事故に遭った海保機は、2011年の東日本大震災では宮城・仙台空港で津波被害に遭い、1年後に復帰した機体だった
事故に遭った海保機は、2011年の東日本大震災では宮城・仙台空港で津波被害に遭い、1年後に復帰した機体だった

1月2日羽田空港JAL機と衝突し、爆発・炎上した海上保安庁の航空機は、被災地への支援物資を積んで新潟へ飛び立つ直前だった。悲劇はなぜ起きたのか。「ナンバー1」という管制指示と、滑走路で海保機が停止していた「40秒」の意味を専門家が読み解く。

【写真】爆発・炎上した海保機ほか

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■「ナンバー1」という指示に込められた意味

能登半島地震が発生した翌日の1月2日午後5時47分、東京・羽田空港のC滑走路上で、日本航空JAL)の旅客機エアバスA350が着陸する際、海上保安庁の双発プロペラ機ボンバルディアDHC-8-Q300と衝突した。

炎上したJAL機からは乗客・乗員379人が全員避難できたが、海保機は爆発・炎上し、乗員5人が死亡。唯一生き残った機長も重傷を負った。JAL機が着陸する滑走路に、なんらかの原因で、被災地へ支援物資を運ぶ任務に就いていた海保機がいてしまったために起きた悲劇だ。

まず知っておくべきは、混み合う正月の羽田空港で海保機が置かれていた状況の特殊性だ。かつて航空測量士・空撮カメラマンとして29ヵ所の飛行場から航空機16機種、合計約3000時間の飛行を経験したフォトジャーナリストの柿谷哲也(かきたに・てつや)氏が言う。

「まだ中部国際空港が開港していなかった当時、私が拠点のひとつにしていた愛知・名古屋空港では、国際線国内線旅客機がひっきりなしに離着陸する合間を縫って、その他の小型機が離陸するという環境でした。

今回の海保機もそうでしたが、こうした場合は管制官がインターセクション・ディパーチャー(滑走路の途中から入って離陸すること)を許可することがあります。

また、離陸する大型旅客機の後方乱流で小さな機体があおられてしまうこともあるため、管制は大型旅客機の離陸前に小型機を横入りさせて優先的に離陸を指示することもあります」

JAL機と衝突した海保機は爆発・炎上し、乗員5人が死亡。唯一脱出できた機長も重傷を負った
JAL機と衝突した海保機は爆発・炎上し、乗員5人が死亡。唯一脱出できた機長も重傷を負った

これまでに公開された情報によれば、海保機は管制から「ナンバー1」(その滑走路で離陸順が1番目)という指示を与えられていた。そして、誘導路から滑走路に入る手前で待機をせず、滑走路に入ってから事故までの40秒間、停止していた。

航空自衛隊302飛行隊隊長の杉山政樹氏(元空将補)は、軍民共用の沖縄・那覇空港からF-4戦闘機で何度もスクランブル(外国機などに対応するための緊急発進)をした経験があり、その際も管制から「ナンバー1」の指示を受けていたという。

「今回のようなケースでは、ナンバー1という言葉は単に離陸順を示しているだけではありません。通常のシークエンス(順序)に従って離着陸を続ける民間機の合間を縫って、空自機や海保機の任務をどう実現させるか、管制官はさまざまな判断を迫られる。

その中で、ナンバー1という言葉には、『大変でしょうけど、任務を頑張ってください。できる限り融通を利かせます』という管制官からの配慮や思いやりが込められているわけです。

今回のケースでも管制官は、『こんばんは。ナンバー1。C5(滑走路に入る手前の誘導路のこと)上の停止位置まで地上走行してください』

という言い方でナンバー1を与えています。これに対して海保機の側も、

『C5に向かいます。ナンバー1。ありがとう』

と、気を使って感謝の言葉を返しています」

■思い込んでしまうと見えるものも見えない

問題は、その後なぜ海保機が滑走路手前で停止せず、そのまま進入していったかだ。杉山氏が続ける。

「滑走路に入って離陸指示を待つ場合は『ラインナップホールド』、その手前の接続経路で止まる場合は『タキシー・トゥ・ホールディングポイント』と管制から指示されます。公開された交信記録では、管制は明確に『タキシー・トゥ・ホールディングポイントC5』と言っていますから、海保機側に何か勘違いが起きたのでしょう。

ここから先は臆測の域を出ませんが、ポイントはパイロットや同乗者がそのとき感じていたことです。私もそうでしたが、離陸の優先権をいただくと、自分は特別な任務をしている、早くしなければ、という気持ちがどうしても湧き上がってくる。今回のケースも一刻を争う被災地への支援ですから、気がはやったとしても無理はありません。

しかし、そういうところに落とし穴があることもある。今回、海保機は管制の指示になかった『ラインナップホールド』の状態にあったわけですが、これは聞き違いというより、ナンバー1の指示を受けた後、頭の中で『滑走路に入って離陸を待つ』と〝思い違い〟をしてしまっていた可能性もあるでしょう」

実際、2018年に那覇空港で、スクランブル任務中の空自F-15戦闘機2機が似たような勘違いをし、滑走路に誤進入したケースがある。国の運輸安全委員会の調査報告書の一部を抜粋する(カッコ内は週刊プレイボーイ本誌による補足)。

〈(空自1番機の)編隊長は、那覇タワー(管制)に「HOLD SHORT'36」と復唱した直後に「ちょっと急ぐよー」2番機に送信していることから、復唱の間も出発を急ぐ意識が強かったものと推定される。

編隊長は、任務遂行等へのタイムプレッシャーの下で自機及び2番機の地上走行へ多くの意識が向いた状態であったため、航空管制官からの「滑走路手前での待機指示」を、予期していた「滑走路上での待機許可」と思い違いしたものと考えられる〉

このときは民間機の着陸直前に、滑走路上の空自機の存在に管制官が気づき、すぐに退避指示を出したため事故には至らなかった。

JAL機は北海道・新千歳―羽田便で、正月ということもありほぼ満席だった。海保機との衝突後に炎上したが、乗客・乗員379人は18分間で全員脱出し、人的被害はなかった
JAL機は北海道・新千歳―羽田便で、正月ということもありほぼ満席だった。海保機との衝突後に炎上したが、乗客・乗員379人は18分間で全員脱出し、人的被害はなかった

今回、海保機はC滑走路に入る際、右側から着陸しようとするJAL機の姿を視認できなかったのだろうか?

「自分たちが離陸するんだと思い込んだら、人間というのは『ほかの飛行機は入ってこないはずだ』とも勝手に思い込んでしまう。いると思って見なければ視点が行かず、見えないものなんです。

ただ、海保機は滑走路へ入ってそのまま離陸はしなかった。私の推測では、おそらく衝突事故の直前まで、海保機は管制からの『クリア・フォー・テイクオフ(離陸許可)』の指示を待って、離陸前点検を念入りにやっていたのではないかと思います」

国土交通省は9日、管制官が出発順を「ナンバー1」などの言葉で伝える運用を当面見合わせると発表した。

取材・文/小峯隆生 写真/柿谷哲也 時事通信社

事故に遭った海保機は、2011年の東日本大震災では宮城・仙台空港で津波被害に遭い、1年後に復帰した機体だった