阪神タイガースが優勝すると人が飛び込む…そんなイメージを持つ人もいるであろう道頓堀川。全国的に有名だが、その名の由来を知っている人はどのくらいいるのだろうか。
■道頓堀という地名の由来を知っている
Sirabee編集部が全国の10代〜60代の男女800名を対象に実施した調査では、全体で11.3%の人が「道頓堀という地名の由来を知っている」と回答した。
なお男女別に見ると、男性は14.9%、女性は7.1%という結果になっている。
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■堀と聞くとお城を連想する
編集部が話しを聞いた40代の女性は、「大阪には縁はありませんが、もちろん道頓堀という地名は知っています。堀と聞くと、お城があったのかなと連想しますが、違うのでしょうか?」と首を傾げる。
彼女が言うように、堀とは、敵や動物の侵入を防ぐため、城、寺、豪族の住居、集落、古墳などの周囲に掘られた溝のこと指す言葉だが、さらに、人や物を運ぶための運河として掘られた水路も堀という。道頓堀の地名の由来は、後者にあたるようだ。
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■道頓の死を悼んで命名された
道頓堀の地名の由来は、慶長17年(1612)に遡る。船運の便をよくするため、新川(現在の道頓堀川)奉行に任命された成安道頓が開削工事を指揮することに。しかし、大阪夏の陣によって道頓が戦死してしまい、戦後復興を任された松平忠明(摂津大坂藩主)が安井九兵衛(道卜:どうぼく)らに工事の再開を命じて完成させたという。
完成当初は新川、新堀などと呼ばれていたが、私財を投じてまで開削に尽力した道頓の死を悼んだ忠明が「道頓堀」と命名したのだそう。
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■道頓の姓は「安井」だと思われていた
ところで、大阪日本橋には、道頓と道卜が天皇陛下から従五位を追贈されたことを記念して大正4年(1915年)に建立された石碑があり、そこには、「贈従五位安井道頓安井道卜紀功碑」と刻まれている。
じつは、成安道頓は長い間、道頓堀を完成させた安井道卜と同じ安井姓であると言われてきた。しかし、道頓堀川の改修工事を行った際に道卜の子孫が、先祖が自分の土地に自分の資金でつくったものであるとして川底の所有権を主張したことで、1965年から1976年の長期に渡る裁判となり、道頓が安井姓ではなく成安姓であると結論づけられることとなったのだ。
では、なぜ道頓は安井姓だと思われていたのか。戦死した道頓のあとを継いで安井九兵衛らが堀の開削を進めたと代々語り伝えられているうちに、いつしか成安姓が安井姓にすりかわってしまったのではないかと考えられているそうだ。いずれにしても、人々の暮らしのため堀の開削に尽力した人たちへの敬意が込められた石碑であることに代わりはないだろう。
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