◆施設で育ち、美容師からAVの道へ

 パチンコホールの広告宣伝に関する運用ルールが大きく緩和され1年。今、ホールに来店する「演者」の需要が爆発的に伸びている。パチンコホールが運用しているSNSやLINEを見れば、「○月○日、〇〇さん、来店取材!」という宣伝文句を容易に見つけられるだろう。

 しかしその演者もピンキリである。長年、パチンコ攻略誌で活躍してきた往年の名プレイヤーもいれば、一度動画をアップすれば何十万再生も回る今をときめくYouTuberもいる一方、ガールズバーで声を掛けられお小遣い欲しさに始めた「そこらへんの可愛い女のコ」や、やたらパチンコに詳しいブロガーが個人発信で演者まがいの活動をしていたりもする。

 ホールや客の双方から賛否両論はあれど、今のパチンコ業界からは切っても切り離せない「演者」。彼ら彼女らは、なぜパチンコ演者になったのかーー(※「演者」とは、パチンコホールで活動する、ライターやタレント、YouTuberやインフルエンサーを幅広く指す言葉)

 若月まりあ。31歳。職業、タレント・モデル。主な仕事は、集客のためホールの広告塔となり、パチンコ・パチスロの楽しさを、SNSを通して伝えたり、来店してくれたファンとの交流を行ったりすること。この仕事を始めたのは今年の9月、わずか4カ月前だ。そんな彼女は、1年前まで、出演本数500本を超えるセクシー女優だった。

◆出生時は、へその緒がついたまま放置された

 彼女は2歳か18歳まで児童養護施設で暮らした。

 彼女自身はもちろん記憶にないが、彼女は、自宅でへその緒が付いたままの状態で救助されたと聞かされている。

 生まれて2歳までは母親と祖父との三人暮らし。だけど母親は彼女の育児を完全に放棄していた。育ててくれていた祖父も大病を患い、結局、児童相談所の判断で施設への入所が決まった。18歳になると、児童養護施設の入所者は、自立か自立援助ホーム(働くことを選択した15歳~22歳までの青少年の自立を支援する施設)での生活の選択を迫られる。

 彼女は自立の道を選び、美容師になることを決めた。それは、彼女を育ててくれた施設へ恩返しをしたいという思いからだった。施設に暮らす子どもたちは美容室へは通えない。施設のスタッフが散髪をする。でも思春期の真っただ中。「小悪魔ageha」のモデルたちの髪型に憧れた。髪を染めてもみたかったし、巻いてもみたかったけどずっと叶わなかった。だからこそ、妹や弟たちには好きな髪型をして欲しい。自分が美容師になって、ボランティアで髪を切ってあげよう。彼女は、それが自分に出来る恩返しだと思った。

 美容専門学校は2年。学費は総額で400万を超えたが、彼女はその全額を自分で支払った。

奨学金ももらえたけど、それ以外は、親戚からもらったお年玉や施設から月々支給されるお小遣い(当時は高校生で5500円)の貯金、足りない分は寿司屋やファミレスでのアルバイトで稼ぎました」

 そして20歳になり、美容学校を卒業し、彼女は大手美容チェーンに就職した。しかしそこから彼女の人生は急転する。

◆ 18年ぶりに再会した母親に 「400万円出せ」と言われ……

 その始まりは、新宿で会わないかという「ハハオヤ」からの電話だった。

 子どもの頃は母親に会いたかった。でも会いに来てくれることは無かった。施設のスタッフにも母親を探してほしいと頼んだこともあるが、その話はいつもうやむやに終わった。ただ成長するにつれ、親戚からは母親には会わないほうが良い、もし会ったとしても、母親の言うことを聞いてはいけないと言われた。だから母親からの電話は、彼女にとって不穏なものだったし、結果的に不穏どころの話ではなかった。

 母親は彼女が美容専門学校に支払った400万円を「返せ」と言った。どうせ親戚から借りたんだろう。私が返してきてやる。耳を疑うような言葉だった。彼女は母親から逃げた。でも追いかけてくる。その日はどうにかまいたが、今後は自宅にも乗り込んでくるようになった。母親はパチンコが好きな人だと聞いた。400万円も、その借金じゃないかと思わずにはいられなかった。

 母親から逃げるため、何度も引越しをした。ちょうどその頃、かつての施設の後輩が自立援助ホームを抜け彼女を頼りに家に転がり込んできていた。彼女は、後輩の面倒も見ていた。表に名前の出ない仕事をしなくては。もっとお金を稼がなくては。そんな思いが彼女をAVの世界へと誘った。

