音楽、映画、文筆、各種番組出演と、多方面で活動を続けるラッパーのダースレイダー氏が、新刊『イル・コミュニケーション―余命5年のラッパーが病気を哲学する―』(ライフサイエンス出版)を11月30日に上梓した。

2010年に33歳で糖尿病からの脳梗塞に倒れ、2017年には腎機能の悪化で余命5年の宣告を受けた同氏が、その半生を振り返りながら、生きる原動力となったHIPHOP哲学などを語った本書。満身創痍のなか、精力的な活動を続けられる軸の部分に触れているわけだ。

自身の死生観について語ってもらった前編に引き続き、今回は時事問題について独自の見解を発信する理由を聞いた。

◆“残り時間”があまりないからこそ

――YouTubeやSNSで、さまざまな社会や政治について積極的に発信していることも自身の病気の体験や死生観と結びついているんでしょうか。

ダースレイダーあると思います。“残り時間”もあまりないですし、できることは限られますけど、やっぱり自分の考えを記録として残すことで、次につながって展開していくこともあると思っているので。生きている間はいろんなところで意識的に発信して、その種を撒いていけたらなと考えていますね。あとは、社会問題について語ること自体は特別なことでもないというのも自分の中ではありますから。「この花キレイだね」とか「今日は良い天気だね」とか、日々の生活で気づいたことを会話するのと感覚的には変わらないというか。

――なるほど。

ダースレイダー部屋の壁に穴が開いていたら気になるし、気づいたら「これ直した方がいいんじゃないの」って言うじゃないですか。これ指摘したら誰かに怒られそうだから黙っていようみたいな考え方をしないようにしているだけですね。

◆なぜ“いつも懐疑的で抵抗感を持っている”のか

――時事問題などを語るYouTube動画に招くゲストも多様で、安易なレッテル貼りや枠にはめようとする“力”に対し、ダースさんはいつも懐疑的で抵抗感を持っているという印象を受けています。

ダースレイダー政治思想みたいなものも含めて、僕自身は自分の居場所をあまり固定化しないようにはしていますかね。結局それも核となる変わらないものと変わっていくものとのバランスの話だと思うんですけど。

身体だって新陳代謝して細胞が日々生まれ変わっているように、考え方も日々新しい刺激や情報を受け取る中で変遷するということは普通にあることだよなと思います。日本人なんかはとくにフワフワしていると思っていて、そこは良し悪しがあるから別に強い軸がないということを肯定的に捉えることもできると思うんですけどね。

初詣もクリスマスも同じ感覚で楽しめるくらい宗教感覚が希薄なのも、それこそ枠にはまっていない話ですから。宗教のような非常に強い確固たる軸を持つことの弊害や問題が世界中で起こっているいま、いろんな可能性が日本人には本来あるとは思うんですけど。

◆YouTubeで4時間喋る回も。長時間の動画をアップする理由

――そもそも政治や社会について考えるゆとりがないという日本人も根本的に多いような気もします。

ダースレイダー本当に世の中忙しすぎるというのはありますよね。時間に余裕ができるために早く便利な社会になってきたのに、なんか逆なことになっているなと。ただ、ゆくゆくは人間のやることがなくなるんじゃないかなと個人的には思っていますけどね。AIも含めてテクノロジースピード感に人間がついていくのも限界がありますから。そこで諦めてふと暇になった時に備えて、ボンヤリとものを考えるための道筋をいま自分の動画でつけている感じです。

――ライブ配信のアーカイブだと、町山智浩さんと4時間くらい喋っているような回もありますし、1本1本のYouTube動画が基本的に長丁場ですよね。

ダースレイダー僕のYouTube動画ってゆっくり暖炉の前で座って2時間ぐらい人と喋っているイメージも個人的には持っているんですけど。いわゆるYouTubeの視聴者数を増やすための正攻法的とは全然違うレースをやっています。それこそコロナ禍みたいなことで急に時間が空いたとき、TikTokみたいなショート動画とは違う時間の過ごし方を提案する人が世の中にいたほうがいいと思ってやっていますね。僕の場合はメインストリームに対するオルタナティブという立ち位置でもあるので。

◆「間違えました」というコミュニケーションが大事

ダースレイダーなので、僕のYouTube動画はリアルタイムで追えなくても全然構いません。ずっと熱心に追いかけてくれる方もたくさんいますが、そこは巡り合いのタイミングだったりもする。ただ、僕にとって大切なのはいつでも再生できるようにアーカイブとして記録を残しておくことなんです。実際、後から振り返るようなかたちで、しばらく時間が経って、社会情勢が変化してからのほうがよく理解できるような話もたくさんあるので。

――ただ、記録を残していると自分の間違いも含めてそのまま残ってしまうということもあると思うんですが、なかなか勇気のいることなのでは?

ダースレイダーみんな間違えることを恐れすぎている問題もあるなと思っています。別に会話とかってもっと自由でいいと思うし、「間違えました」ってコミュニケーションがけっこう大事なのかなと。あの時の情報や状況ではこう判断しましたという記録自体が大切だろうし、後から考え方などが変わることも普通にあるだろうってぐらいの感覚です。

だいたい僕なんて病気の向き合い方も間違えていますから(笑)。自分の都合のいいように「疲れているだけだろう」「少し休めば治るだろう」という考えで、病院へ全然行かなかったら、えらい目に遭いましたという話ですからね、基本。でも、どうしても人間はそういう心理になるもんだと、知っておくことが大事なのかなと。

◆「来年が来るのが当たり前」とは考えていない

――最後に今後の活動についてお聞きできれば。2023年はプチ鹿島氏と共同監督のドキュメンタリー映画『劇場版 センキョナンデス』と『シン・ちむどんどん』も公開されましたが。

ダースレイダー来年が来るのが当たり前とは考えていないので、あまり長いスパンで計画とか立てることもないんですけど。今まで自分がやろうと思っていなかったことでも、何かお誘いがあったらなるべく積極的に、基本的に1回はやってみるという感じですかね。プチ鹿島さんとの映画も、そもそも最初から映画を作ろうと思って映像を撮っていたわけではなかったんですが、そうやって次々と新しいことにつながっていくことが人生おもしろいなと思うので。

<取材・文・撮影/伊藤綾>

【伊藤綾】
1988年生まれ道東出身、大学でミニコミ誌や商業誌のライターに。SPA! やサイゾー、キャリコネニュース、マイナビニュース、東洋経済オンラインなどでも執筆中。いろんな識者のお話をうかがったり、イベントにお邪魔したりするのが好き。毎月1日どこかで誰かと何かしら映画を観て飲む集会を開催。X(旧Twitter):@tsuitachiii

ダースレイダー氏