『週刊プレイボーイ』でコラム「呂布カルマのフリースタイル人生論」を連載している呂布カルマ
『週刊プレイボーイ』でコラム「呂布カルマフリースタイル人生論」を連載している呂布カルマ

ラッパーとしてはもとより、グラビアディガー、テレビのコメンテーターなど、多岐にわたって異彩を放っている呂布(りょふ)カルマ。『週刊プレイボーイ』の連載コラム「呂布カルマのフリースタイル人生論」では「インド」について語った。

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★今週のひと言「写真集の撮影でインドへ。生物的な弱さを実感した理由」

今回はバーラトについて。バーラト......? インドです。知ってました? インドの名称がバーラトに変更されるかもしれないということを。まぁでもインドで。当分インドで。

去年のクリスマス、柄にもなく、というかラッパーとして日本で初めて写真集を発売させてもらったんですが、ロケ地になったのがインド

去年どころか一生レベルで印象に残った、まさに人生観が変わる経験だったのでお話ししておきます。

一般的にインドに対して人が抱く印象は2種類あると思っていて、ひとつはインドでの生活や文化が肌になじんで帰ってこられなくなったり、ハマって何度も行ったりする場所。そしてもうひとつは、真逆で二度と行くまいと思う場所。

僕はまさに後者です。いえ、悪い国ではないですよ、もちろん。これ読んでいるインド人、インドルーツの方いましたら、ごめんなさい。ただ、あまりにも日本とは環境から価値観から何もかもが違いすぎて、なかなか受け入れ難かったのです。

衛生面、交通事情、文化、風土、そしてカーストからなる身分制度。どれひとつとっても、日本ではなかなか味わうことができないレベルでした。過去に大学を半年ほど休学してインドに旅立つも、2、3ヵ月で心が折れて帰ってきた後輩がいました。当時は皆でそれをずいぶん面白がってイジったのですが、いざ自分がインドを体験すると、初日の夜、おまえよくこんなとこにひとりで3ヵ月もおったなぁ、スゴいよとLINEしたほどでした。

しかも自分は写真集の撮影で大勢で行った上、しっかり現地人のアテンドもついていたし、宿や食べ物の心配も必要ありませんでした。まだスマホもない15年以上前にバックパックひとつ持って大学生が貧乏旅行するのとはワケが違います。彼への印象が百八十度変わりました。

僕が滞在したのはオールドデリーと呼ばれるインドの首都デリーの下町。デリーは東京よりちょっと狭いぐらいの面積に、東京よりも多くの人間がひしめき合うように暮らしています。大都市ですが、路上には犬の糞(ふん)、牛糞、あるいは人糞、そして大量のゴミなどが散乱し、その傍らに死んだように眠る路上生活者

常に足元を確認しながら歩かないと何を踏むかわかりません。車道にも歩道にも信号はなく、車線は一応あるものの、誰にも見えていないかのように縦横無尽に走り回る車やバイク。会話における句読点のごとく、なんのためらいもなく乱発されるクラクション。幾重にもクラクションが鳴り響き、一日中それを聞いているとストレスで頭が痛くなります。

そんな状態なので、都市部は常に渋滞していて、車が停車している隙を見て幼い物乞いが窓を叩き食べ物をねだります。キリがないので取り合わないように言われますが、わが子ほどの年の子供がボロボロの格好で食べ物を欲しがる姿に心が沈みます。

当然顔バレの心配はないが、単純ににおいやほこりで外せないマスク。数時間外にいるだけで目を開けているのもつらくなります。ペットボトル以外の水や氷にも絶対に口をつけないよう念押しされます。

こう列挙するだけで地獄のような環境ですが、僕が一番食らったのは、当のインド人たちは皆エネルギッシュで、彼らは日本の10倍の人口で、今や中国をも追い抜き、成長しているということです。日本というぬるま湯と潔癖に慣れ親しんだ僕は水すら飲めず、この環境に1週間もいたら精神を病んでしまうかもしれません。

インドのハードさ以上に自分の生物としての弱さをイヤでも自覚させられたのでした。

撮影/田中智久

『週刊プレイボーイ』でコラム「呂布カルマのフリースタイル人生論」を連載している呂布カルマ