日本の文化振興に寄与するための事業を手掛ける公益財団法人角川文化振興財団(理事長:川上量生)は、<「世の中のリアル」を伝える>をメインテーマに、未来に夢を抱くN高等学校S高等学校の生徒達に向けた【学園生のための特別授業】を、株式会社ドワンゴが提供する学習コンテンツアプリN予備校を用いて、12月26日(火)に行いました。
 第五回は演芸家・動物ものまね芸の五代目 江戸家猫八先生をお招きし、<江戸家猫八講座 ~「自分の色」の見つけ方~>と題して実施。全国から多くのN/S高生が参加し、会場でのリアル受講者からは、自分らしく生きるための熱い質問や相談が飛び交い、またオンライン受講者からは感動と共感のコメントが多く寄せられました。

  • 披露するのは動物の鳴きまねのみ!唯一無二の江戸家の伝統を受け継ぐとは?

五代目江戸家猫八先生は、1977年5月11日東京生まれ。江戸家伝統のお家芸、ウグイスの鳴きまねはもちろんのこと、鳴き声を知られていない動物のネタも数多く持ち合わせ、寄席を中心に各地での落語会や講演会、動物園との繋がりから動物園イベントにも幅広く出演されています。

江戸家猫八先生(以下、猫八先生)声帯模写あるいはものまねというと、歌手の方とかタレントさんとか人の真似をするものまね芸人さんがいらっしゃいますが、江戸家というのは、動物の鳴きまねしかいたしません。動物の鳴き声を話芸に乗せて皆さんに喜んでいただいております。

  • 最初のテーマである、「親の跡を継ぐ」ということですが、江戸家猫八先生はどういう経緯があったのでしょうか?(司会者)

猫八先生:寄席の世界は、同じ名前を代々受け継ぐという独特のもので、本来は師匠が弟子に名前を繋いでいくものなんですが、ごくまれに親子で繋いでいくケースがあるんです。江戸家はそれがたまたま軸になっています。初代は私のひいおじいさん、二代目だけは血の繋がっていないお弟子さんでしたが、三代目が私の祖父、四代目が父、私が五代目という形で受け継いでいます。明治の末から、およそ120年、代々動物の鳴き声だけで生きているという本当に不思議な仕事ですね。

  • 「親の跡を継ぐ」ことに対して、悩みや葛藤、またプレッシャーはなかったんでしょうか?(司会者)

猫八先生:そもそもそういう家に生まれているので、物心がついた頃に父親がにわとりの声を鳴いているというような環境で、それが当たり前だと思っていました。ですから、だんだん外との交流を持つようになって、「他の家の親は鳴かないんだ」ということに後から気付いたような状況でした(笑)。

  • 「他の芸人さんと違う面白さがありますね」という言葉が、自分にとってきっかけになりました。

猫八先生:跡を継ぐ仕事というのは、もともとそういう道ができているとイメージする人が多いと思いますが、私の場合はその逆で、子供の頃から「無理して後を繋がなくても良い」と父によく言われていました。「よほど好きで、この仕事に情熱を持って取り組めない限り、なかなか続くものではないから、他に何か好きなものが見つかったらその世界に行きなさい」と私は突き放されていました。それでも親の芸を見て「凄いな!継いでみたい!」と思いました。「自由にして良いけど、継ぎたかったら継いで良いよ」という匙加減が、父の教育の上手さというか、私の性格に合っていましたね。

ただ「自分に父の跡が継げるんだろうか?この笑いの演芸、寄席の世界で通用するんだろうか?」という葛藤はありました。でも最終的には一度、「自分でチャレンジしたい」という子供の頃からの思いは叶えたかったですね。そうしたら、お客さんや色々な方から、「他の芸人さんとは違う面白さがありますね」と言ってもらえたことが自分にとって大切なものに変わっていくきっかけになりました。

  • チャンコ(N高2年)さんからの事前質問です。「親と似て良かったと思うこと、逆に似て欲しくなかったと思うことはありますか?」(司会者)

