15年ぶりにフィルムの一眼レフを買った。機種は高校生の頃に憧れた『Nikon FM2』だ。フィルムカメラの懐かしい機構について解説しながら、いま改めてフィルムで写真を撮ることについて考える。

参考:【写真】Nikon FM2』で基本に帰って撮ったスナップ

 一昨年、仲の良い友人がフィルムカメラで写真を撮りだした。『OLYMPUS Pen F』(フィルムのやつだ)にマウントアダプターをつけたり、リバーサルフィルムを試してみたりと、いろいろ楽しんでいるようだった。昨年、それに触発されてまたひとり、友人が一眼レフを買い、フォトウォークに行こうという話になった。手元にあったソ連製のコンパクトカメラを持って同行したが、その帰り、いてもたってもいられなくなってしまいオークションサイトを開いた結果、昨年末に『FM2』が届いた。

 『FM2』はニコン1982年から2001年まで製造していた一眼レフカメラだ。現在も根強い人気があり、近年ニコンが販売しているクラシックスタイルのミラーレス一眼Nikon Z f』『Nikon Z fC』は『FM2』をモチーフにデザインされている。

 『FM2』の特徴をいくつか見ていこう。詳細なスペックの解説は避けるが、まずこのカメラはいわゆる「機械式フルマニュアル」の一眼レフである。機械式、というのはカメラの動作機構に電力を必要としないことを示しており、簡単に言えば電池が入っていなくても写真が撮れるということである。

 そもそも、カメラというのは電池がなくても写真が撮れる機械なのだ。FM2にはボタン電池を入れる場所があるが、このボタン電池は露出計(被写体の明るさを測定する計器)を作動させるためのもので、たとえこの電池が切れても露出計が動かなくなるだけで、シャッターを押してフィルムを感光させる機能には何の影響もない。

 「フルマニュアル」というのは「絞り優先」「シャッタースピード優先」「オート」「夜景」といった「撮影に関する数値の変更を自動化してくれる機構」が存在しないということ。カメラで写真を撮る際にはシャッタースピード・絞り(F値)という2つの数値(デジタルカメラの場合、ここにISO感度設定が加わる)をコントロールし、「適当な明るさ」を設定してシャッターを切るわけだが、この作業を補助してくれる「おまかせオート」的な機能がまるでないということだ。

 露出計を見て写りを予想しながら絞りとシャッタースピードを変え、シャッターをチャージして、シャッターを切る。それ以外にできることは特にない。ピントももちろんマニュアルで、オートフォーカスは効かない。

 平成一桁生まれの30代である私が初めて一眼レフを買ったのは高校生の頃だ。当時フィルムカメラはすでに黄昏にあったが、基礎から勉強したいと思いフルマニュアルの一眼レフを買おうと決めた。『FM2』が欲しかったものの、価格に尻込みしてNikon安めの機種である『FM10』を買ったのだった(たしか、フィルムカメラということで投げ売りに近い値段で売られていた)。

 フルマニュアルの一眼レフというのは、基本的にはどんなカメラでも同じフィルム・同じレンズを使って同じ条件で撮影したら同じ写真が撮れるものだ。だから『FM10』も写りは良かったし、撮影に不自由することはあまりなかった(ファインダーはかなり暗かったが、それぐらいだ)。FM10では友達のバンドを撮影したり、スナップを撮ったりしていた。モノクロもよく撮った。その後デジタル一眼レフを買い、ライターとして仕事を始めるときにはミラーレス一眼を買った。これは今でも使っている。
 
 ところで、ライターという仕事には写真を撮るシーンが多い。展示会やリリースイベントなどに行くときは必ずカメラを持っていくし、製品レビューなどで「ブツ撮り」をすることもある。写真家やカメラマンではないが、人に見られる写真を撮るシーンの多い仕事だと思う。

 そんなわけで仕事で撮影することはたびたびあるものの、いつしか趣味で写真を撮ることは減っていた。それがいま、思わぬ形でかつて憧れたカメラを手にすることになった。フィルムを買うのも久々だ(1本2000円してひっくり返った)。一緒に購入したレンズは『Carl Zeiss Planar T* 1.4/50 ZF』。コシナが2006年に発売した、数少ない「ニコンFマウントで使えるツァイスレンズ」である。

 コシナのWebサイトを見ると「標準レンズの頂点に立つと言っても過言ではないマスターピース」と記載されている。憧れのカメラに"マスターピース"を装着、いいわけできない最高の装備が整ってしまったので、あとはいい写真を撮るだけだ(それが一番難しい)。

 憧れの『FM2』を手に取り、いよいよファインダーを覗く……というタイミングで驚いたのは、自分に「ファインダーを覗く前にカメラ背面の画面を見るクセ」が染み付いているということだ。私は仕事でミラーレス一眼を使うときもわりとファインダーを覗くタイプだからそんな癖はないと思っていたんだけれど、人の適応力とは恐ろしいものである。……改めてファインダを覗くと、明るい! 『Nikon F3』などはもっと明るいのだろうけれど『FM2』も相当いい。前の持ち主がスクリーンを取り替えており、スクリーンが全面マットになっているのも明るさの理由かもしれない。

