1990年から1994年にかけて週刊少年ジャンプで連載された冨樫義博の人気漫画『幽☆遊☆白書』が、Netflixシリーズとして実写化された(12月14日より全世界配信中。全5話)。『君の膵臓をたべたい』で知られる月川翔監督がメガホンを取り、北村匠海志尊淳本郷奏多、上杉柊平、稲垣吾郎綾野剛らが出演。暴走車に轢かれそうになった子どもを救った結果、命を落とした浦飯幽助北村匠海)。彼は死者を裁く任を負ったコエンマ町田啓太)の提案により“霊界探偵”として復活。人間界で起きている異変を調べていく。

 Netflix×漫画の実写化といえば、『今際の国のアリス』『ゾン100ゾンビになるまでにしたい100のこと』等々、既存の国内作品ではなかなか到達できなかった迫力ある映像が売り。『幽☆遊☆白書』においては約5年の制作期間を要したそうで、こだわりの映像表現は配信後に大きな話題を呼び起こした。

 そもそもなぜいま「幽☆遊☆白書」なのか?については、世界的なヒットが見込める作品だから――に尽きるように思う。Netflixは『ONE PIECE』『鬼武者』『PLUTO プルートゥ』『悪魔くん』等々、国産の人気漫画やゲームを次々に実写化・アニメ化しているし、本作もその一環といえそうだ。「実写化できるのか⁉」という技術的な挑戦はあるにせよ、30年来のファンが存在する『幽☆遊☆白書』は申し分のないタイトル。しかも、出来上がった作品の中身を観ていると、“知らない”層にも(世界的に)受けそうな要素が多数見受けられる。端的にいえば、少年漫画の“王道”が詰まっているのだ。

幽☆遊☆白書』は、人間界と霊界(妖怪たちが住む世界)が結界によって隔てられた世界が舞台。それを揺るがしかねない巨悪・左京(稲垣吾郎)と彼と共に動く戦士・戸愚呂兄弟(滝藤賢一綾野剛)を打ち砕くために幽助が動く――というストーリー展開は実に明快で、桑原(上杉柊平)や蔵馬(志尊淳)、飛影(本郷奏多)といったキャラクターたちとぶつかり、一人ずつ仲間にしていく友情ドラマに修行編、クライマックスは幽助と戸愚呂弟の対決(いわゆるボス戦)で、とにかくドストレートなのだ。幽助や桑原が覚醒するのは大切な人々の命が危険にさらされたときで、この展開も実に少年漫画的。いわゆる「友情・努力・勝利」を丁寧になぞっていく内容になっている。

 昨今のジャンプ漫画の潮流に比べると少々懐かしい“型”になっているのだが(ある種、原作以上にベタになっている)、世界配信であることを考えたときにこの味付けは大いに納得できる。この懐かしさ自体が、世界に浸透している少年バトル漫画の文化とも見ることができるからだ。つまり、誰が見てもスッと飲み込めるような、ハードルを作らない内容であるということ。そこにハイクオリティな映像が加われば、見ごたえの面で“新鮮さ”は担保できるわけで、懐かしい物語と(技術的に)新しい映像のコラボレーションがしっかり棲み分けられているのは非常に上手い構成だ。

 そして、気合の入りまくった映像が展開。第1話の冒頭、幽助が車に轢かれるシーンには度肝を抜かれるし、幽助と妖怪に取りつかれた同級生(佐久本宝)のアクロバティックなバトル(韓国のゾンビアクションのエッセンスも感じられる)、第2話で展開する配車場のド派手なバトル(敵が背後から投げた車のドアを後ろ飛びで避け、踏み台にしてジャンプするシークエンスが白眉)、さらには肉体を変化させる能力を持った戸愚呂兄弟のグロくも滑らかな映像表現等々、毎話「おおっ」と驚かされる“新しさ”が用意されている。

 観やすさと目新しさの両立を感じられる実写版幽☆遊☆白書』。原作のストック的にも、話題性的にもシリーズ化を期待できる内容であり、今後Netflixの看板コンテンツになる可能性も大いに秘めている。

文=SYO

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