主催団体のワールドラグビーから「過去最高のホスト」と評されたラグビーワールドカップ2019日本大会。数多くの困難に直面しつつも、その困難を克服していった組織委員会の様子を「物語り(ナラティブ)」の形で綴ったのが、野中郁次郎氏・川田英樹氏の共著『世界を驚かせたスクラム経営 ラグビーワールドカップ2019組織委員会の挑戦』だ。前編に続く本記事では、多様なメンバーが集まったプロジェクト型組織からいかにしてイノベーションが生み出されたのか、成功と失敗を分けたポイントについて話を聞いた。(後編/全2回)

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【前編】日本初開催ラグビーW杯大成功、組織委員会が偉業を遂げた納得の理由
■【後編】野中郁次郎氏がイノベーション理論で洞察、ラグビーW杯日本大会「成功の本質」(今回)

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イノベーションの原点は「共感し全身全霊で相手と向き合うこと」

――前編では、ラグビーワールドカップ2019で高い評価を得たボランティアプログラムを例に取ってイノベーションの創造モデルを中心にお話をお聞きしました。一方、お二人の共著『世界を驚かせたスクラム経営』では、イノベーションの創造モデルがうまく回らなかった事例として、日本大会の前の開催国であったイングランドとの「引継ぎ会議」を挙げています。「引継ぎ会議」がうまくいかなかった原因はどこにあったとお考えでしょうか。

川田英樹氏(以下敬称略) 「引継ぎ会議」と呼ばれるような会議は、ビジネスの現場でもよく見かけますよね。ラグビーワールドカップでも前例があってそれを引き継ぐのだから、簡単なことのように思えるかもしれません。しかし、前回大会の開催国であったイングランドの組織委員会と日本の組織委員会との引継ぎ会議はうまくいきませんでした。実際に立ち会ったメンバーに聞いてみても「役に立たなかった」「実感を持てなかった」と振り返っています。

 その原因は、イノベーションを起こすための原点である相手の視点になりきって理解しようとする「共感」が互いになかったことです。伝える立場にあったイングランド側には「日本初開催」という点に共感が十分ではありませんでした。聞く立場にあった日本側も「そもそも、これは日本の状況、仕組みとは違うよね」といった感覚があったため、お互いが相手の立場に立って、相手の思いを感じることが足りなかったのではないでしょうか。

 これを組織的イノベーションを創出する「SECI(セキ)モデル」に照らして考えると、互いの「暗黙知」を得る「共同化」を実践することなく、いきなり「形式知」から入ってしまったといえます。

 また、「共感」の場では「文脈の共有」が大事になります。たとえば、昼食の時間が近づいてきたタイミングで「お腹がすいてきたけど、何食べに行く?」と聞いて、誰かが「私はウナギだ」と発したとします。その際、受け手は文脈を理解しているから「ウナギのかば焼きが食べたいんだな」とわかります。しかし、昼食の時間であるという置かれた状況の共有なしに、「私はウナギだ」という発言を聞いても、発言の意図は伝わらないはずです。

 引継ぎ会議を振り返ったとき、大会を終えたばかりだったイングランド大会の組織委員会メンバーと、4年後の大会に向けてスタートしたばかりの、当時は未経験者ばかりだった日本大会の組織委員会メンバーとでは、それぞれが持つ熱量が違い過ぎるため、そもそも文脈を共有することが難しかったと思います。

野中郁次郎氏(以下敬称略) 国と国の間で行われる「引継ぎ会議」ですから、誰かがうまく間を取り持って会議をコントロールしなくてはいけない、と多くの人が考えるでしょう。ところが、組織委員会のようなプロジェクト型組織では、多様な価値観をもった人たちが集まってスタートします。リーダーシップを発揮する存在がいるかどうかも影響するでしょう。プロジェクト型組織の難しさは、最初の段階から一人ひとりが自分事として当事者意識を持たなくてはいけないことにあるといえます。

成功する組織は「失敗を受容し生かせる組織」

――多様なメンバーが集まった前例のないプロジェクト型の組織でイノベーション創出を目指すとき、メンバーの当事者意識を高めるためには何が必要なのでしょうか。

川田 繰り返しになりますが、まずは共感し、そして対話をすることです。私たちは「知的コンバット」という言葉を使っていますが、相手の立場、視点に立って問いかけ、全身全霊で相手と向き合い対話しなくてはいけません。

 一方で、初めて会った人から「あなたはどう思う?」といきなり聞かれてもうまく答えは出せませんし、言わされている感じになりますよね。こちらの考えを伝えても、相手に正しく伝わらないと感じることもあるはずです。当然、最初の段階からうまくはいきませんが、相手の立場に立って共感し、何度も対話を繰り返すプロセスを経て、少しずつ「共感」も深まり、当事者意識も高まることでしょう。

