人生100年時代といわれる昨今、60歳で定年を迎えるとすると残りの人生は40年です。セカンドライフゆっくり過ごす、再雇用で働く、起業するなど、どのような選択をするかによって、その後の人生も大きく変化します。今回は、石沢さん夫妻(仮名)の事例とともに、老後の起業の注意点についてFPの小川洋平氏が解説します。

念願のカフェを開業し幸せいっぱいだったが…

石沢真人さん(仮名/69歳)は、60歳で地方の優良企業を定年退職し、退職金を元手に自宅を改装。夢だったカフェを開業しました。妻の美智子さんも、仲のよい友人らが集まりおしゃべりできるカフェがほしいと前々から思っており、夫婦の長年の夢を叶えることができ、希望に満ち溢れていました。

カフェの収入と合わせれば生活できるだろうと、真人さんは65歳から受け取れる公的年金を60歳に繰り上げて受け取ることにし、悠々自適なセカンドライフを送ろうとしていました。

コーヒーは真人さんこだわりの豆を取り寄せ、自家焙煎でブレンドして提供し、食事は料理が得意な美智子さんが担当。自宅の庭にある家庭菜園で採れた、季節の野菜を使ったお洒落なランチが人気となりました。

コーヒー一杯300円、ランチコースは数多くの品を提供しながら1,000円という破格の価格で、近所の人が次々来店。10名程度ある客席は、お昼の時間にはいつも満員です。

このように、一見するとやりたいことを叶え、理想の老後を送るように見える石沢さんの生活ですが、実は店の経営は決して楽なものではなかったのです。

老体にムチ打ち、苦行となってゆくカフェ経営

10名程度座れる客席は、ランチの時間帯は連日満席といってよい状態でしたが、それとは裏腹に、どんなにがんばっても手元のお金が減っていっていくという状態に。開業から3年がたったころには、お金のことが原因で夫婦間のケンカが絶えなくなってしまいました。

妻の美智子さんも毎日焙煎作業や豆の仕分けに追われて忙しく、一人で料理を作りながら接客までこなしていました。好きだったはずの家庭菜園も畑を拡張したことで、腰への負担が大きく、苦痛に変わっていきました。年齢も重ねてきて、体力が付いていかず、心身の疲れに加え、お金が手元からどんどんなくなっていく焦りと不安が募っていたのです。

手元のお金をどうにか増やそうと、真人さんより5歳年下の美智子さんも60歳で公的年金を繰り上げて受け取ることにしました。

しかし公的年金は、繰上げ受給により、受給額が少なくなるため、結果としてまだまだ生きる長い老後を、より一層不安いっぱいに送り続けることになってしまったのでした。

そのようななかでも、なんとか自分たちを奮い立たせ、「ここで店を閉じてしまったらもったいないし、収入がなくなってしまう……」と、続けていきます。なんとか根性で9年間経営を続け、真人さんが69歳になるころには退職時に3,000万円あった手持ち資金が300万円程度に減り、ほとんど底をついていました。まだまだ老後の生活は始まったばかりというのに老後資金のほとんどを使い果たしてしまったのです。

そして、今後も自宅の修繕費用などまとまったお金が掛かることも予想され、せっかくのカフェの営業は、もはや楽しみでありません。収入が途絶えるのを恐れ、やめるにやめられず、ただただ馬車馬のように働き続けるという状況になってしまったのでした。

夫婦が「老後破産」の道をたどった原因

石沢さんは、なぜこのような状態になってしまったのでしょうか。最大の要因は、経営計画の甘さ、そしてこの状況の問題点を把握できていなかったことにあります。

石沢さんは当初「夫婦二人で生活していけるだけの収入を得られればよい」と考えて店をオープンし、コーヒーとランチも驚くほどの安さで提供していました。そのおかげもあり近所の人を中心に集客には困りませんでしたが、一日あたりに提供できる食事の数は限られており、得られる利益があまりに少なすぎたのです。

毎日忙しく働いたものの実際の利益は月12万円程度

一日の売上はランチ、カフェ、珈琲豆の販売を合わせて3万円近くありましたが、そのうちの70%が仕入れであり、一日の平均の粗利は8,000円程度にしかならなかったのです。一時的に3万円が現金で入ってきますが、そこから当然仕入れやそのほかのコストを払わなければなりません。

さらに、そこから光熱費などの固定費を支払うことになり、毎月の利益としては多くても12万円程度にしかならなかったのです。

また、2年ほど経過したころには義父母の介護のために店を休業することも多くなり、事業から得られる利益は6万円程度にしかならないこともありました。その状況で店の備品や設備を買い替えることも必要になることがあったため、結局手元のお金を取り崩してしまうことになったのでした。

