ワールドカップ史上最高のチケット完売率99%」「ボランティア活動の満足度89.5%」などの記録を残し、国際統括団体であるワールドラグビーから「過去最高のホスト」と評されたラグビーワールドカップ2019日本大会。その大会を指揮した組織委員会は、国際イベントの未経験者が大半を占める状態からスタートした。さまざまな困難に直面しつつも、日本初・アジア初の大会をいかにして成功に導いたのか。その舞台裏を明らかにしたのが、野中郁次郎氏・川田英樹氏の共著『世界を驚かせたスクラム経営 ラグビーワールドカップ2019組織委員会の挑戦』だ。前編となる今回は、組織がイノベーションを生み出すには何が必要か、前例のない日本型の大会がなぜ成功したのかなどについて話を聞いた。(前編/全2回)

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■【前編】日本初開催ラグビーW杯大成功、組織委員会が偉業を遂げた納得の理由(今回)
【後編】野中郁次郎氏がイノベーション理論で洞察、ラグビーW杯日本大会「成功の本質」

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成功の事実の裏にある「なぜそう考えたのか」を考える

――お二人の共著『世界を驚かせたスクラム経営』の第Ⅰ部では「物語り」の形式でラグビーワールドカップ2019の舞台裏を紹介し、第Ⅱ部では「知識創造理論」の観点からイノベーションを生み出す組織について洞察を加えられています。本書を通じて、読者に最も伝えたかったのはどのようなことでしょうか。

川田英樹氏(以下敬称略)「日本初・アジア初のラグビーワールドカップを見事に成功させた組織委員会」と聞くと、有名プロジェクトを率いた経験のあるメンバーの集まりだと思うかもしれません。しかし、実際はそうではありませんでした。組織委員会のメンバーのほとんどは、国際イベントの経験を持たない多種多様な価値観を持つ人たちが、色々なところから一人、また一人と集められてできた組織でした。

 本書では、そんな右も左もわからない状態でスタートした組織が数々の難問をどのように乗り越えたのか、いかにしてプロジェクトを成功に導いたのか、一つの物語りとして描いています。

 プロジェクトを進める過程では、一人ひとりが知恵を出し合い、目の前の現実から経験的に学び、時には役割を大きく超えて動くことで自律的にリーダーシップを発揮しました。本書のタイトルに「スクラム経営」とありますが、まさにラグビースクラムを組むようにチーム一丸となって共創する組織に変わっていったといえます。

スクラム経営」の物語りには、「この仕事は何のためにやっているのか?」、さらには「自分はどう生きるのか?」という問いが垣間見えます。組織委員会というチームのあり方から、そういった一人ひとりの思いや考えを感じ取り、皆様の気づきに変えてもらえればと思います。

野中郁次郎氏(以下敬称略) ただ単に起こった事実を並べるだけでなく、「なぜか?」という理由、つまり因果関係も物語ることが「物語り(ナラティブ)」の本質です。本書で組織委員会の舞台裏を物語りとして伝えたのは、「なぜか?」の部分を伝えることが必要だったからです。

ラグビーワールドカップ史上初めて、台風による試合中止を決めた」「台風が襲来し試合の開催が見えない中でも、自主的にボランティアが集まった」というように目を引く事実も描かれていますが、そういった客観的事実の背後にある意味、つまり「なぜ、そう考えたのか」「なぜ、そのように動いたのか」という一人ひとりの思いを感じてほしいと思っています。

お互いを全身全霊で感じ合う「共感」によって「暗黙知」を豊かにする

――第Ⅱ部で組織的イノベーションの理論モデルとして「SECI(セキ)モデル」を紹介されています。SECIモデルでは、どのようなステップを経て価値を生み出すのでしょうか。

川田 本書でも紹介している「SECIモデル」は、最初に「共感」から始まります(Socialization:共同化)。「共感」と言葉にするのは簡単ですが、ここで意味することは全身全霊で、身体で感じて相手になり切る、ということです。その「共感」によって、相手の目には見えない主観的な「暗黙知」を直接経験で感じ取ります。

 次に「それってこういうことだよね」と互いが感じたことを言葉にし、徹底的に対話を重ねることで各々の直観の本質を追求します(Externalization:表出化)。そのような知的コンバットから「こうとしか言いようがないよね」という客観的な「形式知」である「概念(コンセプト)」に行きつきます。

 さらに、2人の共感と対話から新たに3人、4人と人が集まり、既存のあらゆる「形式知」を総動員することによって、「概念(コンセプト)」を組織の集合知としての「戦略」や「モデル」、そして「物語り」に昇華させます(Combination:連結化)。そして、その物語りを一人ひとりが実践し、身体化するのです(Internalization:内面化)。

 試行錯誤を繰り返しながら、一人ひとりが自律的に考え動くと、暗黙知は豊かになり、実践のなかで新たな思いが芽生え、次のSECIモデルが回り始めます。こうして自律分散型の組織が機能し始めると、新たな価値を生むイノベーションが生まれていきます。