猫八先生:似て良かったって思うのは“考えながらしゃべる能力”。何か発表するときに一字一句、原稿を作って丸暗記して読む人と、箇条書きでポイントだけおさえて、あとは頭の中で考えたほうが喋りやすい人がいると思いますが、喋りながらもう一人の自分が次に喋ることを考えてくれるということが、父親が得意だったので、それが遺伝するのであれば、これは似て良かったなと思います。一方、似て欲しくなかったという言い方をすると、それはありません。ただもう一つの別の言い方、似ないで良かったとポジティブに考えた時に、自分の雰囲気、芸風は似ないで良かったと思います。つまり、父親と似ている芸をしていると、あっという間に飽きられてしまう。そうではなく「父とは違うキャラの息子が面白いことをしている」ということがこの世界では重要なので、顔も含め、雰囲気は父と似ていなくて良かったと思います。皆さんも色々な場面で「両親と似ている…似ていない」と言われることが多いと思いますが、それをどう受け取って、どう自分でコントロールするかが大切なことではないかと思いますね。

  • 会場の生徒さんから質問を受け付けます。ちー(S高3年)さん、お願いします。(司会者)

  • ちーさん:親の跡を継いで、一番良かったことは何でしょうか?

猫八先生:7年前に父は66歳で亡くなりましたが、父と同じ仕事をしていると、自分の父親と心の中で歩調を合わせて会話ができるんですね。より強く共鳴し合うことができるんです。今、改めて「この仕事をして良かったな」と感じるところです。父とはすべてがべったりではありませんでしたが、親子でありながら師弟関係でもあり、親友でもありました。ネタのことなど忌憚なく聞いてくれましたし、同じ仕事をしているライバルでもありました。やや複雑ですが良い形で父とは向き合えたと思います。やはり舞台で父と一緒に過ごす中で「芸を通じて父と会話していた」という、ちょっと特殊な関係かもしれません。

  • もう一人、会場からの質問、Walker(N高1年)さん、お願いします。(司会者)

  • Walkerさん:お父さんとのライバル心を実感したのはどんな時でしょうか?

猫八先生:鳴きまね芸という世界ですから、父の犬やにわとりの鳴き方を聞いて、「こういう声の出し方、自分よりも良い声が出てるな」とか「自分ならどうするか?」と思うわけです。でもここは実のところ教わらないんです。父も何一つ教えてくれない。とにかく動物それぞれが師匠だから、気になることがあったら本物の動物を訪ねて、師匠(=動物)に学びを請う!父がやっていないレパートリーを私がやって笑いが起こると、父も師匠でありながら、同じ芸人として「こういう動物をこういう切り口でこれだけ笑いを起こしている!これは負けていられないぞ!」というふうな気持ちになったそうです。お互い切磋琢磨できるのも同じ仕事をしているからなのかな、というところが繋がってきますね。

本物(の動物)を見に行くというのは、江戸家代々の、特に父から私が教わった非常に大切な部分で、例えるならばにわとりを真似る父を真似するのではなく、源流であるにわとりからしっかり学ぶ。声の出し方もそれぞれ自分の声帯があるので、全て自分で一から作っていく。その過程は何ひとつ教わらないということです。

  • 次のテーマに移ります。猫八先生の高校時代の体験談をお願いします。(司会者)

猫八先生:父からは、「跡は継がなくてもよい」ということで、自由にやらせてもらいました。とにかく「勉強や部活など自分の好きなことに集中してよい」と言われていましたので、のびのびと、友達とわいわい楽しく高校1年~3年を過ごしていました。ところが高校3年の10月、突然原因がわからないまま、ネフローゼ症候群という病気を罹ってしまい、その10月末から入院して卒業式さえ出られず、18歳から30歳くらいまで、再発なども繰り返しながら12年間まるまる自宅療養をするという変わった日々を過ごしていました。当時は「跡は継ぎたい」と思っていましたが、私の醸し出す雰囲気が父や祖父とは全く違うということで、高校の日々を楽しもうと気持ちを切り替えつつも、心のどこかでは「跡を継げるのかなあ?」と考え続けていたのが高校時代でした。

  • ソラ(S高2年)さんからの事前質問です。「学校にまともに通えたことがなく、高校でも再び不登校になってS高に編入しています。進学先は決まっているのですが、うまくやっていけるか不安です。どのように考え、行動したらよいのでしょうか?」(司会者)

