晩婚化や金銭的負担、社会意識の変化などさまざまな理由から、現代「子どものいない夫婦」は増えています。こうした夫婦のどちらかが亡くなり「相続」が発生した場合、トラブルに発展しやすいと、司法書士法人永田町事務所の加陽麻里布氏はいいます。その理由はいったいなんでしょうか。具体的な事例をもとに、トラブルを防ぐための対策をみていきます。

世帯年収1,400万円、「子のいない夫婦」の田中夫妻

大手製薬会社にてMRとして営業職を務める田中正人さん(仮名・44歳)と、その妻であり薬剤師の優子さん(仮名・42歳)夫婦は、世帯年収1,400万円と俗にいう「パワーカップル」です。

※ MR…「Medical Representatives(医療情報担当者)」の略。製薬会社に勤務し、医薬品が安全・効果的に使われるように、医療従事者に対して医薬品の効果や使い方、副作用などの情報を提供するとともに、医療現場からの情報収集等を行う。(参照:厚生労働省jobtag「医薬情報担当者(MR)」)

長いあいだ不妊治療に励んでいましたが、その願いは叶わず、子どもを諦めた田中夫妻。「2人で楽しく豊かな時間を過ごそう」と心に決め、旅行に行ったり趣味を楽しんだりと、夫婦仲良く暮らしていました。

同じ関東圏に住む正人さんの両親とも関係は良好で、誕生日には互いにプレゼントを送りあったり、一緒に旅行に出かけたりと、親密な関係性を築いていました。

また、2年前、優子さんが40歳になったタイミングで、2人は湾岸エリアにある高層マンションを購入。「これで老後の備えも安心だ」と思っていました。

ところが……。

マンションを購入後すぐ、担当エリアが異動になってしまった正人さん。これまでより通勤時間が延び、満員電車で片道1時間半の通勤を余儀なくされるようになりました。また、役職が上がったことをきっかけにプレッシャーがかかり、心身ともに過度なストレスを感じるようになります。

そんな日々が続いたある日のことです。正人さんは心筋梗塞を発症し、満員電車のなかで倒れ、還らぬ人となりました。

突然の夫の死に「茫然自失」

最愛の夫を突然亡くし、茫然自失の優子さん。

正人さんが「団体信用生命保険」に加入していたということもあり、住宅ローンは免除となったほか、優子さんが薬剤師という安定した職についているということもあって、夫を失っても金銭面で大きな問題は生じませんでした。

しかし、深い悲しみに襲われ、なにも手につかない日々が続きます。そして、そんな優子さんに追い討ちをかけるような出来事が起こりました。

「全部あなたのせいよ!」…仲良くしていた姑が“豹変”

四十九日が過ぎたころのことです。姑の和子さんから1本の電話がありました。

もしもし? 相続のことなんだけど。相続権、私たちにもあるはずよね? 立派なマンションもあることだし、1度そちらに伺うわ。しっかり話し合いましょう」

「……え? ええと、まだなにも考えられる状態じゃなくて……。もう少し時間をいただけないでしょうか?」

姑の突然の電話に困惑しつつも、丁重に対応する優子さん。しかし、姑はそんな優子さんの衰弱した様子を気にかけることもなく、翌日自宅に押しかけてきました。

「子どもも作らないくせにこんな立派なマンションを独り占めして……。こんなマンションを無理に正人に買わせたから、こんなことになったのよ。全部あなたのせいよ! 絶対に許さない。息子のものは全部渡しなさい!」

開口一番、姑はものすごい剣幕で優子さんを責め立てます。心の傷も癒えておらず、憔悴しきっている優子さんは言葉を返す気力もありません。

しかし、仲がいいと思っていた姑の豹変にショックを受けながら、ふといつも一緒にいる舅がいないことに違和感を覚えた優子さん。舅に電話をかけ、「あの……いまウチにお義母さんがいらっしゃっているのですが……なにかご存じですか?」と話しました。