野中 大事なことは、お互いを感じ合う「共感」によって「暗黙知」を豊かにすることです。SECIモデルは身体で感じることからスタートします。貧困な「暗黙知」からは貧困な「形式知」しか生み出せず、凡庸な戦略しか描けません。経営の本質は、初めから数値化・理論化できるようなものではないのです。イノベーションを生み出すには、まず「考えるより感じる」ということが必要です。

イノベーションサイクルが回り、見い出された「ボランティアの本質」

――本書では、組織委員会で生み出された数々の組織的イノベーションを紹介されています。特に、SECIモデルがうまくいったケースの典型として、ボランティアプログラムの事例を紹介しています。

川田 「日本流のおもてなし」と高い評価を得たボランティアプログラムですが、前例のない形で生み出されたプロセスを見てみると、SECIモデルが何周も回っていることがわかります。ボランティアプログラムを任せられたメンバーは、全く経験がない中でのスタートでした。一方で彼は、前回大会が行われたイングランドのスタジアムの前で「満面の笑顔のボランティアたちに歓迎された」という感動的な直接経験をもっていました。

 そこで彼は、その直接経験を起点に「共感」と「対話」を重ねることで、どんどん暗黙知を豊かにしていきました。プロのラグビーチームでボランティアを束ねた経歴をもつ経験者との出会い、対話を重ねたり、「世界一の現場力」と称される新幹線の車両清掃チームの取り組みを見るため東京駅を訪問したり、ディズニーリゾートを運営するオリエンタルランドを訪ねて直接話を聞いたりしました。

 そこから、「ボランティアは何のために存在するのか」という本質的な問いにたどり着きます。その問いを追求することで、それまではコストダウン要員と捉えられがちだったボランティアを「大会の顔として価値を生む存在」と位置づける新たなコンセプトを打ち出したのです。

――新たなボランティア像を描いたのですね。このようなコンセプトをどのように形にしたのでしょうか。

川田 コンセプトを体現するためにボランティア専門部署が新設されます。そして、ボランティアチームが動き出し、試行錯誤が繰り返されるようになると、今度は新たに「どうすればチームとしての一体感が生まれるか、そして彼らをどう動機づけるか」というチャレンジを暗黙的に見出しました。

 そこから、「大会の顔として価値を生む存在」になってもらうには、「ボランティア自身が楽しむことが必要」という本質が導き出され、SECIモデルがさらに回ります。そして、細かなルールを定めたマニュアルではなく、ボランティア一人ひとりにどのようなマインドで行動してほしいかを言語化した「TEAM NO-SIDE Principles」という行動規範を打ち出すことへとつながります。

 いざ大会が始まり、台風の影響で試合開催の判断がギリギリになるといった想定外の局面では、ボランティア達が自主的に会場に集まって自分ができることを始めました。誰かの指示を待つのではなく、一人ひとりが実践を通じて自律的にその場で考えて動く、自律分散型の組織へと成長していったのです。

「あれかこれか」の二項対立ではなく「あれもこれも」の二項動態

――ラグビーワールドカップ 2019日本大会は、これまでの慣例にしたがったやり方ではなく、まったく新しい日本型のやり方で成功を収めました。成功の要因はどこにあったのでしょうか。

川田 組織委員会は、多くの失敗や試行錯誤を繰り返しながらも、「日本型」のラグビーワールドカップを実現させました。それは、「あれかこれか」という二項対立ではなく、野中先生がいつもおっしゃっている「あれもこれも」という二項動態を徹底的に追及した結果だと考えています。

 たとえば、大会保証料の原資の多くはチケット販売収入であることから「より多くのチケットを高く売る」ための効果的なマーケティングやプロモーションという興行性が強く求められるという構造がありました。一方、日本の組織委員会は公益財団法人であり、さらに日本大会は地方自治体が所有する全国12会場を使った大会であったことから、日本型のやり方を成功させるには公共性・公益性も重視しなくてはいけませんでした。

 それまでラグビー伝統国で開催されてきた大会の従来型のやり方と日本の組織委員会が置かれた状況は、一見相反するものでした。しかし、そこで一方を選ぶことをせず、「二項動態」でより高いレベルの共通点を目指し、新しい「日本型」の運営を行ったからこそ、大きな成功を収めたのです。どちらかに偏るのではなく「両方を実現するための二項動態」で考えることが、イノベーションを生み出すためのヒントになるはずです。

【後編に続く】野中郁次郎氏がイノベーション理論で洞察、ラグビーW杯日本大会「成功の本質」

■【前編】日本初開催ラグビーW杯大成功、組織委員会が偉業を遂げた納得の理由(今回)
【後編】野中郁次郎氏がイノベーション理論で洞察、ラグビーW杯日本大会「成功の本質」

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一橋大学名誉教授 野中郁次郎氏、フロネティック代表取締役 多摩大学大学院教授 川田英樹氏(撮影:木賣美紀)