陸上自衛隊で唯一の落下傘部隊である第1空挺団エリートと称される彼らはどんな訓練を受けているのでしょうか。胸元に輝く「空挺徽章」が授与されるまでの5週間、その訓練に密着しました。

最初の関門「基本降下課程」って?

毎年1月の初旬に行われる陸上自衛隊第1空挺団の「降下訓練始め」。多くの一般市民が訪れ、一様に青空を舞う“大輪の花”、もといパラシュートの大群を見上げます。

このイベントにおいてメインとなるのは、落下傘と呼ばれるキノコ型のパラシュートによる空挺隊員の降下でしょう。他にも、一般的なスカイダイビングなどで使用される四角いパラシュートを使った降下も披露されますが、こちらは自由降下といって、落下傘降下とは異なる目的で使用されます。

落下傘による降下は、会場アナウンスによると「東京タワーとほぼ同じ高さ(約333m)」から「新幹線とほぼ同じ速度(約300km/h)」で飛行する航空機から跳び降りているそうです。

一見すると跳び降りているだけなので、簡単そうに思えます。ただ、実はそういったことが行えるようになるためには、数多くの訓練と幾多の段階を踏んで相応の資格を取る必要があります。

そもそも、前出の第1空挺団は、陸上自衛隊で唯一の落下傘降下の専門部隊です。ゆえに、ここでは落下傘降下に関する専門教育を一手に引き受けており、そのための専門部隊として「空挺教育隊」が編成されています。

空挺教育隊に入り、最初に受けるのが「基本降下課程」です。なお、同教育隊では他にも「降下長課程」「自由降下課程」「幹部・陸曹空挺レンジャー課程」などを担当しており、まさに空挺隊員の登竜門といえる地位を築いています。

つまり、誰でも輸送機ヘリコプターから跳び出してパラシュートを開けば良いというワケではなく、しっかりと専門的な教育を受け、基準をクリアした隊員だけが空挺隊員として航空機からの落下傘降下をすることが許されるのです。

空挺隊員の基礎知識「5点着地」とは

ちなみに、この基本降下課程は5週間の教育期間があります。民間のスカイダイビングなどと比べると、教育だけでなぜそんなに長いのかと思われるかもしれませんが、落下傘降下が、それだけ危険をはらんでいるからです。

だからこそ、事前の教育をしっかり実施することが必須だといえるでしょう。最初は落下傘の取り扱い方や、降下に耐えられる体力を付けるための基礎教育が行われ、その後は段階を経て、最終的に航空機から跳び出します。

これら一連の訓練で最も重要になるのが、着地時の姿勢だそう。「5点着地」と呼ばれている着地方法で、着地時のショックを和らげるために「足裏」「ふくらはぎ」「太もも」「尻」「背中から肩」と身体の5か所を順番に接地させるというものです。

文字だけ読むと格闘技の「受け身」に似ていると感じるかもしれませんが、「5点着地は2階から跳び降りたショックを吸収できる」と説明されるため、実態は似て非なるものになります。

最初は地面に転がる訓練。次いで低い台から飛んで転がる訓練、そして徐々に台の高さを上げていき、どのような高さから着地しても正しい姿勢が取れるようになるまで訓練し続けます。

ここまで行くと、次は様々な器具を使っての訓練が開始されます。ほとんど操作できないと言われる落下傘ですが、それでも”微調整” は可能なのだとか。また、風下に正対することが安全な降下に繋がるため、傘自体を旋回させる必要もあるそうです。

こうした基礎的な訓練が終盤を迎えると、歴代の防衛大臣などが経験したC-1輸送機を模した「跳び出し塔」と呼ばれる施設や、実際の輸送機などと同じサイズのモックアップなどを使用しての跳び出し手順の確認なども行われます。

駐屯地のシンボル「降下塔」からジャンプ!

その後、最終訓練として行われるのが、習志野駐屯地のシンボル的存在である「降下塔」での訓練です。

約80mある降下塔に訓練用の落下傘ごと吊り上げられ、あるタイミングで落下傘が切り離されると、フワフワとはいえないスピードで地上まで降りてきます。

見ていると、降下速度が速いように感じますが、空挺訓練生は見事な着地姿勢で次から次へと地上に降り立っていきます。

こうして一連の訓練を終えたのち、基本降下課程の〆として実施される実機からの降下は、駐屯地から車で5分ほどの距離にある習志野演習場で行われます。

ここでは、陸上自衛隊CH-47大型輸送ヘリや航空自衛隊C-2輸送機などが支援部隊として参加します。もちろん、航空自衛隊輸送機習志野演習場に降りることはできないので、空挺訓練生は海上自衛隊の下総航空基地(千葉県柏市)や航空自衛隊の入間基地(埼玉県狭山市)などに移動してから、輸送機に乗り込みます。

気象条件などにもよりますが、スケジュールどおり実機からの降下を5回経験すれば、空挺訓練生には空挺徽章が授与され、一人前の空挺隊員としての第1歩をスタートするのです。

なお、仮に実戦となれば、1回でも実機から降下すれば空挺徽章の着用を許されるとのことですが、幸いにも陸上自衛隊は実戦経験がないため、過去に1回の降下で空挺徽章をゲットした隊員はいないといいます。

厳しい訓練を乗り越えた者だけに与えられる空挺徽章。ある意味では特殊能力ともいえるスキルですが、これはあくまでも多岐に渡る陸上自衛隊の作戦を遂行するための手段のひとつでしかありません。

戦略予備として待機するのも任務

肉体的にも、精神的にも厳しい訓練を乗り越えた空挺隊員は、一般部隊の隊員よりも優れた身体能力を持っているともいえるでしょう。そのため、被害範囲が広範囲に渡った東日本大震災では、福島第一原発周辺での過酷な行方不明者捜索などに出動しています。

今回の「令和6年能登半島地震」に第1空挺団は出動していませんが、それには、空挺団が「戦略予備」という立ち位置にあることと、自衛隊の災害対応の手順が関係しています。

大規模な災害であっても、まずは自治体が対応するのが第一義となります。警察や消防でも手に負えない場合に、初めて自衛隊に災害派遣要請が掛かるのですが、最初に対応するのは地元の部隊です。

今回の「令和6年能登半島地震」では、それが金沢駐屯地に所在する第14普通科連隊や、その上級部隊である第10師団、富山県福井県に所在する第4施設団の各部隊になります。

それら地元部隊でも手が足りないとなったら、戦略予備部隊である第1空挺団などが有事で必要な人員を除き、最低限の隊員を被災地へと投入します。

自衛隊はこのように段階を踏むことで、並行して他の災害派遣が発生したり、もしくは万一の事態が起きたりしても対処できるよう、必ず予備部隊を用意するようにして、1か所に全力投入しないように、あえてしています。

2024年1月の降下訓練始めは、まさに能登半島地震への災害派遣が行われている最中に実施されました。しかし、第1空挺団が諸外国軍とともに降下訓練を行うことで、国内外に空挺団とその支援部隊の能力、そして部隊の余裕を見せつけることで、大きな抑止力としてアピールすることに成功しています。

なお、この訓練において共に降下した同盟国・同志国の兵士には、慣例として陸上自衛隊の空挺徽章が与えられているそうです。

CH-47JA輸送ヘリコプターに乗り込む空挺教育隊の訓練生たち。実際の降下は基本降下課程の最後に行われる(武若雅哉撮影)。