こんにちは。伝説のレディース暴走族雑誌『ティーンズロード』3代目編集長をやっていた倉科典仁と申します。ティーンズロードは1989年に創刊され、90年代には社会現象に。現在は廃刊となっておりますが、そんな本誌に10年以上携わっていました。
◆“ヤンキー雑誌ブーム”に押されて『ティーンズロード』が創刊
平成初頭は、空前の“ヤンキー雑誌ブーム”が訪れていました。そんななか、私がやっていたティーンズロードも創刊したわけですが、どちらかと言えば、他のヤンキー雑誌よりは後発でした。
私の記憶が正しければ、その当時すでに改造車や単車を扱う雑誌として『ホリデーオート』『ヤングオート』『チャンプロード』などが発売されていて、しかも売上は絶好調。
多いもので発行部数20万部を超えるほどの雑誌もありました。様々な出版社がその二番煎じを狙うべく、次々に新しいヤンキー雑誌を創刊しておりました。
我々もそれに負けじとティーンズロードの創刊を急いだわけですが、初代編集長としては、他誌と同じことをやっても意味がないと、“女性をメインにしたヤンキー雑誌”というコンセプトで始まりました。
ただし、その当時、暴走族は男性がメインで、女性はその男性たちの車の助手席やバイクの後ろに乗って集会などに参加していることが多く、いわゆる「レディース」という存在はまだまだ全国でも数が少なかったと記憶しています。
◆そもそも全国に約20万人もヤンキーがいたのか?
ティーンズロード創刊後、約1年あまりでレディースチームの数が全国で激増し、まさにブームが訪れました。相変わらず、車やバイクの改造車をメインとする雑誌も売れ行きを伸ばし続けている状況でした。
しかし、全国のヤンキーたちがこぞってティーンズロードなどを読んでいるといっても、冷静に考えて「そもそも全国にヤンキーが20万人もいるのか?」という話です。
他誌においては自分の車や単車を自慢したいヤンキーたち、そしてその改造車を見たくて読むというヤンキーの読者が多いことは当然ですが、我々がティーンズロードを創刊した当時、すでに「暴走族なんてまだいるの?」くらいに東京では暴走族の数が減っていたと思います。
もしも水面下で暴走族が活動していたとしても20万人の読者がみんなヤンキーかと言えば、それもありえないでしょう。では、どんな人たちが読んでいたのでしょうか?
◆ティーンズロード読者の約6割が「普通の10代男女」
他誌のことはわからないので、ここからはティーンズロードに限定した話として聞いてください。
レディース暴走族をメインに取り上げて、18万部という実売があったティーンズロードの読者層の約4割がヤンキー系、あとの6割は“普通”の子。もっと細かく言えば、あえて昔の呼び方をすれば、ネクラ系(今だと陰キャ)が多かったのです。
「ヤンキー雑誌なのになんでヤンキーよりも陰キャの読者が多いの?」と思われる方がほとんどだと思いますが、そこにはティーンズロードの内容に意外なポイントがあったのです。
◆恋愛・友情・シンナーなどの「お悩み投稿」が満載
ティーンズロードは、もちろんレディースを中心に暴走族を紹介していましたが、白黒ページでは、他誌とは少し違う企画が盛り沢山でした。その代表的な企画は以下です。
・シンナー撲滅企画
シンナー依存で苦しむ人たちの投稿に、読者の意見や励ましの言葉をのせる
・赤ちゃんごめんね企画
若くして妊娠してしまい中絶してしまった子の悲痛な叫び
・天国への手紙
バイク事故で死んでしまった彼氏を思って書いた手紙
・私どうすればいいの…
学校にいけなくなって引きこもってしまった子の葛藤
巻頭や巻末では「喧嘩上等いつでも来いや!」「全国制覇するんで夜露死苦!」というテンションの高いページが並んでいる一方、10代の子たちの悩み、苦しみ、心の葛藤など、まわりの人には言えない等身大の本音を読者投稿企画としてそのまま掲載していました。
SNSがなかった時代には、こういったことを話し合える場もなかったので、編集部には1日で大きなダンボール2箱くらいの手紙が送られてきたのです。
◆「読者が作っている雑誌」だった
編集部員は手紙のすべてに目を通し、そのうえで企画や特集を考えていました。まさに「読者参加型雑誌」。いや、「読者が作っている雑誌」と言っても過言ではなかったと思います。
思春期の若い子たちが何かに怒りを感じたり、悲しんだり、悩んだりしながら、共感してくれる友達を求めていることは事実です。それは今も昔も変わらないと思います。その結果、非行に走る子もいれば、ただただ一人で自分の殻に閉じこもってしまう子もいます。もしかするとティーンズロードは、そんな若い子たちの居場所(発言の場)だったのかもしれないと思っています。
暴走行為などの犯罪は決して許されることではありませんが、そういう子たちの心の扉を開いてみれば、10代の未成熟な若者にかわりはないのです。
◆「根っからの悪人」はいない
私がティーンズロードを作っていた約10年間で、怖い思いをしたことは何度もありますが、取材対象であるレディース暴走族たちの大半は、撮影が終わった途端に普通の女の子に戻ります。
自分たちを理解しようとしてくれる人たちには、素直に明るく接してくるという印象しかありません。もちろん全員がそうだとは言いませんが、少なくとも私が見た限り「根っからの悪人」は存在していませんでした。
もちろん、親や学校、友人など、育ってきた環境によって人それぞれで違いますし、彼女たちの気持ちをすべて理解して、わがままを許したりすることはできません。ただ、ティーンズロードはそういう子たちにとって、主張の場になっていたような気がします。
私の個人的な感覚で言えば、平成の「ヤンキー雑誌」は、ヤンキーの枠には収まらない「10代の子どもたちの居場所」、まさに「ティーンズロード(10代の少年少女たちの道)」だったのではと思います。私は、そんな雑誌に携われたことに今でも感謝しています。
<文/倉科典仁(大洋図書)>
【倉科典仁(大洋図書)】
伝説のレディース暴走族雑誌『ティーンズロード』をはじめ、改造車だけを扱うクルマ雑誌『VIP club』や特攻服カタログ『BAMBO』、渋谷系ファッション雑誌『MEN’S KNUCKLE』など、数々の不良系雑誌の編集長を務めて社会現象を起こす。現在は、大洋図書発行の実話誌『実話ナックルズ』のYouTubeチャンネル「ナックルズTV」や、ギャル男雑誌『men’s egg』をWebで復活させたYouTubeチャンネル「men’s egg 公式」のプロデューサーとして活躍中。
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