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手話の普及にも貢献されている佳子さま /(C)JMPA

話題を集めている愛子さまの日本赤十字社ご就職。ご公務とお仕事の両立を果たしてきた、愛子さまの“先輩プリンセス”たちの職場でのエピソードを紹介する。

「秋篠宮家の次女・佳子さまが一般財団法人『全日本ろうあ連盟』の非常勤嘱託職員として就職されてから、今年5月で丸3年となります。

ご就職当時はコロナ禍でもあり、週3日程度、事務仕事を当面はテレワークで行う予定であることを宮内庁が発表しました。しかしそれ以来、お仕事のご様子などはいっさい発表されていません」

そう語るのは皇室担当記者。

全日本ろうあ連盟の本部事務所は新宿区内のビル内にあるが、ビルの関係者は「佳子さまをお見かけしたことはありません」と、語った。

「全日本ろうあ連盟で、人手が余っているということはなさそうです。HPでは昨年11月から“デフスポーツ関連・一般事務補助”に携わるアルバイトを募集し続けています」(前出・皇室担当記者)

本誌は全日本ろうあ連盟に佳子さまの勤務状況について取材を申し込んだが、女性職員が次のように語るだけだった。

「そのこと(※佳子さまの勤務状況)については、こちらではいっさいお答えすることができません。(事務所に出勤することがあるのかについても)お答えすることはできません」

ある宮内庁関係者は次のように明かす。

「佳子さまが事務所に出勤されたのは、これまで1、2度ほどだそうです。そのお仕事内容については、宮内庁も“私的な事柄であること”を理由に、全く質問に回答していません。

ただ佳子さまは日本国内のご公務や海外でも手話でスピーチされています。手話普及への貢献度は絶大ですから、連盟も佳子さまが職員でおられることを大きなメリットととらえているのでしょう」

しかし、愛子さまが4月に「日本赤十字社」に就職されるために、佳子さまも方針転換を迫られているという。

「日本生産性本部による’23年7月の調査では、テレワークの実施率は15.5%と、’20年5月(31.5%)から半減していました。

愛子さまは週3日ほど出勤される見込みとのことですが、“なぜ佳子さまはテレワークを続けられているのか?”という疑問の声が上がることは間違いありません。早々に佳子さまも、ご出勤に切り替えられることになると思います」(前出・宮内庁関係者)

■眞子さんと彬子さまの対照的なブログ

労働の対価として給与を得た初の女性皇族が上皇ご夫妻の長女・黒田清子さんだった。清子さんは愛子さまと同じように、学習院大学卒業後の’92年4月から公益財団法人「山階鳥類研究所」に勤務していた。

「清子さんは非常勤研究員として週に2日、研究所に勤めていました。初任給は8万円ほどだったそうです。

おもな仕事の1つは皇居や赤坂御用地のカワセミを主とした鳥類の生態研究。もう1つが博物学者のジョン・グールドによる『鳥類図譜』にまつわるもので、掲載されている学名と、もっとも新しい学名を照合し、修正するという作業でした」(前出・皇室担当記者)

山階鳥類研究所所長を務めた山岸哲氏は清子さんのお仕事について週刊誌に寄稿したが、そのなかにこんな一節もある。

《研究の過程で、カワセミの雛がヘビに取られないよう、害虫駆除用の粘着板を巣の周りに取り付けてヘビの侵入を防がれたということだが、紀宮さまはヘビは平気で、これは所員から聞いた話だが、ヘビが出てくるとひょいと素手で捕まえられるそうだ》(『AERA’04年12月13日号)

清子さんのように、研究機関に就職したのが秋篠宮家の長女・小室眞子さん。

’16年4月に東京大学総合研究博物館の特任研究員に就任、学術文化総合ミュージアム『インターメディアテク』で非常勤研究員として週3日ほど働いていました。

インターメディアテクのHPには研究者のリレーコラムが掲載されており、小室圭さんとの結婚が話題を集めていた当時は、眞子さんのコラムも注目されました。’20年9月に投稿されたコラムは、電気もついていない展示室を歩き回ったときに不思議な感覚を覚えたという内容でしたが、《まるで時計の針が再び動き出したかのような感覚》といった一節があり、“暗礁に乗り上げている小室さんとの結婚に進展があったのでは”などと報じられたのです。眞子さんが結婚したのは、それから約1年後のことでした」(前出・皇室担当記者)

思いのたけを秘めていたためか、眞子さんのコラムは幻想的で難解な内容も多かったが、寬仁親王の長女・彬子さまの連載コラムは、ユーモラスでわかりやすい文体でつづられている。

《私はいつの頃からか、「和菓子の人」と思われている節がある。友人が、私の誕生日ケーキを担当の人に頼んだところ、「和菓子でなくてよいのでしょうか?」と聞き返されたらしい。日本の伝統文化に関わっているイメージからなのか、皇族は和のものしか食べないと思われているのか》(『和樂web』’24年2月1日配信)

前出の皇室担当記者によれば、

「彬子さまは日本の文化や歴史、美術への造詣が深く、京都産業大学立命館大学など、6つの大学で特別教授や客員教授などを務めていらっしゃいます。

いっぽうで’12年には京都で一般社団法人『心游舎』を創設し、総裁として子供に日本文化を伝える活動に携われているのです。その一環として子供たちに稲作文化を知ってもらうために、彬子さまも自ら田植えや稲刈りに参加しており、泥まみれで農作業を行われることもあります。彬子さまのモットーは“文化というのは、日常生活の中で生かしてこそ残っていくもので(博物館のガラスケースに)保存するものではない”というものなのです」

■瑶子さまは早朝出勤で職場の掃除を

彬子さまの妹・瑶子さまは’06年から’12年まで日本赤十字社で勤務されていた。

「いわば愛子さまの“先輩”ともいえます。女性皇族で常勤で就職されたのは、瑶子さまが初めてでした。常勤嘱託職員として、『事業局組織推進部青少年・ボランティア課』や『血液事業本部販売管理課』などで働かれました。

『青少年・ボランティア課』では、各地の主婦や学生ボランティアからなる『奉仕団』の指導や育成にも携わられていたそうです。上司だった人物は新聞の取材に『電話応対は非常に丁寧。通話相手は、皇族と話しているとは感じなかったはずです』などと、証言しています。

しかし三笠宮家の関係者によれば、瑶子さまは一時期、同僚との人間関係に苦しまれていたそうです。いまでいう“パワハラ”ととられかねない高圧的な言動に悩まされ、周囲も心配を募らせていたと聞いています。瑶子さまは早朝に出勤し、率先して職場の掃除を行ったり、お湯を沸かしたりしていたのですが、職場に溶け込むため懸命に努力されていたのかもしれません」(前出・宮内庁関係者)

三笠宮家の瑶子さまは職場で“三笠さん”と呼ばれていたが、高円宮家の長女・承子さまは“高円承子”と名乗られているという。

「『日本ユニセフ協会』の常勤嘱託職員として就職されてから昨年で10周年をむかえられました。いまは学校事業部主任というお立場で、国連児童基金(ユニセフ)の活動をPRするキャラバン隊にも参加されています。

昨年10月には山形市で出前授業を行い、小学生や中学生に、紛争や気候変動、栄養不良などにより、『子どもの権利』がおびやかされているなどと説明されました。さらに『世界の一員として問題を見つけ、解決方法を考え、周囲に伝えながら行動に移してほしいです』と、呼びかけられたのです」(前出・皇室担当記者)

“自らの手で傷ついた人々を救いたい”と願われているという愛子さま。“日本赤十字社の顔”として活躍される日が待ち遠しい。