 Nikon 『FM2』の重さは540g。これは過去の同社のフラッグシップ機である『F2』(720g)、『F3』(715g)」よりもずっと軽い。「高い剛性とブレの軽減」を果たすために大きく重くなったフラッグシップ機とは違い、『FM2』は薄く軽くてスナップに向いている。

 街を歩きながら被写体を決め、ピントを合わせ、シャッタースピードと絞りを定め、シャッターを切る。この短い工程を何度か繰り返していると、光学ファインダーの良さというものを段々と思い出してきた。ミラーレス一眼ファインダー(EVF)というのは瞳の前に小さなOLEDが張り付いているのであり、要は画面を見ているのだ。

 絞りも被写界深度(ボケ具合)も撮影前に確認できるEVFの素晴らしさを手放す気は全くないが、撮影行為として楽しいのは圧倒的に光学ファインダーの方だ。

 ファインダー内部。画面右側の露出系の表示が「o」になっていたら適正露出だ。シャッタースピードは左側、絞りは上部に表示される。

 カメラとは、自分の手で区切った場所の時間を勝手に止めてしまえる機械なのだということが光学ファインダーを覗くとよくわかる。そして、そんな機械を手にしたとき、心のなかには無邪気さや乱暴さや孤独がうまれる。要するに、撮影行為というのはそれだけでちょっといたずらで、そしてそれを絶えず自覚させてくれる。

 FM2は多重露光もできる。パソコンで画像編集すればできることだけれど、手元でこんな写真を取れることの面白さがある。

 そんなふうに撮影していると、あっという間にフィルムひとつ、撮り終わってしまう。フィルムをラボに出して現像が上がるのを待つ。この「現像を待つ」というプロセスも、変な言い方だが少しありがたい。フィルムの写真というのは、ラボに現像を依頼する場合は選んだフィルムの描写と現像の工程に対して基本的に手を加えることができない。

 逆にいえばこうした選択をフィルムとラボに明け渡してしまえるともいえるのだ。この「明け渡し感」が何だか清々しい。撮れているだろうか、どんな画になっているだろうか、あのときブレただろうな、あれはきっと上手く撮れた……現像中に訪れるこういった反芻はとても気楽で楽しい。

 デジタルだとこうはいかない。デジタル写真をRAWで撮影する場合には現像は必須の工程で、つまり現代の撮影には現像が含まれている。現像工程で光・色・それぞれのトーンをほぼ無限にコントロールできるのがデジタル写真の特長だ。

 実際「少し露出アンダーだけど後で編集で持ち上げよう」と思って撮影することはいくらもあるし、シャッタースピードを下げて適正露出を撮るよりもアンダーで撮った方が確実だ、などと思っていることも多く、その場合「適正露出」という撮影時の基準すらあまり当てにしていない。

 高性能なセンサーで高いダイナミックレンジを持つ写真を撮り、現像のプロセスでその階調を操作しながら理想の画を作っていくというワークフローは、『FM2』の現役時代から見たらまさしく夢のような環境だろうが、趣味としてはちょっとせわしなく、居心地が悪い。この居心地の悪さは、「自由度の高すぎるゲームをプレイして、何をしていいのかわからなくなる」とか、そういう気持ちに近い。

 現像が上がり、久々にフィルムカメラで撮影した写真を見ると、いろいろなことに気づく。高校生の頃より目が悪くなっているなあ、このフィルムはこの色をこう写すんだな、Planarは絞り開放の浅いピントの描写も、少し絞った画もどちらも良いなあ、など……つまりこうして得られた写真には自分にとっていろいろなことが写っている。

 「カメラはより良い画像を得るための道具であり、その手段を撮影と呼ぶ」とするならばこの行為は少し倒錯している。しかし、撮影という行為にはそれ自体が目的になるほどの楽しさがある。撮影は選択の連続で、特にフィルム一眼レフでの撮影行為にはたくさんの選択が内在しており、それは少し危うく、自由で、魅力的だ。

 またあえて「より良い画像を得るための道具」として往年のフィルムカメラを捉えても、意外と悪くないんじゃないか?と思う。というのも35mmフィルム対応の一眼レフと高性能なレンズの数々が中古で安価に流通しており、これらはレンズさえしっかり選べば現代の機材に描写力でことさらに劣るものでもない。「フルサイズセンサーに興味があるけど高くて尻込みしている」というようなデジカメユーザーがいたら、むしろ一度フィルムカメラの一眼レフを買うのは大いにアリだと思う。各所のラボでは現像したフィルムのデータ化も引き受けているし、AFやオートの効く、『FM2』より高性能なカメラがフルサイズ一眼レフよりもずっと安価に手に入る。こう考えると描写力に対するコストパフォーマンスはかなり高いと思うのだ。

 こうしたフィルムカメラのために買ったレンズは多くの場合現代のミラーレス一眼にも装着できるので、資産がまるっきり無駄になる可能性も低い。フルサイズの階調感やボケ味に惹かれるのなら、逆にフィルムでその描写を味わってみるのも面白いはずだ。

RAW現像をいったんやめ、『Nikon FM2』で基本に帰ってスナップを撮る