 組織委員会の引継ぎ会議でいえば、正式な会議の前段階で、共感を生み、お互いの立場や役職を越えて理解をもっと深める直接対話の場を設けていれば、結果は変わっていたかも知れません。

――本書の最後には「成功と失敗の本質」をまとめられています。難問山積の巨大プロジェクトを成功させた組織委員会の物語りの中で、成功と失敗を分けたポイントはどこにあったのでしょうか。

川田 前例のない未知の世界に挑戦するときには、全てがうまく行くとは限りません、誰もが一度は失敗を体験するのではないでしょうか。ポイントとなるのは、その失敗の体験を次に生かすこと、そして、うまくいったとしても、その成功体験に過剰依存しないことです。「成功か、失敗か」というより「失敗を生かすか、失敗を失敗のまま終わらせてしまうか」という点が成否を分けるポイントです。

 組織委員会のメンバーは、誰一人としてこれほどの巨大プロジェクトをまとめた経験はなく、未知の難問にチャレンジしていました。そこで失敗することもありました。各メンバーは「いかにして失敗を次に生かすか」を自ら考え、次の行動につなげる組織になっていきました。その背景には、失敗を許容する雰囲気をトップ層が醸成していたことも大きいと思います。

野中 組織委員会のメンバーは一人ひとりが率直に失敗と向き合い、失敗からまたトライ&エラーを繰り返し、失敗をイノベーションにつなげる材料としたところに凄さがあります。決して簡単なことではありませんが、強力なリーダーのトップダウンの仕組みがなくても、「大会を絶対に成功させたい」という共通善に向かうパーパスを共有し、お互いに感じ合って必要なものを補いながら、自律分散型の組織へと自己変革していったのです。

――本書の中では、今、言及されましたように、プロジェクトメンバー全員が組織としてのパーパス(共通善)を共有することの大切さも指摘されています。

川田 組織委員会には、「なぜこの組織が存在するのか」というパーパスが明示的に共有されていたわけではありません。メンバーに共有されていたのは、「一生に一度の大会、失敗はできない、何があっても最高の大会にしよう」という暗黙的に共有化された共通善としてのパーパスです。

 さまざまな困難や失敗を経験しながら、この共通善への強い想いは、想定外のことが起こっても「私の後ろには誰もいない」「私がやらなければ」という圧倒的な当事者意識へと昇華していきました。組織委員会の一人ひとりがパーパスを意識することで、全員が自分事として動く「全員経営を実践する組織」になったといえます。

スクラム型の全員経営でイノベーションを目指してほしい

――組織委員会のように、多様な価値観をもつ人が集まってイノベーションを目指すプロジェクト型組織は今後増えていくと思います。これからの時代、組織にはどのような姿が求められるのでしょうか。

野中 絶対的なリーダーがいるのであればトップダウン型の組織でもよいでしょう。しかし、これだけ想定外の事象が連続して起こり、変化していく世の中では、トップがすべての現場・現実・現物に向き合うことはできません。だったら、スクラム経営を活用しよう、ということが私たちの考えです。ラグビースクラムを組むように、一人ひとりの身体性を重視して、お互い感じ合って進めていきながら、全員の知を総結集し、イノベーションを生み出す全員経営の組織スタイルです。

 スクラム型の組織は、ある意味で日本の新しいリーダーシップの在り方です。多様な価値観をもつ異質な相手とも、共感を媒介にして、体を寄せ合ってスクラムを組めるのは、日本らしさと捉えてよいのではないでしょうか。組織委員会がやってのけたように、共感から始まって、一人ひとりが当事者意識をもって自分ごととして捉え、主体的に動く自律分散型のリーダーシップを目指しながら、ぜひイノベーションにつなげていってほしいと思っています。

 最後に警鐘を鳴らしたいのは、現代の経営は論理分析ありきの数値経営が強調されすぎていることです。私は常々「考えるより感じろ」と話していますが、「頭と身体、どちらが先か」と聞かれれば「身体」です。イノベーションは、まずは直接体験のただなかでの共感から始まるからです。

 組織の存在理由を示すパーパスに共感し、「身体」にまで浸透していれば、目の前のリスクに向き合ったときにも、考える前に「身体」が動くはずなんです。知的体育会系組織とも表現できますが、これからの時代にはそのような組織像が必要です。

川田 一人では成しえない壮大なプロジェクトも、多様な価値観をもつ人が集まって個々が力を発揮するスクラム経営を実践することで、全員の力を生かして成し遂げることができると思っています。当然、うまくいかないこともたくさん出てくるでしょう。本書からぜひ、失敗してもまた挑戦しようと思えるパワーのようなものを感じ取り、皆さんの実践につなげていただきたいと願っています。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  日本初開催ラグビーW杯大成功、組織委員会が偉業を遂げた納得の理由

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一橋大学名誉教授 野中郁次郎氏、フロネティック代表取締役 多摩大学大学院教授 川田英樹氏(撮影:木賣美紀)