交渉や説得したい相手から「イエス」を引き出すためには、いつ、どのように、どんな語りかけをしたらよいのか?……イェール大学経営大学院助教のゾーイ・チャンス氏が、行動経済学や社会心理学、交渉術などの研究に著者自身の経験を交え進化させてきた、「影響力」に関する人気講座から生まれた著書『影響力のレッスン──「イエス」と言われる人になる』(早川書房)より、一部抜粋して紹介します。

「与えてばかりのおいしいカモ」になってしまうギバー

アダム・グラントのベストセラー『GIVE&TAKE──「与える人」こそ成功する時代』は、人間は与える人(ギバー) 、受け取る人(テイカー) 、バランスをとる人(マッチャー)の三種類に分けられるとの前提に立ち、そのなかで最も成功する可能性が高いのはギバーであるという研究結果に基づいて書かれています。

寛大さが収入や評価や生産性の高さ、昇進の早さにつながると知って、驚くと同時に励まされた方もいるでしょう。私もそのひとりです。とはいえ、自分はもっと与える必要があると考えるのは早計で、重要な論点を見逃すことになります。

グラントの研究によると、最も成功から遠い人もまたギバーであることが多いからです。ギバーは心身ともに消耗し、仕事に遅れが出る傾向にあり、凶悪犯罪の被害者や訴訟の原告になる確率も高いのです。

成功のはしごの一番上に立つギバーと後塵を拝するギバーの決定的な違いは、線引きのうまさにあります。グラントによると、「成功しているギバーは、誰のどんな要求にもつねに応えようとするのではなく、ギバーとマッチャーにだけ寛大さを示す。時間を区切って頼まれ仕事を片付け、相手を励ましつつ、自分ならではの力添えができるようなやり方で支援する」のです。

他方、ノーと言えないギバーは、与えてばかりで骨の髄まで吸い尽くされ、日和見主義者のおいしいカモになってしまいます。周囲とうまくやっていくために言いなりになり、グループの和を乱さないように疑念を口にしません。ノーと断って負担を軽減することができずに、心身が限界に近づいてくると、彼らの「やることリスト」にはメディテーションや日々の感謝を日記に書き出すといったさらなる負担が加わることになります。

イエスと言うのをやめられない、いくつかの理由

何か「よい」ことをして親や教師、教授や上司から見返りを得ているとき、私たちは褒め言葉や感謝、満点の成績がもたらすドーパミンの放出を強く欲しています。しかし、他人を満足させようとしてばかりいると、いろいろなものがつねに不足する事態に陥りかねません。時間が足りない、睡眠が足りない、お金が足りない、明晰な考えをまとめる余力がない、といったぐあいに。

ストレスや極度の疲労は、一時的にIQを低下させたり、嫌な出来事をより強く記憶するようにバイアスをかけたりして、正しい決断をする能力さえ損ないます。この影響は本人だけにとどまりません。複数の研究から、職務に忙殺されていると痛切に感じているマネジャーが率いるチームが最も業績が悪く、利益をあげられないことが実証されています。

ノーと言いづらい理由を教え子たちに検討してもらったところ、相手にどう思われるかが最大の懸念でした。しかし、イエスと言うべきでないときに、イエスと言うのをやめられない理由はほかにもあります。

なかでもとくに重要なのが、取り残されることへの恐怖(fear of missing out、FOMO)です。今だけ、あなただけのチャンスですなどと言われると、私たちはFOMOの大きな発作を起こすことがあります。そのために私は、多くの時間とお金を無駄にしてきました。そして恥ずかしながら、同じことを今後も繰り返すでしょう。

また、返報性もよくある理由です。イエスと答えて引き受けてやれば、相手に貸しができるというわけです。返報性は謂(いわ)れのない期待ではなく、じつに人間らしい駆け引きです。

そして最後の理由は、進んで人助けをしたい人が多いということです。自分にとって人生が良いものなら、誰かに手を差し伸べることでその恩恵に報いたいと考えます。また、つらい人生を歩んできた人は、同じような苦しみからほかの誰かを救ってやりたいと思うかもしれません。思いやりは立派な資質ですが、求められたときにのみ寛大さを示すのだとしたら、不公平が生じてしまいます。

「ノー」チャレンジは、みずから課している重荷のうち避けられるのはどれか、あなたが理解するための手立てになるでしょう。これはまた、機会費用を比較考量するうえでも役立ちます。つまり、これを引き受けたら、今後何を断らなくてはならないのか、これを断ったら、今後何を引き受けることができるのか、という判断です。

際限なく寛大さを示そうとすれば、あなたはその優しさのせいで心身ともにすり減り、人を動かす力も弱まってしまいます。ノーと言うことで、きわめて重要な線引きをすることができます。

ほんとうはヘトヘトなのに、それをうわべだけの朗らかさで覆い隠し、ささいなきっかけで逆上しかねない状態でいるのはもうやめましょう。他人を喜ばせるためだけに、心のコンパスを無視してはいけないのです。

「ノー」と言うことで得られる“思わぬ利点”

ノーと言うことに抵抗を感じなくなるにつれて、ノーと言われることにも抵抗がなくなっていきます。

自分の経験に照らせば、依頼を断る理由はたいてい、誰に頼まれたかには(ほとんど)関係なく、個人的な事情にあるとわかります。ノーと言うことは、もっとも基本的な効果として、自分自身のやるべき事柄に取り組む時間をつくる役に立ちます。

しかしこれには、相手にも断ってかまわないと暗黙の許可を与えるという隠れた利点もあります。すると、誰もが成熟し、隠し立てをせず率直なコミュニケーションをとれる関係に変わっていけるのです。ある教え子はその経験をこう語っています。

「人は何かを頼むとき、相手に圧力をかけているわけではないことを学びました。ただお願いしているだけなのです。応じてもらえない可能性があることは理解していますし、それはそれでかまわないのです。以前は、頼みごとをするときには生きるか死ぬかの問題のように感じていましたが、それは大きな間違いであったと今ならわかります」

ゾーイ・チャンス

イェール大学経営大学院助教

画像:PIXTA