映画『コット、はじまりの夏』が明日から公開になる。本作はアイルランドの田舎町で暮らす9歳の少女コットのひと夏を描いた感動作で、大事件やスペクタクルが描かれることはないが、観る者を魅了するダイナミックなドラマが描かれる。脚本と監督を務めたコルム・バレードは語る。

「それは静かなる行動です。しかし、彼女の内側では大きな変化が起こっている」

本作の舞台は、1981年アイルランド。9歳のコットは、家にも学校にも居場所がなく、自分の思っていること、自分の感情をうまく表に出すことができない。ある日、一家に赤ちゃんがうまれることになり、コットは夏休みを親戚夫婦のもとで過ごすことになる。

親戚のショーンアイリンの夫妻に迎えられたコットは当初、緊張していたが、夫妻はコットに愛情を注ぎ、豊かな自然と穏やかな暮らしの中でコットは少しずつ変化を遂げていく。

本作は主人公コットの成長や、ショーンアイリンとのドラマがさまざまな状況、エピソードを交えて描かれるが、バレード監督は脚本を書く段階から映画のほぼすべてを“コットの視点”で描くことを選んだという。

「原作になった小説も主人公の一人称の視点で描かれています。小説では彼女が見ていないものは一切、出てきません。映画では彼女のいない時間もいくつか描くことになりましたが、私は視点の明確な映画、ある特定の人物から世界を見ている映画が好きですから、このような語り口にワクワクしましたし、このスタイルを実現させるための視覚的言語を見つけていく過程も楽しむことができました」

バレード監督は、コットの心情の変化に合わせてカメラの位置や画面の色、光を緻密に設計し、観客がスクリーンを見ているだけで彼女の感情がスッと入ってくる語り口を目指した。さらに監督は、観客が映画を観ながら“自身の過去”を思い出してもらえたら、と語る。

「この映画は、物語の起伏で観客をひきつける作品ではなく、キャラクターの魅力が作品の中心にあると思います。つまり、コットのその時の感情のあり方が、映画のテンションを決定するのです。

私はこのスタイルで語り、観客に“自分の子どもの頃”を思い出してもらいたいと思いました。コットを見ることで観客は自分の記憶を掘り下げ、記憶の中にある一瞬のイメージや当時の感情が沸き上がってくる……そんな映像にできないだろうか? 撮影を通じてずっとそんことを考えていました」

劇中のコットは不安を抱えていて、ひとりで自由に遠くまで移動する手段もなく、初対面の人を前にすると少し緊張する。でも、それは私たちが子どもの頃も同じではなかっただろうか? この映画の主人公は魅力的だが特別ではない。コットのドラマには観客の“記憶につながる扉”が開かれている。

「そのため、本作では1.37:1という画面比(映画の世界で“アカデミーサイズ”と呼ばれる画面比。現在のテレビの画面比、1.78:1よりも、昔のテレビ放送や正方形に近い)を採用しました。コットの等身大の世界にぴったりだと思いましたし、フレームの外に彼女がまだ理解しえない、彼女のまだ手の届かないものがあるのだと感じられる画角だと思ったのです」

本作ではあえて左右の視界の狭い画角を採用することで、コットの見た風景や、彼女の“狭い視野”をスクリーンに描き出していく。さらにフレーム内で登場人物が出たり、入ってきたりする演出が緻密に組み立てられており、画面から人が出ていく際には単に“3人いた部屋から1人出ていって、2人になった”ではなく、“1人がいなくなった”ことが強調されている。

「そのことはとても意識しました。この映画は“不在”についての映画でもあると思うからです。親がコットに与えるべきケアの“不在”、その部屋にいるはずの家族がいない=不在のドラマ……本作は超常現象を描いた作品ではないのですが(笑)、撮影している時はそこにはいない人=不在を感じながら撮影していたように思います」

「“走ること”が映画全体のメタファーになっています」

コルム・バレード監督

コットには最初、自分の想いを打ち明ける家族や友達が“いない”。そして、身を寄せたショーンアイリンの夫婦もある“喪失”を抱えていることが明らかになってくる。誰もが心の中に空白や不在や哀しみを抱えているのだ。

そんな中でコットは、少しずつ自分自身を発見し、成長を遂げていく。そこでバレード監督が重視したのはコットの“運動”だ。コットは内気な子どもだが、走ることが得意で、走っているとき、彼女の表情は輝いてみえる。監督は全編を通じて、コットの足、そして彼女の運動=走ることの状態と、その内面の変化がシンクロするようシーンを組み立てていった。

「彼女が走ること、彼女の運動については脚本の段階から意識していました。この映画では“走ること”が映画全体のメタファーになっています。コットは劇中で走ることを学びますが、それは生きることを学ぶ、よりよく生きることを学ぶことだと思うのです。

ですから、本作の冒頭ではあえて風景のショットからスタートさせて、カメラが移動するとコットが草の中に隠れているのが見えてきます。しかし、彼女は動きません。観客は“死体なのか?”と思うかもしれません(笑)。やがて彼女は立ち上がり、動き出すのです。この最初のカットは、動かないコットに命が吹き込まれていく本作の物語のすべてを示唆するものだと思います。もし良ければ、映画を最後まで観てもらって、改めて最初のカットを観てもらいたいですね」

家族から離れて、少し遠くの親戚の家で過ごした夏。コットは少しずつ走り方を学び、自分の気持ちを誰かに伝えることを学び、誰かの気持ちを受け取ることの大切さを学んでいく。彼女が走る時、彼女の感情は動き出す。そして描かれるラストシーンは多くの人の心を掴むだろう。ラストに何が描かれるのかは観てのお楽しみだが、最後に監督が結末に込めた想いを掲載する。

「この映画の結末でコットがとった行動は、“ここから逃げ出したい”ということではないと思います。彼女はいつしか自分の愛情や感謝、抱擁の気持ちを自分で表現できるようになったので、自分の気持ちを伝えたい、表現したくて、あのような行動に出たと思うのです。

それは静かなる行動です。しかし、彼女の内側では大きな変化が起こっている。作品を最後まで観ていただけたら、きっとそのことがわかっていただけると思います」


『コット、はじまりの夏』

1月26日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、渋谷ホワイトシネクイントほか全国公開

(C) Insceal 2022

『コット、はじまりの夏』