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昨年11月、22歳の誕生日を前に撮影に臨まれた愛子さま(写真提供:宮内庁

《「平和」は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから》

愛子さまが学習院女子中等科の卒業文集に寄せられた作文の一節。2016年5月、修学旅行で初めて訪れた広島市原爆ドームをご覧になった際に、平和を希求するご意志が芽生えたことを綴られているものだ――。

宮内庁1月22日、愛子さまが学習院大学を卒業後、4月1日から日本赤十字社(以下・日赤)に嘱託職員として就職されることが内定したと発表した。

宮内庁内部でも、愛子さまの進路は“大学院進学”“英国留学”とみる向きがほとんどで、発表に驚いた職員は少なくありません。天皇陛下と雅子さまは、愛子さまから“日赤に就職したい”というご希望を聞き、全面的に賛同されたそうです。ご一家の意向を受け、侍従職がひそかに日赤の上層部と調整を進めていたのです」(宮内庁関係者)

愛子さまが春から勤務される日赤は、どういった活動を行っているのか。皇室ジャーナリストの久能靖さんはこう解説する。

日本赤十字社の活動は多岐にわたっています。代表的なものとしては、日本全国にある病院や高齢者福祉施設の運営、献血事業などがあります。さらには、世界中の災害や紛争、病気などに苦しむ人々を救うため、緊急時の救援や復興支援、予防活動に取り組んでいます。

成年された際の記者会見では災害支援にあたるボランティアへのご関心を述べられていました。困っている人を助けたいというお気持ちを、愛子さまは人一倍強くお持ちだからこそ、日赤へのご就職につながったように感じています」

宮内庁職員で皇室解説者の山下晋司さんは、愛子さまのご決断についてこう語る。

「大学院進学や留学であれば、公務よりも学業が優先される生活になります。しかし愛子内親王殿下は、ご自身の学業よりも“人々や社会のために尽くす”という道を選択されたということでしょう。

さらにいえば、日本赤十字社は常設の団体としては唯一、歴代の皇后が名誉総裁に就くことになっています。国民に寄り添い、苦楽をともにする皇室の姿勢と、いのちと健康、尊厳を守ることを使命としている日本赤十字社の活動との親和性は非常に高いと言えます」

■近現代の皇室が支えてきた日赤

現在の名誉総裁は雅子さまが務められ、妃殿下方も名誉副総裁に名を連ねられている日赤。静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんによれば、皇室は日赤の設立当初から、その発展を支えてきたという。

スイス人のアンリ・デュナンが提唱した赤十字運動の“敵味方なく救護する”という精神に共鳴し、1877年に設立された博愛社を母体として、1887年に日本赤十字社に改称され今に続いています。

なかでも明治天皇の后であった昭憲皇太后は強力に支援され、日赤にたびたび賜金を下されました。また、各国赤十字社に対しても当時の10万円(現在の約3億5千万円)を寄付されて昭憲皇太后基金となり、現在も世界各国の赤十字社赤新月社に配分され続けています。

こうしたお務めは戦後も変わらず、香淳皇后、美智子さま、雅子さまと名誉総裁が引き継がれてきました。全国赤十字大会やフローレンス・ナイチンゲール記章授与式などの行事への出席など、活動に大きく貢献されているのです」

愛子さまが8年前に広島で誓われた“平和を人任せにしない”というご決意は、雅子さまへと受け継がれている日赤での活動を身近でご覧になるうちに、“自分もその活動を最前線で担う”というご覚悟へと結びついていた――。

愛子さまは、昨年5月と7月に、日赤の社長らによる両陛下へのご進講などに同席されていた。前出の宮内庁関係者によれば、

「日赤が手がける医療や社会福祉事業だけではなく、世界各国の自然災害や紛争の現場での救援活動に、強く共感されていたとうかがっています。

昨年10月に日赤が開いた関東大震災100年の企画展を、愛子さまは両陛下とともにご覧になっています。展示を説明する日赤の関係者が舌を巻くほど、日赤が当時行った救護活動や衛生対策について詳細にご存じだったそうです。今となって考えてみれば、このころには“日赤で働きたい”というお気持ちを固められていたのだと思えます」

前出の小田部さんは、国内はもとより、愛子さまが世界を視野に入れた活動にも従事される可能性について、こう期待を寄せている。

デスクワークだけにとどまらず、ご公務と両立する範囲内で、十分安全に配慮されながら、国際的な人道支援や平和維持活動などにも関わっていただければと願っています。激動する世界情勢の最前線で活躍していただくことは、平和と安寧を願う皇室の柱である天皇家のご長女として、これ以上ない素晴らしいことだと思っています」

■危険を顧みず活動と…いち職員も戦地に

激しい戦闘が続くウクライナパレスチナ・ガザ地区では、何の罪もない民間人が傷つき、命を落とす悲劇が繰り返されている。

「こうした紛争地での支援活動にも日赤は深く関わっています。国際部などの部署が中心となり、世界191の国と地域に広がる赤十字国際委員会のネットワークを通じて、戦争や紛争の最前線での緊急医療や衣食住を保障するため、資金や物資を送るほか、さまざまな職種のスタッフなどを派遣しています」(皇室担当記者)

また日赤では、三笠宮家の瑶子さまが2006年から2012年まで、嘱託ながら常勤の職員として勤務されていた実績があるが、職員として赤十字の活動に従事してきたご親戚はほかにもいる。日本赤十字社の名誉社長を務める近衞忠煇さんは、天皇家に近い旧公爵家である近衞家の第32代当主。また近衞さんの妻は、三笠宮崇仁親王の長女・甯子さんだ。

「近衞さんは日赤職員として、長年皇室とも連携しながら世界各国への人道支援に取り組んできました。1971年に上皇ご夫妻がアフガニスタンを訪問された2カ月後、宮内庁から、“現地の赤新月社救急車を寄贈できないか”という相談があったそうなのです。

ただ輸送ルートとなる地域は第三次印パ戦争前夜の緊迫した情勢。インド軍による空襲に遭うなど、支援のために紛争地を越えた壮絶な経験を、2022年に『読売新聞』のインタビューで明かしています」(前出・皇室担当記者)

そして、愛子さまはご覚悟を固められているばかりではなく、すぐにでも日赤の国際活動に貢献できる力量も備えられている。

「すでに愛子さまの英語力は相当なもので、実務的なコミュニケーションは十分に取れるレベルだと聞いています。また今後は国内外でご公務にも臨まれますが、愛子さまのお出ましを願い出る関係機関は多数あるはずで、かなりご多忙な毎日となるでしょう。

それでも愛子さまは“自分の手で人々を救う”というご決意で、両陛下とともに試練に立ち向かわれ、傷ついた人々を救うために尽力されると思います」(前出・宮内庁関係者)

平和を希求する強い願いを愛子さまが共有された喜びを、雅子さまは今年の歌会始の御歌に詠まれていた。母として感涙されたであろう愛子さまの“覚悟の就職”が導く未来には、日本国民だけではなく、世界中の人々が期待を寄せている。