「世の中のリアル」を伝えるをテーマに、未来に夢を抱くN/S高(N高等学校S高等学校)の生徒たちへ向けた「学園生のための特別授業」。富野由悠季監督が登壇した第3回を経て、2023年10月24日に行われた第4回目は、直木賞作家の宮部みゆきさん、京極夏彦さんが登壇。「感動するって何だろう?」をテーマに、創作の過程や仕事に対する向き合い方など、普段なかなか知ることができない“小説家のリアル”を伝える授業が行われた。

【画像】「小説家は他人の感動をどうこうできるような立場にはない」と京極夏彦さん

会場にリアル参加した生徒および、ライブ配信で受講する多数の生徒を対象に行われた特別授業。その内容は、司会者や生徒から寄せられた質問に二人が一問一答の形式で答える…といったもので、創作や執筆、人生についての質問や相談も飛び交った。実際にどのようなやり取りがあったのか、授業の一部を紹介。後編では、いよいよ本題「感動するって何だろう?」に迫る。

――(司会からの質問)最後のテーマ「感動するって何だろう?」という本日の本題となります。

宮部みゆき読売新聞の日曜書評欄を書く読書委員を務めています。つい最近「犬が看取り、猫がおくる、しあわせのホーム」(光文社)という、高齢者が犬や猫と一緒に住んでる特別養護老人老後ホームの本を紹介しました。まず驚いたのは、この本の中には「ペット」という言葉が出てこないんですよ。それから、同伴入居してきたワンちゃんやネコちゃんがそこで飼い主を看取って、ホームの中で次の飼い主さんを見つける場合もあるそうで、評を書きながら泣けてしまいました。私にとっては、「感動すること」の中に、自分の仕事に占めている書籍、本の世界というのが、すごく大きいなあと思っています。

京極夏彦】「感動って何だろう?」って考えるときに、今の宮部さんのお話はすごく腑に落ちるお話なんですね。最近、納得のいかない言葉がいくつかあるんです。「感動をもらう」とか「感動をあげたい」とか、いうでしょう。感動はやりとりできませんよ。感動とは「何かをする」、あるいは「何かを受容する」ことによって、「その人の感情が揺り動かされる」ことを言うんです。つまり非常に個的なものなんですね。

宮部さんは本の中で確実に自らの体験や自らの感情とリンクする部分を発見できた。だから感動した。でも別の人は感動できないかもしれない。物語というのは、読んだ人が作るんです。どんな感動も読んだ人の中から湧き上がるもの、その人の中だけにあるものなんです。したがって「どうやったら感動させられるでしょうか?」というのは無理筋の質問なんです。小説家は他人の感動をどうこうできるような立場にはないんですね。ただ、いろいろな人が感動できるような装置を作ってあげることはできます。

――(生徒からの質問)誰かを感動させる物語というのが自分にとってとても難しく感じます。宮部みゆき先生や京極夏彦先生にとって感動を与える物語とはどのようなものですか?

宮部みゆき】(感動する物語は)受けた人の心で育つもの。私たちがどんなにいい話を書いたとしても、読む方の中には、その中に偽善を感じたり、「何かすげえ作り話っぽいなあ」とか思う場合もあるかもしれません。「感動させよう」とか「感動してもらわないとよい作品にならない」ということは全然ありません。感動は後から芽吹いてくるものなんです。

京極夏彦】「誰かを感動させたい。その誰かって誰?」という話ですよね。「誰を感動させたいのか?」まずそこをはっきりさせましょう。「不特定多数をみんな感動させたい」、これは大変なことです。私たちが日々努力していることです。まず「誰かに喜んでもらえる」という具体的なものをひとつ用意するのは、とても有効なことかもしれません。

――(生徒からの質問)感動は自分を成長させるために必要な感情だと思います。感動することがその人の人生に与える影響についてどう考えますか?

宮部みゆき】「何が心を支えてくれるんだろう」と冷静に振り返ったときに、若い頃、学生時代に読んだ本の中にあった言葉を支えにしてきたとは思うんです。それは感動に限らず、憧れでもあり、時には反発でもあります。今読み直すと、若いときと違うところで感動するんですよね。「16歳の私は佐藤愛子先生のこんな文章に感動したけれど、今の私はこっちの方が身に染みるんだよ」ということもある。だから今、あなたが考えていることを、あまり思い詰めずに、むしろ積極的にどんどんいろいろなものを読んだり、書いたり、人に会ったり、人の話を聞いたり、景色を見たりしている中で、心の中に自然に溜まっていくものの中から、いつか答えが見つかってくると思います。

京極夏彦】実をいうとそういう意味での感動をした記憶はあまりないんです。でも一方で先ほども言ったように感動は心の動きでしかないわけですから、そういうふうに捉えるならば、ほとんどのものごとに感動していたと言い換えることもできますね。そうしてみると、たくさんの感動の中から、自らの成長に貢献したものだけを選び取って、このおかげで「私の人生は花開いた」とか、「豊かになった」とか、そういうふうに考えるのはちょっともったいないと思うんですね。どんな些細なことでも、どんな小さなことでも必ず何かの役に立っています。今のあなたを形成しているのは今まで生きてきたすべての蓄積です。

「これによってガラッと人生が変わった」とか、「この一言によって生きる道を見つけた」とか、そういうのはすべて思い込みに過ぎません。思い込みを捨てたところから進歩が始まります。何かを足掛かりにするのはいいけれども、あまり意識せずにいろいろなものを体験し吸収して、さまざまな小さい感動を積み重ねていくのもいいかなと思う次第です。

こうしてさまざまな質疑応答がなされて授業は白熱し、大盛況のうちに終了した。授業後のアンケートでは、生徒より「感動させると言う考え方は傲慢で、制作を通して何かを感じる人がいたらいい、と言うくらいの気楽さを持ちたい」「この世におもしろくないものなどない、という言葉が特に突き刺さりました」など多くのコメントが寄せられた。

N/S高生向けに豪華講師陣による特別授業を実施