すると、電話口でなにも事情を知らなかった舅は慌てている様子です。「なに? あいつ……申し訳ない、すぐ引き取りに行くから」

駆けつけた舅は激昂し、「なにやってるんだ!」と姑を強く𠮟りつけました。そして、優子さんへ深く謝罪をし、姑を連れて帰ったのです。その後、姑が家を訪ねてくることはありませんでした。

やがて、優子さんの体調が少しずつ回復してきたころ、再び舅から連絡がありました。聞けば、「相続放棄をしたい」といいます。

しかし、優子さんは次のように話し、相続放棄を断りました。「子どもがいないから教育費もかからないし、私には安定した収入があります。お2人への相続は現金で渡し、マンションだけは私が所有権を相続するのはどうでしょうか?」この提案に、舅も快諾。その場で合意となりました。

愛する夫がのこした家を守れたとひと安心の優子さん。しかし、夫を失い、仲良く過ごせていたはずの姑とも絶縁となってしまい、優子さんには淋しさだけが残っています。

「子のいない夫婦」の相続はトラブルが発生しやすい

田中夫妻のように、お子さんのいないご家族においては、被相続人の両親や兄弟が共同相続人となるので、このような相続トラブルが発生するケースは決して少なくありません。

また、働き方の変化や社会情勢により出生率は年々減少傾向にあることから「子のいない夫婦」は増えており、このようなトラブルは今後より増加することが考えられます。

では、今回のようなトラブルを防ぐには、どのような方法があるのでしょうか。

早めに「遺言書」の作成を

田中夫妻の場合、正人さんの死によって、子どものいない優子さんは、正人さんの両親と共同相続人になります。

したがって、優子さんが相続財産の3分の2を、義両親はそれぞれ3分の1ずつを相続することになります。

仮に正人さんの相続財産がマンション6,000万円、貯金3,000万円だった場合、優子さんが6,000万円のマンションを相続すると、貯金の3,000万円を正人さんの両親でそれぞれ2分の1ずつ相続することになります。

優子さんの場合は、夫の貯金のすべてを両親に持っていかれても、安定した収入があるので生活には困りません。しかし、専業主婦やパートアルバイトなどで稼ぎがない場合、貯金をすべて持っていかれてしまうと、生活できなくなってしまう可能性があります。

また、子どものいない夫婦の片方が亡くなってしまうと、両親だけでなく、兄弟、さらには姪っ子や甥っ子などのほとんど会ったことのない親戚までもが共同相続人となってしまう可能性があります。

よって、いきなり現れた親戚が「相続分をよこせ」などと言い、トラブルになる可能性があります。

こうした事態を防ぐには、早めの生前対策が必要です。

具体的には、夫婦間で子どもを作らないことが決定した段階で、相続財産のすべてを配偶者が相続できるように「遺言書」を作成しておくことをおすすめします。遺言によって指定された相続方法は、法定相続に優先するためです。

ただし、たんに遺言を書いておけばいいというわけではありません。作成した遺言書が有効なものであると認められるには、法律の定める厳格な要式に沿って作成する必要があります。

したがって、公正証書遺言を作成するか、自筆証書遺言を残す場合は遺言書の作成に詳しい専門家に相談し、法律の要式に沿った遺言書を作成することが必要となります。

「自筆証書遺言」に必要なポイントは以下の4つです。

①全文自筆で書くこと(一定の要件の元財産目録など、一部パソコンなどによってもOK )

②作成した日付を自署すること

③遺言者の氏名を自署すること

④遺言書に押印すること

せっかく自らの意思を遺言書に記しても、有効な遺言書と認められなければその意思は相続に反映されません。上記のポイントを踏まえ、なるべく早いうちから対策をとっておきましょう。

加陽 麻里布

司法書士法人永田町事務所

代表司法書士

(※写真はイメージです/PIXTA)