社会人になって初めて芽生えた「疎開したい」という感情。
人間関係やしがらみに巻き込まれるたびに、「疎開したい」が口癖になった。
田舎暮らしの経験はもちろん、自炊の経験もろくにないのに一体何を言っているんだ自分。それはきっと人生袋小路で絶望している時に1本の映画に出会ってしまったからだ。
主人公いち子が、上京して都会で働くもののうまく馴染めず実家のある青森の小さな村に帰って自給自足をする『リトル・フォレスト』という作品。
冬・春編と夏・秋編に分かれていて、四季の移り変わりや季節ごとの食材などを楽しみつつ毎日の食事をつくり生活をする。
夏は湿気が多いのでその環境を利用してパンや米サワーをつくったり、とれたて新鮮なトマトをつかってスパゲッティのソースをつくる。冬の寒さだって料理の立派な調味料。自然に囲まれながら、自分で育てた食材を使った手料理をもりもり食べる。
そこにある生活は、ドラマチックではなくただ淡々と時が過ぎていき、意味なんて存在しない。きっと暮らしがあるだけなんだろう。
人生のストーリーばかりに気を取られていたけれど、暮らしを大切にできないとそれって中身がないよな…と思わされてから自然に囲まれた生活が一層恋しくなった。
スマートフォンを見ずに目を休めて、透き通った空気を吸って息をしたい。
質素でいい。心に余白が残るような、そんな丁寧な生活がしたいのだ。
しかし、田舎暮らしで平穏が訪れるかというと待ち受けているのは地獄かもしれない。 ろくに自炊もできなければ、コンビニに生かされている日々。10分おきに発車する電車に乗ればどこへでも行けるし、街は永遠に眠らない。休日はだらだらと家に引きこもって過ごしていてもボタンひとつで食べたいものがすぐ家に届く。便利さに慣れすぎてしまっているせいで、有り難さを忘れつつあるのかもしれない。
そもそも弱火と強火の調整もできずに失敗を繰り返している料理レベル0の人間が、自給自足なんてできるのか?
家に出る黒いGから名前がはじまるあいつとの格闘も半日に及ぶのに、生きていけるのか?
腹が減って動けなくなる前に料理なんてできる? 食材を育てるって、もうそれ以前の問題なのでは…。
疎開したいという思いが強くなるたびに自分の生活能力のなさを痛感する。せめてもと無印良品に行っては収納ボックスを買って、結局収納ボックスが収納できず家の中は混沌を極めていくのだ。
深夜2時にビーズクッションに沈みながらネットの海を彷徨っていると、広告にミント栽培キットが表示され、スワイプする手をぴたっと止めた。
「誰でも簡単にお手入れいらずで育てられます」という謳い文句にまんまと魅了されたのだ。
ミントは観葉植物なのか食材なのかいまいちよくわからないけれど、最近読んだ本で観葉植物は幸福度や集中力を高めてくれるので取り入れてみようと書かれていたのを思い出した。
もう27年生きてきて、家の中で集中して作業ができた試しが片手に数える程度しかないのだが、観葉植物が全てを変えてくれるかもしれない。
ミントについて詳しく調べていくと、「ケンタッキーカーネルミント」なんてのもあるのか。フライドチキンのいい匂いがしそうなミントだな。ミントの活用法は歯磨き粉とモヒートくらいしか思いつかないけれど、夜お酒を飲む時に自分で育てたミント添えるって暮らしに余裕ある感じするよな…。
夜中はネガティブな感情に溺れそうになることが多いのに、ネットショッピングする時だけポジティブになるの止められないね。
そして数日後、天使の顔した悪魔が降臨したのだった。
黄色い植木鉢に付属の土を入れて、水をやり、種を蒔いてあとはラップで湿度を保つだけ。
数年前に1500円払って買った雑草栽培キットと同じ手順なので慣れたもんだ。ちなみにそっちはヒョロヒョロの頼りなさそうな雑草が一本アスファルトの隙間から生えてきただけだった。
雑草って 何度踏みつけられたって立ち上がるくらい強いんじゃなかったっけ…? と思ったけど気付いちゃったんだ。
雑草は面倒みて育てるもんじゃない。誰の手も借りずに図太く生き残った草が雑草になるんだって。
過保護になりすぎちゃいけないなと思い、あの時のように1時間おきに水をあげるのをやめ、程よい距離感で見守ることに徹した。すると発芽してひと月ほどで、ミントはすくすくと育ち更地だった植木鉢に帝国を築き上げた。
まさに「こんなに立派になっちゃって…」だ。
早くも収穫できるようになったので、早速自家製ミントを使ったモヒートをつくってみた。
キンキンに冷えたグラスにミントを長めのスプーンで潰すように入れ、そこにちょっと甘さを足したいので蜂蜜を入れる。氷、ラム、炭酸水を注ぎカットレモンを3つほどグラスに飾って、最後に採れたてのミントを手でパンと潰して香りを引き立てたりなんかして添えたら完成だ。
すっとフレッシュなミントの香りがソーダの背中を追いかける。こりゃ大人のシーブリーズだ。
ミントが根付いていた土地にまで思いを馳せることができる。なんて豊かな気持ちになれる一杯なんだろう。丁寧な生活ってこういうことなんだろうなと全く丁寧ではない飲み方をしていたら植木鉢いっぱいにあったミントを一瞬で消費してしまった。
これじゃ、冬越すどころか明日すら越せないじゃないか。そもそもこの植木鉢、サイズ合ってないのでは…?
