでは解説者の話でも聞かない限り、どちらがどれくらい優勢かという判定は、一般の将棋ファンにはとても難しかった。ところが、現在はAIが『64%対36%で先手が優勢』といったように瞬時に評価値を出してくれます。

まるで野球やサッカーのようなスポーツ観戦と同じように、数字によってどちらが勝っているかがすぐわかるようになりました」

これによって将棋観戦のハードルがグンと下がり、超初心者でも気軽に楽しめるようになったのは大きな功績だ。前出の椎名さんが続ける。

「私は、将棋の結論を知りたいと強く願っています。いわば、将棋の神様同士が最善手を指し続けていったらどうなるのか。先手が勝つのか、後手が勝つのか、それとも千日手持将棋(じしょうぎ)で引き分けになるのか。

それが知りたいのですが、AIが進化し続けることで、かなり結論に近づいてきてるんじゃないかなって。

去年10月にオセロの結論が出たというニュースがありました。オセロは最善手を指し進めていくと、引き分けになるという結論に至ったそうです。それと同じく将棋というゲームの結論が、もし自分が生きてるうちに出るなら知りたいし、それがAIによって現実味を帯びてきましたよね」

■AI時代の申し子を負かすのは誰だ?

さて、「AI時代の申し子」といわれている藤井八冠だが、いつまでこの無双状態が続くのか気になるところ。

「これはよく誤解されていることですが、藤井八冠はAIのおかげで将棋が強いのではないんです。もともと終盤力が飛び抜けている上に、初めて見る局面でも最善手を見つける能力にも長(た)けています。さらに、AIの研究を取り入れて序盤・中盤にも隙がないから、異次元の強さを発揮しているんです」(椎名さん

つまり、地力がある上にAIを上手に使っているから強いのだ、と。

「その上で、これは藤井八冠の師匠の杉本昌隆八段が言っていたことですが、それほど長くトップには居続けないんじゃないかって。これから将棋を覚えてくる子供たちは、AIを使って腕を磨きます。

将棋が上達する近道は、強い師匠に教わることです。そういう意味でも、AIという強力な師匠が最初から身近にいる今の子供たちは、大きなアドバンテージがあります。なので、10年以内には藤井八冠に並ぶ棋士が出てくるんじゃないかと杉本八段は予想されていました」(椎名さん

ともあれ、藤井八冠の快進撃は今年も続きそうだ。

取材・文/浜野きよぞう 写真/共同通信社

去年10月、王座戦で永瀬拓矢前王座を下し、全冠制覇を達成した藤井八冠。21歳2ヵ月という驚異的な若さでの大偉業だった