日本海軍航空母艦「葛城」が1944年の今日、進水しました。「葛城」は雲龍型空母の3番艦で、ミッドウェー海戦で消耗した空母戦力を増強しようと10隻ほどが計画されましたが、竣工しても戦局の悪化などから、本領発揮できませんでした。

雲龍型空母の3番艦

戦局が悪化の一途をたどる中、旧日本海軍が最後に完成させた航空母艦が「葛城」です。1944(昭和19)年10月のことでした。本日はそのような「葛城」が進水した日から、ちょうど80年となります。

ちなみに大和型戦艦を改造した大型空母「信濃」は、竣工日を1944年11月としています。しかし艤装工事を完了させないまま、空襲が激化した横須賀を避け呉へ回航中に撃沈されたため、完成艦とはいえません。

「葛城」は10隻あまりの建造が計画された雲龍型空母の3番艦です。1942(昭和17)年6月のミッドウェー海戦で主力空母を4隻失った日本は、中型空母の建造を急いでいました。全長220mあまり、基準排水量1万7000トンあまりにして、艦載機は50機程度の搭載が想定されました。しかし物資などが欠乏していた最中、「葛城」を最後に完成艦はなく終戦を迎えています。

竣工を迎えた「葛城」でしたが、前出の通りすでに戦局は悪化の一途を辿っており、そもそも搭載する艦載機や燃料も十分にありませんでした。そのため、「葛城」は空母としての任務に就けないまま、呉で待機を続けます。

そのようななか1945(昭和20)年3月、呉にアメリカ空母から発進した艦載機が来襲し、そこにいた「葛城」も標的になります。被弾した「葛城」は呉の南にある三ツ子島へ疎開。艦を島に偽装して留め置かれます。

その後、7月末にも空襲を受けますが、同じように出撃できず軍港に留め置かれた戦艦などが撃沈されるなか、「葛城」の損害は比較的軽微でした。そのため8月に終戦を迎えると、以降は復員兵の輸送船として活用されました。格納庫や飛行甲板を持つ空母は、多くの人員を収容するのにうってつけだったからです。

艦載機を搭載し、敵艦隊を攻撃するため外洋へ進出する――しかし「葛城」には、その機会は最後まで訪れませんでした。

1944年末、竣工したばかりの頃の航空母艦「葛城」(画像:アメリカ海軍)。