第169回の芥川賞を受賞した市川沙央さん著『ハンチバック』(文藝春秋)をきっかけに、読書バリアフリーが注目を集めている。2019年には「読書バリアフリー法」(障害の有無に関わらず、すべての人が読書による文字・活字文化の恩恵を受けられるようにするための法律)が施行されたが、一般に広まったとは言いがたかった。

しかし「5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた」(『ハンチバック』より)とストレートに問題提起した作品の影響力は大きかった。作品が話題になると、紙の本を読むことが、一部の特権を持つ(=障害がない)人たちのものになっている現状が多くの人に知られるようになってきた。現状はどうなっているのか。読書バリアフリー実現を模索する、ある企業の取り組みを聞いた。(ライター・ 和久井香菜子)

●視覚障害者はどう本を読んでいる?

ところで、視覚障害者がどのようにして本を読んでいるか、ご存じだろうか。周囲に視覚障害者がいなければ、「点字の本を読んでいる」と考える人が多いのではないか。

私は、文字起こしや文章作成、バリアフリーを監修する会社を経営している。主に視覚障害者を採用しているのだが、そこで感じるのは視覚障害者たちの読書環境の貧弱さだ。Kindleなど電子書籍が普及し大幅に改善されたとはいえ、晴眼者(視覚に障がいのない人のこと)と同等の選択肢があるとは到底言いがたい。

視覚に障がいがある場合、読書の方法は、(1)点字で読む、(2)音訳図書で読む、(3)電子書籍で読む、(4)拡大図書で読む、の4つに大別される。

点字と音訳の問題は、その制作がボランティアに依存されていることだ。制作には時間がかかるし、クオリティもさまざま。どちらも技術の必要な作業だが、なり手が少ないという問題もある。また点字が読めるのは視覚障害者のうち12%ほどと言われている。つまり、ほとんどの視覚障害者は点字が読めない。

電子書籍の場合は、「リフロー型」と呼ばれるタイプで、自動読み上げが可能になっていれば読むことができる。パソコンやスマホで文字を音読させるのだ。もちろん、オーディオブックも“読める”本のひとつだ。

一方で、電子書籍になっていないものも数多くある。PDFなど画像で表示される雑誌も電子書籍では読めないことが多い。また学術書のようなニーズの少ない書籍も、まず点訳されることも音訳されることもない。大学に進学する視覚障害者が増えてきた中で、学習や研究に支障が出ているのだ。

●本を撮影し、読み込ませた文章を音読させる

こうした現状を受け、電子書籍化されていない紙の本を、ITの技術で読めるようにするサービスがある。株式会社スプリューム(東京・品川区)が運営する読書支援サービス「ユアアイズ」だ。これらのアクセシビリティー対応が評価され、2023年に第17回電子出版アワード大賞を受賞した。

手持ちのスマホを専用のボックスに設置して本を撮影すると、読み込ませた文章を音読させることができる。今のところ、紙の書籍を視覚障害者が自力で読める数少ないツールだ。電子書籍はPCやスマホに「読み上げ」をさせることで、音として耳で文章を聴くことが可能だが、日本語の場合は漢字の読み間違いが多い。

例えば「行った」を「おこなった」と読むのか「いった」と読むのかは文脈によるが、その判別はまだできない。そのほか「1日」「一人」なども誤読が多い。またレイアウトが複雑になると正しい順番で文章が読まれないこともある。ユアアイズはこうした不具合を解消し、より正確で聴き取りやすい日本語で読み上げられることにこだわっている。

だが開発を手がけた想隆社(東京・新宿区)の山本幸太郎さんは、「視覚障害者のためのサービスとして作ったのではない」という。

「視覚障害者の定義とはなんでしょうか。よくあるのは著作権法第37条による視覚障害者を『障害者手帳を持っている人』と定義する考え方です。でもそうした区切りはしたくなかった。障害者手帳を持っていないけれど文字が読みにくくてすごく困っている人もいますし、視力に問題はないけれど文字を認識しづらいディスレクシアの人もいます。障害はいろいろなグラデーションがあるんです」

ユアアイズ図書館が読書の困難な者に対して著作物の複製、譲渡、公衆送信をする際の取り決めを定めた著作権法37条3項に基づき、図書館での使用をメインに考えているという。

しかし多くの障害者は、移動そのものが大変困難だ。1人では外出しづらい人は多いが、ヘルパーを頼みたくても空きがないこともある。「家の近くにない」「ヘルパーさんに図書館で本を読んでいる間、待っていてもらうのは気が引ける」という意見もあり、一般の図書館利用はなかなかハードルが高い。

著作権に関しては、さまざまな配慮をしています。まず使用する際には必ず表紙を撮影してもらい、実物を持っていることを証明するように設計しているんです。撮影された本の画像データをサーバーに送り、それを音声化してスマホに送っています。ですから機械は中身を読めるけれど、人間には読めないデータになっているのです。決してテキストを送っているわけではないので、悪用はまずできないでしょう。著作権者や出版社に非常に配慮して作っています」

写真を撮ってサーバーに画像を送っても、テキストデータとしては利用者に送られないため、簡単に転用できないということだ。

●自炊業者に依頼する全盲の人も

しかし実際に当事者に意見を聞いてみると、音声で読み上げるだけではなく、文字情報が欲しいという意見がある。難解な文章だと音だけではなく漢字を確認したいこと、学術書などにはメモ書きができる機能も欲しい。改めて考えてみれば、これらは晴眼者の我々には当たり前の要望だ。

紙の本が読みたい場合は、「自炊業者」(本の電子化を行う業者)に依頼して、PDFにしているという全盲の人もいた。それ以外にその本を読む方法がないからだ。点訳や音訳されていない本を読みたい場合、また音だけではなく漢字を確認したい場合、現在のところ全盲者には選択肢がない。自炊業者を利用するくらいなら、ユアアイズでデータを確認できないものだろうか。

「技術的には不可能ではありませんが、著作権を考えると難しいところです。ですので、これは出版社の方々のご理解があれば、実装可能です」

出版社の懸念も分かるが、どんなシステムにしても悪用する人は出る。学習すること、情報収集することは人生の可能性を大きく広げるはずだ。選択肢を奪われている障害者に対して、懸念だけで可能性を閉ざすのではなく、一緒に解決策を考えることはできないだろうか。

デジタルの力を借りれば、視覚障害者だけではなく、肢体不自由の人、ディスレクシアの人など、多くの人が読書に親しめるようになる。そして知識は、よりよい職を得る可能性を高めてくれ、また人生を豊かにしてもくれる。

「読書バリアフリー」によって、多くの人に平等にチャンスを与える。人権に関わる問題なのだ。

「紙の書籍」音読サービスが挑む「読書バリアフリー」な世界 漢字の読み間違いなど苦労重ね