経済は「経世済民」の略語で「世をおさめて民をすくう」という意味があります。しかし、実際の経済で重視されるのは「GDP」などの点数指標ばかりで、本来の意味からはかけ離れていると感じる人も多いのではないでしょうか。本記事では、お金の向こう研究所の代表を務める田内学氏の著書『きみのお金は誰のため:ボスが教えてくれた「お金の謎」と「社会のしくみ」』(東洋経済新報社)から一部抜粋します。経済の「本来の目的」とGDPの関係性について考えてみましょう。

あらすじ

キレイごとが嫌いな中学2年生の佐久間優斗は「年収の高い仕事」に就きたいと考えていた。しかし、下校中に偶然出会った銀行員の久能七海とともに「錬金術師」が住むと噂の大きな屋敷に入ると、そこで不思議な老人「ボス」と対面する。

ボスは大富豪だが、「お金自体には価値がない」「お金で解決できる問題はない」「みんなでお金を貯めても意味がない」と語り、彼の話を聞いて「お金の正体」を理解できた人には、屋敷そのものを譲渡するという。図らずも優斗と七海はその候補者となり、ボスが語る「お金の話」を聞くことに……。

登場人物

優斗……中学2年生の男子。トンカツ屋の次男。キレイごとを言う大人が嫌い。働くのは結局のところ「お金のため」だと思っている。ボスの「お金の話」を聞くために、七海とともに屋敷へと通う。

七海……アメリカの投資銀行の東京支店で働く優秀な女性。当初の目的は投資で儲ける方法をボスから学ぶことだったが、現在はボスの「お金の話」を聞くために屋敷へと通う。

ボス……「錬金術師が住んでいる」と噂の大きな屋敷に住む初老の男性。関西弁で話す。1億円分の札束を「しょせんは10キロの紙切れ」と言い放つなど、お金に対する独自の理論を持つ大富豪

母の形見の腕時計

新しくいれられた紅茶が運ばれてきて、3人は一息ついた。

そのとき、七海が自分自身の話を始めたのは、ボスの何気ない一言がきっかけだった。

「なかなか素敵な腕時計やな」

シフォンケーキを食べる七海の手元で、くすんだ真珠色の文字盤が光っている。優斗にはお世辞にも素敵な腕時計には見えなかった。古ぼけていて、むしろ彼女の装いには不釣り合いに見える。

しかし、ボスのその言葉で彼女の頰はゆるみ、いつもの隙のない表情を崩した。

「ありがとうございます。でも、古いデザインですよね」

自然な素顔をのぞかせた彼女は、なつかしむように腕時計を触っている。

「母の形見なんです。半年前に病気で亡くなったばかりで」

「それは余計なことを聞いてしもうたな……」

と、ボスはあわてた顔をした。

いえいえ。逆に聞いてもらえてうれしいです。聞かれでもしない限り、そんな話できないですから。誰にも話さないと、母の存在が消えてしまいそうで不安になります」

声を落として話していた七海は、そこで口をつぐんだ。

経世済民という「優しい経済」

「そうやったんか……きっと素敵なお母さんやったんやな」

柔らかい眼差しとともに、ふたたびボスが優しく声をかけた。

その言葉が後押しになったのか、何かスイッチでも入ったかのように、七海はしんみりと語り始めた。

「私にとって、母が唯一の頼りでした。その母が亡くなって、膝が崩れるというか、足元が地面ごと崩れちゃったんですよね。もう一度立ち上がろうと思ったら、今度は、確実なもの、消えないものを支えにしたいって思って。それがお金だったり、自分が仕事に打ち込むことだったり。だけど、それだけでいいのかなとも思ったりして……」

ボスは何度も「そうか、そうか」と優しくうなずきながら、聞いていた。

優斗はそのやりとりを黙って見守るしかなかった。七海の抱える心の痛みをどこまで理解できたかはわからないが、彼女の言葉は心に染み込んできた。

ごめんなさい。とりとめのない話をしちゃいましたね」

七海は両手を顔にあてて、そのまま髪をかきあげると、息をゆっくりと吐いた。

ふたたびフォークを手にして、

「このケーキ、おいしいですよね」

と笑ってみせた。そして、残りのシフォンケーキを素早く口に運んで、また隙のない顔へと戻っていった。

ボスが後ろの棚から厚紙を1枚取り出す。

そして、万年筆で「経世済民」と大きく書いた。

「これで、けいせいさいみん、と読む。世をおさめて民をすくう、という意味や。経済は経世済民の略語や。本来、経済はみんなが協力して働いてみんなが幸せになることなんや。その腕時計にしても、多くの人が働いて作ってくれたおかげで、七海さんのお母さんが幸せになった。その幸せを今度は七海さんが受け継いでいるわけや」

腕時計を見つめていた七海が顔をあげる。

「そう言われると、経済は優しくあってほしいと思います。ですけど、実際の経済はGDPを増やすことばかり考えていて、そんなに優しくない気がするんですよね」

ボスの「ふむ」というあいづちを待ってから、七海は話を続けた。

「この腕時計は、私にとってはもちろん大切なもので、ずっと使い続けたいと思っています。でも、それだとGDPは増えないです。経済のためには、この時計が壊れて、早く新しい時計を買い替えたほうがいいわけですよね。人の感情を無視しているようで、なんだか冷たい世界に思えてしまいます……」

点数に取り憑かれた現代社会

基本的すぎる質問だと思いつつ、優斗は思い切って聞いてみた。

「GDPって、そんなに大事なんですか?」

「いい質問やな。根本から疑って考えることはいちばん重要や」

優斗の心配に反して、ボスはうれしそうに答えてくれた。

「このGDPってのは、1年間に、国中で支払ったお金の総額や。それは、作った物の総額でもある。たくさん物を作れば、生活も豊かになる。せやから、とにかくお金を使ってGDPを増やせばいい。そう考えるのが、今の社会では当たり前になっているんや」

当たり前と言われても、優斗には納得がいかない。

「だけど、そんなのもったいないですよ。腕時計がまだ使えるのに、買い替えたほうがいいなんて。誰も幸せにならないし、ムダな仕事を増やすだけだし」

「優斗くんの意見はまさに、経世済民の発想やな。僕もそう思うで。しかし、僕らはいつも点数に惑わされる。基本に立ち返って、本来の目的を考えんとあかん

「点数って、そのGDPのことですか?」

「それだけやない。なんでも同じ話や。学校のテストでも、『いいね』の数でも、点数を稼ぐことに夢中になると、本来の目的を忘れてまう。良い点を取ろうと暗記だけしても、学力はつかへん。『いいね』が欲しくて写真を撮ることに夢中になると、今を楽しめへん。それと同じで、GDPを目的にすると、肝心の幸せになることを忘れてしまうんや」

七海は難しい顔をしていたが、声はいつもよりも静かだった。

「でも、どうすればいいんでしょうね。1人ひとりにとって、幸せの評価軸は違いますから。全体を把握するためには、とりあえずGDPが増えていれば、幸せが増えていると考えるしかなさそうな気がします」

「まさに、そこなんや」

ボスの声に力がこもる。

「大事なのは、今言うてくれたように、GDPは『とりあえず』の数字でしかないってことや。本来の目的を忘れたらあかん

優斗には、自分に向けられた言葉のように感じられた。

これまで、勉強の目的をまじめに考えたことがなかった。テストで良い点数さえ取ればいいと思っていたし、高校を選ぶのも偏差値で周りに負けたくないくらいにしか思っていなかった。

田内 学

お金の向こう研究所

代表

(※写真はイメージです/PIXTA)