60歳からの繰上げ受給は65歳からの受給と比較し、30%減

そして、公的年金も60歳から受け取ればよいと考えていましたが、この判断も問題でした。

もし65歳から受け取っていれば2人で受け取ることができた公的年金の金額は夫の真人さんの分が17万5,000円、妻の美智子さんの分が6万5,000円程度と予想され、公的年金だけでも生活費としてはゆとりを持てていたはずでした。

しかし、それを繰り上げして受け取ってしまったため、30%減額されてしまい夫が約12万円、妻も4万5,000円程度で夫婦合計で16万5,000円程度となり、生活が苦しくなってしまったのでした。

カフェを始めてから5年間は石沢さんの月額約12万円の年金とカフェから得られる利益だけで、開業当初石沢さんは現役時代の所得で国民健康保険料が課せられており、当時55歳だった妻の美智子さんの国民年金保険料と合算し毎月約4万円の社会保険料の支払が必要な状態でした。

そして、その後も生活費を含め毎月10万円~15万円程度が赤字という状態になります。妻の美智子さんが60歳になり、公的年金を受給できる年齢になっても預金のマイナスは続いてしまっていました。

また、現金で3万円近くの売上があることで、「そこそこ収入がある」と勘違いしていたことも問題です。仕入れやそのほかのコストが発生してくるので、売上がそのまま手元に残るわけではありません。石沢さんの場合は原価率が70%近くとかなり薄利だったにもかかわらず、経理業務もどんぶり勘定で、それに気がついていなかったのです。

老後破産を回避できた可能性も…「経営」に最低限必要な素養

では、石沢さんのケースではどうすればよかったのでしょうか。

まず、開業当初の利益の見込みが甘すぎた点を反省しなければなりません。

いくら客足が絶えず忙しくても、一日あたり稼ぐことができる粗利は8,000円程度で、月に20日稼働しても16万円。代わりに、水道光熱費が増えたり、そのほか経費が発生し固定費が大体4万円程度掛かります。それを差し引くと利益は12万円にしかならないのです。

これは事前に計算していれば十分にわかったことでしょう。公的年金を繰り上げて受給しても収入は合計で18万円~24万円程度、生活はしていけるレベルではありますが決して余裕を持った生活ができる水準ではありません。

そして、利益がどの程度か、どの程度お金が出入りしているかをきちんとチェックしていれば、問題点に気づいて軌道修正することもできたはずです。収入が少ないことがわかっていれば事業自体を見直すこともできたでしょうし、家計の支出をおさえることで資産の減少を食い止めることもできたのではないでしょうか。

事前の計画と実績のチェック、予定と違った場合の修正を行っていれば、いざ年金生活に入るタイミングで「資産がほとんどない」という状態になることは防げていたことでしょう。

さほど利益を求めているわけではないとはいえ、計画と実績チェックをしてみなければ、石沢さんのように問題点がなにかわからないまま、お金を減らしてしまうこともあるのです。

また、公的年金を繰り上げて受け取っていましたが、十分な資産がないと後々生活が苦しくなってしまいます。

手元の資産を運用しながら取り崩し、カフェだけで生活費くらいは稼げるように計画を立てたうえで開業し、公的年金は65歳から受け取る計画を立てたほうが安心の老後を送ることができたでしょう。

経営未経験のシニアが「ふんわり計画」で起業するのは危険

「退職したら〇〇をやりたい」という夢をお持ちの方も多く、2019年に三菱UFJリサーチ&コンサルティングが行ったアンケート調査では、10年以内に起業した人のうち14.3%が60歳以上のシニア世代となっているなど、リタイア後の起業も少なくありません。

しかし、経営の経験がない人があまり勉強せず、準備も疎かに甘い経営計画のまま始めてしまうと、今回の石沢さんのような失敗につながります。

売上がいくらになり、仕入れがいくら、毎月掛かる固定費がいくらで、最低限いくら売上が必要か……。これらの「最低限事前に考えるべき計画」を立てずになんとなくの価格設定で経営をしてしまい、決算業務も年が終わって確定申告のためにするだけ。結果として毎月のお金の出入りが見えず、起きてしまう問題は多々あります。

どのような起業をしたいのか、自分や家族はどんな生活をしていたいのか、そのためにはいくら生活費が必要で、いくら売上があれば十分なのか。こうしたことを熟慮したうえで、工夫しながら価格を調整したり、店のレイアウトを考えたりすることも必要です。

自分の老後の生き甲斐や楽しみになる事業を始めることは大変よいことではあります。しかし、理想の老後のためにも経営のこと、自分の人生のお金のことについて、しっかり向き合い、理想の将来設計を実現できる計画を立てて始めてることをおすすめします。

小川 洋平 FP相談ねっと

(※写真はイメージです/PIXTA)