露出計の内蔵連動

ニコンFの項で述べたように1950年代が一眼レフの技術革新の時代なら、1960年代は一眼レフへの露出計の内蔵連動の時代だったと言えるだろう。1960年の頃にはレンズシャッターカメラでは露出計の内蔵がどんどん進み、一部には自動露出(AE)のカメラも出始めていた。しかしフォーカルプレンシャッターを用いるレンジファインダーカメラや一眼レフの多くは外付け連動のままで、なかなか内蔵には踏み切れなかったのである。

その理由の一つは露出計の出力値を指針で示す電流計だ。受光素子のわずかな電流でも振れるように巻き線や軸受けなどかなりデリケートなものになっており、衝撃による破損や巻き線の腐食による断線などの事故が懸念された。一眼レフのような高級カメラに、そのようなデリケートな部品を使ってよいのだろうか?ということで内蔵を逡巡するメーカーが多かったと思われる。

もう一つの理由は測光範囲の問題だ。セレン光電池を用いた露出計では測光下限がISO100でEv5~6程度で、これも高級カメラとしては満足できるものではなかった。黄昏時の微妙な明るさのときこそ露出計に頼りたくなるのだが、そのような肝心なときに測光範囲外になってしまうのである。そこに登場したのがCdS受光素子だ。電源電池を必要とするが、小面積の受光部でこれまでにない暗いところまで測光できるのだ。一眼レフではいち早くペンタックスS3(1961)で外付けの連動露出計にCdSを採用し、ミノルタSR-7(1962)ではCdS露出計を内蔵した。いずれもシャッターダイヤルのみに連動する片連動である。高感度でコンパクトな受光素子であるCdSの登場によって、一眼レフへの露出計内蔵に弾みがついたといえるだろう。

フォトミック形式という妙手

そんな情勢の中、ニコンCdS露出計の内蔵に動いた。だいたいニコン8mmムービーカメラのニコレックス8(1960)で世界で初めてCdS受光素子をカメラに内蔵したメーカーである。スチルの一眼レフカメラへのCdS露出計内蔵に積極的だったのは当然のことだ。ただ、前述したような電流計の脆弱性という問題は残る。そこで考え出した妙手が、「フォトミック形式」なのだ。

もともとニコンFファインダーのペンタプリズム部が交換可能になっていた。一眼レフはウェストレベルファインダーで左右逆像になり、使いづらかったところにペンタプリズムが導入され普及に弾みがついたのだが、逆にクローズアップや顕微鏡写真の撮影などウェストレベルファインダーの方が便利なケースもある。そのためペンタプリズム部を交換可能にしてウェストレベルファインダーとしても使えるようにした一眼レフカメラがいくつか存在したのだが、ニコンFもその一つだった。それをうまく利用して交換ファインダーCdS露出計を内蔵してしまったのだ。

ペンタプリズムと接眼レンズを備えた交換ファインダーCdS受光素子と電流計、それにシャッターダイヤルと絞りに連動するためのメカを組み込み、このフォトミックファインダーニコンFのボディに装着することにより両連動のCdS露出計内蔵カメラに変身できるわけだ。しかも露出計になにか不具合があった場合には、ペンタプリズム部を交換すればいつでも露出計なしのニコンFに戻れる。なお「フォトミック」というのは"Photometer"と"Automatic"を組み合わせた造語と聞いている。

外付け露出計との違いは?

考えようによっては、交換ファインダーではなく、外付け露出計ニコンメーターのままセレン光電池をCdSに変更するだけでよかったのではないかとする人もいるかもしれない。露出計連動機に変身させるのに、フォトミック形式だとペンタプリズムや接眼レンズなどのファインダー系も交換することになる。ファインダーまで交換しなくとも、例えばペンタックスS3やSVの外付け露出計のようにペンタ部の上からかぶせるような形式でもよかったのでは?ということだ。どうして連動露出計機能を加えるのにペンタプリズムまで交換するようにしたのだろうか?

