2024年元日に発生した能登半島地震に対し、全国から救援部隊が駆け付けました。なかでも自衛隊機で迅速に運ばれたのが東京消防庁横浜市消防局の小さなレスキュー車。これらは過去の震災の教訓から生まれた特殊な消防車でした。

自衛隊の輸送機でイッキに現地入り

2024年1月1日石川県能登地方を震源に発生し、5年半ぶりに最大震度7を記録した能登半島地震は被害の全容が見えない状況が続いています。地震の揺れによる建物の倒壊だけでなく、珠洲市では津波が、輪島市では大規模な火災がそれぞれ市街地に大きな爪痕を残しました。

道路などの交通インフラが寸断され、陸路から救助車両を通すことは難しくなりましたが、ようやく18日に「能越自動車道」と「のと里山海道」の一部が復旧しました。被災地に近い能登空港のと里山空港)も仮復旧して航空自衛隊C-130輸送機が11日から離着陸できるようになったものの、民間機の再開は27日までお預けという状況です。

そうした中、東京消防庁横浜市消防などから派遣された緊急消防援助隊の一部は、陸路ではなく空路で被災地へと迅速展開しました。用いられたのは航空自衛隊C-2輸送機で、これによって石川県の小松基地(小松空港)まで最短距離で移動し、被災地へ入り捜索・救助活動を行っています。

このとき運ばれたレスキュー車は航空機に積載可能なよう、専用に設計されたものです。このような消防車両が開発された背景には、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災と、2011年に発生した東日本大震災、これら2大災害での反省がありました。

阪神・淡路大震災では倒壊した建物のがれき、東日本大震災ではそれに加えて津波堆積物が、救助車両の現場への進入を妨げました。そのため車両に積載していた救助資機材をレスキュー隊員が現場まで運ぶことができず、がれきやコンクリートなどに挟まれた人々の救出が難航。満足な救助や捜索が行えなかった苦い経験がありました。

こうした教訓を踏まえて開発・配備されたのが「救助工作車IV型」と「大規模震災用高度救助車」で、いずれも自衛隊C-130輸送機への積載を前提とした設計が取り入れられています。

「AR」と「ER」何の略?

先に登場したのは「救助工作車IV型」です。この車両は阪神・淡路大震災を教訓に、必要な人員・資機材を機動的に被災地へ投入し、効果的な人命救助活動を行える装備として開発され、1996年から東京消防庁などへ配備が始まりました。

全国の消防組織に広く配備されている「救助工作車III型」、いわゆるレスキュー車と同じような高度救助資機材を搭載しつつ、航空自衛隊C-130輸送機に積載して空輸できるようにするため、小型の救助工作車2台に機能を振り分けているのが特徴です。そのため、出動時は2台1組で運用されます。

帝国繊維(テイセン)のカタログでは、1号車には3t引きのフロント油圧ウインチと照明装置2灯(150ワット×2)が、2号車には3t引きのリア油圧ウインチと照明装置(LED450ワット×2)、発電装置が装備されているとのこと。もちろん交通事故のような市井での救助活動にも対応しています。

一方、「大規模震災用高度救助車」は、前出の救助工作車IV型をベースに開発されました。2台1組であることは救助工作車IV型と変わりないですが、震災対応に特化した資機材をそれぞれ搭載しているのが特徴です。

エアレキューツール破壊器具がメインの1号車(AR:Air Rescue)は、がれきなどに閉じ込められた要救助者を迅速に救出するため、車両後部に高圧エンジンコンプレッサーを装備。圧縮空気を使用するコンクリートカッターやチッピングハンマー、ロックドリルなどを積載・使用することで、救助の障害となる物体を素早く破壊・除去することができます。これに加えて、画像探査機、熱画像直視装置、夜間用暗視装置、地震警報器なども搭載しています。

電動器具がメインの2号車(ER:Electric Rescue)には、車両発電機を利用した電動式器具が装備されています。電動式救助器具としてはスプレッダーやハサミカッターなど、電動式破壊器具としてはコンクリートブレーカーハンマードリルなどを搭載しているほか、夜間は照明車としても活用できます。

能登半島地震の運用実績をフィードバックか?

総務省消防庁東日本大震災の経験から、2013年に横浜、浜松、京都の各消防本部へ大規模震災用高度救助車を配備し、緊急消防援助隊に関する活動体制の充実強化を図りました。横浜市消防局はARを「機動震災救助車」として、ERを「能見台震災救助車」として配備しており、今回の能登半島地震では共にC-2輸送機で空輸され、現地入りしています。

「救助工作車IV型」や「大規模震災用高度救助車」は輸送機に積載できるため、島嶼部での災害でも迅速に人と救助資機材を送り込むことができます。ただ、能登半島地震では陸路の多くが土砂崩れや盛土の崩落などによって通れなくなり、2000m級の滑走路を持つ能登空港も閉鎖されました。

もともと険しい海岸線に囲まれ、山地がほとんどを占める能登半島は、県庁所在地である金沢市からも遠く、国道249号のような主要道路が寸断すると一気に「陸の孤島」となってしまいます。そのため、救助資機材や物資の輸送に必要な車両を入れることが難しく、被災地の救援を困難にしました。

阪神・淡路大震災東日本大震災の教訓で生まれた救助車両が今、能登半島で活動しています。ただ、次の災害に備えて1人でも命を助けるため、どのような方法がベストなのか、今回の教訓を踏まえ、改めて考え直す時期が来ていると言えるでしょう。

「救助工作車IV型」や「大規模震災用高度救助車」も導入から10年以上経っているため、もしかしたら、今回の能登半島地震での運用を基に、より高性能な空輸対応型レスキュー車が開発されるかもしれません。

航空自衛隊のC-2輸送機で空輸された「救助工作車IV型」(画像:防衛省)。