「誰よりも自信があったから成功できた」という言葉を見聞きくと、成功するためには自信が必要であるように思います。成功した人たちはみんな自信を持っていたのでしょうか? 著書『「自信」がないという価値』(河出書房新社)よりトマスチャモロ=プリミュージク氏が、本当に自信がある人について解説します。

自信と実力は違う

昔から言われている決まり文句はたいてい正しいと、昔から言われている。しかし、たいていの決まり文句がそうであるように、この決まり文句もまた間違っている。─スティーヴン・フライ(イギリスコメディアン

自信があれば成功できるのか?

偉人の伝記を読むと、よく「誰よりも自信があったから成功できた」というようなことが書いてある。その一方で、才能や努力は過小評価されがちだ。まるで、ただ自分を信じる強い気持ちさえあれば、誰でも大きな成功を達成できるとでも言っているかのようだ。

それに雑誌や人気ブログでも、自信さえあれば成功できるような論調が幅をきかせている。具体的な例をいくつか見てみよう[注1]。

[注1]グーグルで「自信成功」で検索してみれば、同じような例が山のように出てくる。

「何をするにしても、それをする自分を好きになることが大切だ」 「自信さえあれば、どんな目標も達成することができる。しかし自信がなければ、成功する可能性はゼロだ」 「自分自身を愛していれば、完璧な人生を送ることができる」 「自信のある人は誰からも尊敬される─自信は人生でもっとも大切な資産であり、自信さえあれば幸せも成功も必ず手に入る」 「自信は誰でも手に入れることができる。そして自信があれば、人生のすべての問題は解決できる」 「自信のある人は、自信のない人に比べて成功する確率が10倍高くなる」

考え方に潜む3つの大きな問題

第1に、そもそも自信を高めるのは簡単ではないということ。

もし簡単だったら、誰も自信のなさで悩んだりしないだろう。のどの渇きや空腹を癒すように、自信のなさもあっという間に解決できるはずだ。

第2に、たとえ意図的に自信を高めることができたとしても、それで成功できるわけではない。

伝記作家や自称「専門家」たちの主張とは裏腹に、バラク・オバマが黒人初のアメリカ大統領になれたのは自信があったからではない。サー・リチャード・ブランソンがヴァージン・グループを創設し、実業家として大成功したのも自信があったからではない。マドンナが3億枚のレコードを売り上げたのも自信があったからではないし、マイケル・ジョーダンモハメド・アリロジャー・フェデラーが、それぞれのスポーツで絶対的な王者になれたのも自信があったからではない。

彼らのような傑出した存在は、たしかに自分に自信を持っている。しかしそれは、傑出した実力があるからだ。傑出した実力は、非凡な才能と、それを上回るほどの努力があって初めて手に入る。実際のところ、彼らの自信がその他大勢の自信と違う点は、たった1つしかない。

それは、実力を正確に反映した自信であるという点だ。そこが、本物の成功者と、ただ過剰な自信があるだけで実力はない人たちとの大きな違いだ。

そして第3の問題は、おそらくいちばん深刻な問題だろう。

自信さえあれば何でも達成できるという幻想のせいで、誰でも自信をつけて成功しなければならないような風潮が生まれ、それが大きなプレッシャーになっている。その結果、自信のない人は自分が悪いような気分になり、そして自信家は分不相応の大きな目標でも実現できると勘違いしてしまう。

自信はあまりにも過大評価されている。そのため私たちは、自信を手に入れるためならどんなことでもするような勢いだ。「できる気になる」ことと、「実際にできる」ことを同じに扱っている。その結果、私たちの社会は、自信と自己顕示だけで中身の伴わない人間を量産することになってしまった。

「ナルシシスト」という言葉の語源

ナルシシズムとは、自分を非現実的なほど高く評価し、根拠のない自信であふれている状態だーたとえば、ドナルド・トランプパリス・ヒルトンを思い出してもらいたい。

自己愛が過剰なナルシシストたちは、自己中心的で、つねに自分が誰よりも上だと思っている。他人からネガティブなことを言われてもまったく意に介さず、苦言を呈されても聞く耳を持たない。ナルシシストは他人を操るようなところがあり、自分の利益のために平気で他人を利用する[注2:見開き内に注釈がない場合は巻末の本文注を参照]。