猫八先生: 私の場合は、病気の経験がすごく大きいですね。自分で選ばずにある日突然、宣告されて、もう不安だらけでした。けれども12年間病気と向き合って、不安というのはもちろんありますが、いろんな人生の選択肢が出てきます。 Aの道かBの道か。今、自分が決められる材料で一生懸命考えて、自分の進む道を決めたら、気持ちを切り替えます。自分で選んだ道を正しい道にしてみる!選んだ道が正しくなるかどうかを考えると不安になりますが、選んだ道で努力を続けて頑張ると、もちろんどの道を選んでも良いこと悪いこと必ず起きますが、「選んで良かったな」と思える正しい道になるということです。それが、私が 病気から学んだことです。病気をしなかった自分の人生はもうないわけですから、病気をしたからこそ、こういう考え方ができるようになって、ひいては今の芸風にも繋がっていると考えると、実は「病気をして良かった」という自分自身の答えに繋がってきます。ここがソラさんの今の不安のヒントになれば嬉しいです。

もうひとつは、不安は大切です。不安に身を投じる(あるいは投げ込まれる場合もありますが)と、その後はもがきます。もがくと必ず成長します。成長できたなと思うと、その後には安定が待っています。心の安定も含めて。自分の中で心地よい場所にたどり着くんですね。ただそこにずっと居続けると、成長しなくなるんです。ですから、またどこかのタイミングで不安に身を投じてみようかなと思えたところで、飛び込んでみる。そうするとまたちょっと成長できて、また安定できる。この繰り返しが私はとても大切だと思います。

  • 会場からの質問、タイキ(S高2年)さん、お願いします。(司会者)

  • タイキさん:自分の好きなことについて話せる人が学校にいません。先生は学生の時、どのように(自分の好きなことを話す)技術や知識をつけてきたのでしょうか?

猫八先生私の世界も共通で、寄席の世界のお客様は、落語を楽しみに来ている人が多いんです。そんな中で、私はあえて、あしかなどの動物のものまね芸をぶつけていきます。その時に気を付けるのは“火加減”。 自分の持っている山火事のような熱量を、いきなり寄席のお客様に浴びせてしまうと、みんな逃げてしまいます。そのたくさんある火を小さな焚火くらいにして接すると集まってきます。ですからそこを意識して、好きな分野を弱火に加減して相手に話すと良いですね。食いついてきたら、どこまで火力を上げて行けば良いかは、顔を見て喋っていると、人の興味の扉が閉じる瞬間などは見えてくるので、そうしたら話を切り上げます。そのように反応を見ながら話すことを繰り返していくと、熱量のある人は間違いなく面白い話ができる人になります。

  • もうひとり会場からの質問、モンブラン(N高2年)さん、お願いします。(司会者)

  • モンブランさん:大学進学を考えていますが、面接が不安です。準備したものを発表するのが苦手で、どちらかといえば即興のほうが得意です。準備したものを発表するコツというのはありますでしょうか?

猫八先生:人に何かを“伝える”という言葉がありますが、その裏に込められているワードは“伝わるかどうか”ですね。 一生懸命伝えても、相手にそれが伝わらないと伝えたことにならないというのが、人と話す上でとても大切なことになります。先ほどのタイキさんの場合と基本は同じで、何か質問を受けたら、その答えを喋っていきますね。その答えが相手に刺さっているか刺さっていないかを見ながら、ハンドルを切ることができる人とできない人がいます。準備している人はそれが苦手な人が多いです。でもモンブランさんは、話している内容を見ながら、軌道修正するように自分の武器をうまく使って、モンブランさんしかできない自分らしさを面接で出せれば、必ずそれは相手に届きます。

  • 猫八先生が思う自分の色とは、どのようにお考えでしょうか?(司会者)

猫八先生:私にとって一番大切な色というのは、舞台に立っているときの色なんですね。つまりいろんな芸人さんがいて、それぞれの個性を持ってお客さんを笑わせている。その中に飛び込んだ時に、何が自分にとって強い芸風なのか、色なのか。それがないと生き残れない弱肉強食の世界なんです。いかに自分の芸の色を作っていくか。私はそれを動物園という場所に求めて行ったんですね。たまたま日本全国の動物園の人たちと縁が繋がって話をしているうちに「動物園の動物は色々な声で鳴くから面白い」という情報を頂いたんです。そうして気持ちに火がついて、実際に動物園に行って動物の声を学びました。