その理由は、おそらく露出計表示にあるだろう。外付けの連動露出計は、みな露出を合わせる際にファインダーから目を離してカメラボディ外側に表示されるメーターの指針を見ながら設定しなくてはならない。一方でその頃レンズシャッター機ではメーター指針をファインダー光学系に導き、ファインダーを覗きながら露出合わせをするのが普通になっていた。一眼レフでも当然ファインダー内で指針を確認できるようにした方が便利なわけで、その機能を実現するために露出計のメカとファインダー光学系を一緒のハウジングに収める必要があったのだ。

そう思って改めて見てみると、フォーカルプレンシャッターの一眼レフで外光式の内蔵露出計の指針をファインダー内で見られるようにした例は少ない。ツァイスイコンのコンタレックス、ミランダオートメックス、ペトリフレックス7あたりが該当するのだが、いずれもシャッター速度と絞りの両方に連動する両連動の機種だ。他の多くのものはシャッター速度のみに連動する片連動で、操作の手順からいってもファインダー内表示の意味があまりないということだろう。

ともあれ、ここでファインダー光学系と露出計をまとめて交換するようにしたことが、その後TTL測光の時代になって大いに役立った。

電池と電源スイッチ

CdSを受光素子に使ったため電源電池が必要になり、2個の水銀電池をフォトミックファインダー内に収納することになったが、そのためいささか頭でっかちになってしまった。使わないときは電源を消費しないよう、電源スイッチが設けられたのだが、初期のモデルはスイッチではなくCdSの受光面を覆う黒い板が設けられていた。

鉄道の踏切などにある腕木のような形で受光面に出たり入ったりするので「腕木型」などと呼ばれることもある。露出計回路に直列にCdSが入っており、CdSの抵抗値は暗いところでは数メグオームになるので、覆っておけば電流消費は無視できるレベルになるのだ。ただ、さすがに完全に電源オフにしないとユーザーの不安を招くと考えたのか、すぐに小さなボタンを押す形式のスイッチに改められた。

初期のニコンFフォトミックにはこのような遮光板を受光面の前に出し入れすることで電源スイッチの代用としていた そのすぐ左にみえるのはアクセプタンスコンバーターの収納部

アクセプタンスコンバーター

フォトミックファインダーの露出計は外光式なのでレンズを交換しても受光角は変わらない。公称の受光角は70°でほぼ28mmレンズの画角に相当する。画角の狭い望遠レンズを使う場合には受光角が広いと誤差の要因となるので「アクセプタンスコンバーター」という受光角を狭めるためのアクセサリーが用意されていた。大層な名称だがただの筒で、受光部に装着すると受光角が18°と135mmレンズの画角相当となる。その分受光面に入射する光量が落ちるので、フィルム感度の設定をずらして補正する。使わないときは電池蓋にねじ込んで保管するようになっていた。

アクセプタンスコンバーターをフォトミックの受光部に装着したところ これで135mmレンズの画角相当の受光角になる

フォトミック形式のその後

この頃から一眼レフの露出制御は目まぐるしく進歩するのだが、ニコンはカメラボディ本体には手を加えることなく、フォトミックファインダーの改良でそれにキャッチアップしていった。そしてそれはニコンF2にも受け継がれたのだが、不思議なことに同様のことを行ったライバルメーカーはなかった。ミランダやミノルタのように交換ファインダーに露出計を組み込んだメーカーは存在したが、いずれも単発的でシステマティックに長期間にわたって継続したのはニコンフラッグシップモデルのみである。

やがて露出制御システムの技術革新が落ち着いてくると、フォトミックのシステムも終焉を迎える。その結果フラッグシップモデルのファインダー交換機能もニコンF6では省略されるにいたった。この時代になるとファインダー交換機能の当初の目的だったウェストレベルファインダーとの交換などはアングルファインダーなどの他の機能でカバーできるようになり、その存在価値も薄れてきていたのだ。

豊田堅二|プロフィール

1947年東京生まれ。30年余(株)ニコンに勤務し一眼レフの設計や電子画像関連の業務に従事した。その後日本大学芸術学部写真学科の非常勤講師として2021年まで教壇に立つ。現在の役職は日本写真学会 フェロー・監事、日本オプトメカトロニクス協会 協力委員、日本カメラ博物館「日本の歴史的カメラ」審査員。著書は「とよけん先生のカメラメカニズム講座(日本カメラ社)」、「ニコンファミリーの従姉妹たち(朝日ソノラマ)」など多数。

(さらに…)
機械式一眼レフ編 ニコンFフォトミック[ニコンの系譜] Vol.02