ナルシシスト」という言葉の語源は、ギリシャ神話に登場するナルキッソスという美少年だ。彼はいつも自分のことばかり考え、他人を思いやるということがまったくなかった。その利己的な態度を罰するために、女神ネメシスナルキッソスを池のほとりに呼んだ。ナルキッソスは池の水面に映った自分の姿を見ると、それが自分だとは知らずにすっかり恋に落ちてしまった。

この話の結末は何種類かある。一つは、水面に映った自分にキスをしようとしたときに、池に落ちて溺れて死んでしまうという結末だ。または、水面に映った自分にすっかり夢中になり、死ぬまで自分にしか興味を持たなかったという結末もある。

ナルシシズムが高まるアメリカ

現代はナルシシズムの時代であり、この説を裏付ける理由はたくさんある。そもそも自信の低さが悩みの種になるのも、非現実的なまでの過剰な自信がもてはやされているからだろう。特にアメリカでは、ここ数十年の間に、ナルシシズムの度合いがどんどん高まっている。『自己愛過剰社会』(河出書房新社)の著者で、心理学者のジーン・トウェンギは、長年にわたってアメリカで過剰な自己愛が蔓延していく状況を観察してきた。

たとえば、アメリカの数百の大学に通う四万人以上の学生に関するデータを集め、時代ごとの傾向を分析するという研究を行っている。1950年代では、自分を「重要な人物」だと考える学生は全体のわずか12%だった。それが1980年代になると80%にまで増えている。

また、1982年から2006年の間だけでも、自己愛が強い傾向にある学生は、15%から25%に増えた。男女別で見ると、女子学生のほうが増加率が高かった。女性は男性よりも謙虚で控えめな傾向があると考えられていたので、これはかなり意外な結果だ。

上昇しているのは「自信」の度合いだけではない

「自信」の度合いを測る一般的な基準として用いられる「自尊感情」も、ここ数十年で飛躍的に高まっている。2006年の調査では、80%の学生が、1988年の平均よりも高い自尊感情を持っていることがわかった。

さらに気がかりなのは、アメリカ国立衛生研究所が行った大規模な調査によると、20代のアメリカ人の10%が、重度の自己愛傾向の症状を見せていることだ。60代のアメリカ人では、その数はわずか3%になる。

この傾向をどう判断するかは難しい。攻撃性、欲、不安、IQなど、自己愛以外の精神的な性質についてはデータがないので、自己愛の上昇と比べることができないからだ。たしかに数千年単位で見れば、人間はそれほど変わらない。

自己愛のレベルと同程度に増加しているものを他にあげるなら、肥満のレベルだろう。これは1950年から2010年の間に200%以上増加している。とはいえ肥満の場合は、自己愛と違って数値で測ることができるので、現実的な健康問題としてきちんと認識されている。一方で自尊感情のようなものは、客観的に観察して数値化することはできない。そのため自己愛の増加は、肥満の増加と比べてわかりにくい現象になっている。

自己愛が高まったことで、幸福度も上昇しているなら問題はない。しかし実際はポジティブな自己イメージに異常なまでに執着し、非現実的なほどに自信がありすぎる人たちが増加しただけだ。たとえば最近の風潮であるセレブ崇拝も、自己愛型人間の増加で説明できる。世界中の何百万もの人々が、パリス・ヒルトン、サイモン・コーウェル、レディー・ガガのようになりたがっている。

また、ソーシャルメディアの普及によって、誰もがちょっとしたスター気分を味わえるようにもなった。別にレディー・ガガにならなくても、朝食の写真を投稿したり、「飼い猫が病気になった」、「ジムでいい汗を流した」とつぶやいたり、スターバックスでチェックインしたりできる。唯一の違いは、あなたはレディー・ガガではないということだけだ。

トマスチャモロ=プリミュージク

社会心理学者/大学教授

ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン教授

コロンビア大学教授

マンパワーグループのチーフイノベーション・オフィサー

(※写真はイメージです/PIXTA)