  • 自分の色は、周りが教えてくれるという要素が大きいですね。

猫八先生:自分の色というのは、自分で作らなければいけませんが、むしろ周りが教えてくれるという要素はすごく大きいですね。最初からここを目指していたわけではありませんが、色々な人の声を聴いて、紆余曲折した結果が、今の自分らしい部分に着地したんですね。方向は定めないといけません。夢をひとつの細かい点に絞ってしまってもよいですが、夢を面で捉えて行って、その面に向かって方向さえ間違わないように、自分の気持ちと周りからの影響とをうまく合わせながら、外側からと内側からとで色が付いていくものだと私は思っています。

  • ゆちむ(S高3年)さんからの事前質問です。「この道を選んで後悔したことはありますか」(司会者)

猫八先生:全く後悔したことはないんです。この仕事につくまで紆余曲折、悩み悩んで、病気もして「跡を継ぐのは無理」と思っていました。底辺まで落ちたんですね。そこから徐々に病気と折り合いがついていって、「一回勝負できるのではないか?」と父親の舞台でデビューしました。お父さんとかお祖父さんとは違う真面目な雰囲気から動物の鳴き声が出てくると、「他の芸人さんにはない面白さがありますね」と色々な方々から言われたんです。コンプレックスだと思っていたこの性格は、むしろ自分らしさ=色だということをお客さんから教えてもらいました。つらいことや、思い通りに笑いが起きないというのはありますが、失敗は翌日の舞台のエネルギー源なので、舞台が楽しくて仕方ありませんでした。

  • 目標を面で捉えて、やりたい世界に向かって行って、就いた仕事を好きになるんです。

猫八先生:皆さんが将来やりたい仕事に向かって頑張ることは大切ですが、必ずしもその仕事に就けるわけではありません。好きな仕事ができなかったという結論が出ても、就いた仕事を好きになるということは後からできることです。好きなことを仕事にするというとそれがゴールになってしまいますが、目標を面で捉えて、そのやりたい世界に向かって歩いていって、ちょっとずれた仕事に就いたとしても、それを好きな仕事に出来れば、5年後、堂々と「私は好きなことが仕事なんです!」と言えますね。仕事に就いてから新たなスタートを切れるんです。色々なことを不安と思っていてもそれをポジティブな方向に回していけるのでなはないかと思っています。

  • 会場からの質問、Walkerさん、お願いします。(司会者)

  • Walkerさん:自分の色を見つけることは自分の成長に反映させられる重要な要素だと思いますが、猫八先生はこれについてどのように捉えていますか?

猫八先生:とても危険なのは鵜呑みにすることです。皆さんは、色々な人の話をたくさん聞きながら、全てを鵜呑みにせずに、何を自分に付けていくか、まさにカスタマイズしていって欲しいと思います。後から付けたものが違うなと思ったら外せば良いんです。そうやって自分の成長に合わせて、色々な人から聞いたものをカスタマイズしていくと、それが最終的に自分の色になる、という感覚です。言われた意見を自分の中で揉んで、その結果、生まれたものを自分の中に貯めていって欲しいと思います。

  • 猫八先生、本日参加の生徒さんたちにメッセージをお願いします。(司会者)

猫八先生:自分の色というものはどういうものなのか?一番大切なのは“自分らしさ”という言葉を、決して逃げるときの理由として使わない!ネガティブな方向には使わないで欲しいですね。困難に会った時に、あくまで攻めの姿勢として“自分らしさ”を見つけていく。そのためには当然、壁を乗り越える努力が必要になります。その努力の方向を間違わないで乗り越えていく。そうやって色々と自分のカスタマイズをしていくと最終的な自分の色が付いてきます。自分を理解しつつ、色々な人からの意見やご縁を大切にし、内側からも外側からも刺激をもらって、自分らしい答えをつど見付けて行くと、いつか、はっと気付いたときに、「自分にしかない色」ができているということでしょうか。私も現在、まだまだ色を探し中!50代60代は全然違う色でやっていたいという思いもあります。“未来永劫楽しめる色探し”という遊び心を持つということも大切だと思っています。

角川文化振興財団とドワンゴが取り組む【特別授業】とは?

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配信元企業:公益財団法人 角川文化振興財団

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