◆初の仕事のギャラは2万円

 しかしそのスタートは過酷なものだった。社長が一人、マネージャーが一人の小さな事務所。面接が、本人の同意なく「本番」の撮影だった。全てが初めてのことで、それがおかしいのか、おかしくないのかも分からず、「ああAVの仕事ってこんな感じなんだ」と、なかば投げやりな気持ちにもなった。ギャラは手渡しで2万円。事務所に所属している先輩たちからも同じことをされたと後に聞いた。その事務所は、彼女の移籍後、潰れた。

 そのようにして始まったセクシー女優としての人生。きっかけは母親からの逃走であり、お金が必要だったからだったが、彼女の中でふと芽生えるものがあった。ずっと施設育ちという偏見に晒され、今また偏見がある職業を生業とした。この偏見を覆したい。どうにか認めさせたい。セクシー女優という職業を認めてもらうというより、 反対した親戚にも。施設の恩人たちにも、自分の「本気」を誰かに認めてもらいたかった。

 セクシー女優のほとんどは1年ほどで辞めていく。でも彼女は、30歳までの10年と決めた。負けず嫌いな性格が彼女自身を後押しした。

「10年間、私は、若月まりあという私と、プライベートの私の、二人の人格を生きてきたんです。どちらかというと、若月まりあとして生きた時間が長かったかな。でも若月まりあが色んなことを経験するたびに、プライベートの私も成長していくんです。人が見れば辛く感じることだったとしても、私にとってはそれが実感出来る日々でした」

◆AV新法で仕事を奪われ、パチンコ演者に転身

 2020年4月。新型コロナウイルスの大流行による緊急事態宣言が発令されて以降、メーカーの専属女優でなかった彼女の仕事は一気に減った。そこにAV新法が突然制定された。AV新法が定める「1か月前契約」のルールが、そのまま1か月間の彼女の仕事を奪っていった。

 新法成立から2か月後、彼女は引退宣言をした。デビューからちょうど10年が経った頃だった。

 なぜパチンコ演者になったのか。

「小学校の時から仲の良かった友達が誘ってくれたんです。『あんたパチスロやってたよね。パチスロのお仕事あるよ、良かったらやってみれば』って」。

 パチンコ業界の事を全く知らなかった当時は、パチンコはギャンブルであり、それはやはり社会から煙たがられるものというイメージがあった。思えば、彼女が戦い続けてきた「偏見」がそこにあった。そう考えると、パチンコ演者への転身は、彼女の人生にとっては地続きのものだったのだろう。

 初めて彼女を呼んでくれたのは、神奈川県スロット専門店。新人の来店にも関わらず20人を超えるファンが来てくれた。その翌月には、同じホールに2回呼ばれた。それから4カ月で、10を超えるホールが彼女を呼んでくれた。ホールとの約束は「16時まで」であっても、彼女はそれ以上仕事をする。彼女のSNSにメッセージをくれ、仕事終わりに駆けつけてくれるファンを待つことも度々だ。

「もともとパチスロが好きだったんです。19歳の頃から遊んでいましたよ。でもそれは隠さなくちゃいけなかった。ロリ系女優として売り出していので、そのイメージを崩さないよう、パチスロなんかしちゃいけないと事務所にも言われていました。でも今は、プライベートの私と大きく変わらない若月まりあだと思っています。プライベートの私をさらけ出して、色んな人と出会いたいし、もっと多くの人に喜んでほしい」

◆「パチンコ好きの母が来店しても、仕事として接する」

 もし、仕事で来店中のパチンコ店に偶然母親が居合わせたらどうするか? ということも彼女は想定済みだ。パチンコが好きな母親のこと。そういう事もあり得る。しかし彼女は言う。

「良く言えば、他のファンの方と同じように接しますよ。悪く言えば、他人として接するということかも知れませんが。『若月まりあ』と母親は、親子ではない。仕事なので、そう決めています」

 彼女には今、新しい夢があるという。それはいつか自伝を出すこと。自分のような境遇の子どもたちにも、偏見に屈することなく、胸を張って明るく生きてほしいというメッセージを伝えたいのだという。

 インタビューの最後、「パチンコに偏見はまだありますか?」という筆者の質問に、彼女は「それは私じゃなくて、世の中に聞いてください」と笑った。

【若月まりあ(@annu_777go)プロフィール】
1992年10月2日東京都生まれ。天秤座。2013年、セクシー女優としてデビュー。国内のみならず中華圏にて絶大な人気を誇り、国外イベントにも数多く参加。2023年3月、引退。9月からパチンコ演者としての仕事を始める。年末の冬コミにて、新刊「元AV女優若月まりあが語る偏見にまみれた半生」を発売。100部完売。現在はメロンブックスの通販で販売中。

(取材・文/安達 夕@yuu_adachi)

【安達夕】
フリーライター twitter:@yuu_adachi

2023年3月にセクシー女優を引退し、パチンコ系インフルエンサーに転身した若月まりあ