なんなら植木鉢が小さくて成長できず、子供のままのキッズミントの姿も見られる。欲張って、ミント増殖計画を立て植木鉢拡張を試みたのだが、1ヶ月後にはひとまわりサイズを大きくした植木鉢でミントのおしくらまんじゅうがはじまっていた。
育ち盛りの子供のように次々とサイズが合わなくなる植木鉢。頻繁に植木鉢を交換していたら玄関が植木鉢だらけになってしまったので冷静になろう。
しかし、苦しいよ~土地をくれ~とミントの悲痛な叫びが聞こえてくる気がしてならない。私だって満員電車に乗りたくなさすぎて仕事を辞めたところもあるし、君たちの気持ちは痛いほどよくわかる。どうしたものか…。
そして、私は閃いたのだった。家の庭に直接植えればいいのではないかと。
地球に直接植えた方がミントたちもよりオーガニックになれるよね。春の植木鉢のクラス替えは終わり、夏を知らせる蚊にキスマークを大量につけられながらも、ミントを転校生として庭に送り出した。勝手に生えて無法地帯になっている雑草にも「ミントをこれからよろしくね」と一言。
自由を手にしたミントたちは、たちまちぎゅっと一気に大きくなり、ミント界のパリコレに出れるくらいの背丈に成長していった。一方、その頃すでに私はモヒートには飽きてしまいミントとは無縁の生活を送り始めていた。
丁寧な生活はそう続かないのかもしれない。私の飽きを悟ったのかミントにも異変が現れ始めた。
本格的な夏を迎え自由を手にしたはずのミントが儚げな少女のようにしおらしくなり、ついにはいなくなってしまったのだ。暑くてアイスクリームみたいに溶けてしまったのだろうか。あれほど植木鉢の中で繁栄していたミント帝国は全滅してしまったのだ。
なんとなく愛し、なんとなく忘れてしまいそうな夏の思い出フォルダに分類したまま、春になった。
暖かい春風が懐かしい香りのする思い出を運んできた。その香りはとても透き通っていて少女漫画に出てきそうな爽やかさ。庭をじっと見てみると、あらゆるところから見覚えのあるミントの姿が垣間見える。
「あの夏、君は死んだんじゃなかったっけ?」とドラマでしか使われなさそうなセリフを現実で使う日が来るなんて。
よろしくねと告げた雑草もそういえば、どこにもいない。たんぽぽやクローバーもいなくなってる。
気付けば庭一面がミントに侵略されていたのだ。ミントはあの夏死んだとみせかけて虎視眈々とこの時を待っていたのかもしれない。
抜いても抜いても数日後にはキッズミントがこんにちはと湧いてくる。
Minecraftのモンスターが無限湧きするスポーンブロック埋まっているんじゃないかと思うほど、ぽんぽんミントが誕生していくのだ。地球がミントに侵略されるのも時間の問題だ。もう一生家ではモヒートを飲み続けなければいけないのかもしれない。そんな覚悟がなかった私は、怒られることを覚悟で一旦大家さんに相談してみることに。
「モヒートが飲みたくてミントを庭に植えたら、ミントにいつの間にか庭を乗っ取られてしまいました…本当に申し訳ないです」と告げると「これは、確かに一人じゃ食べきれないね」と険しい顔で何か考え事をはじめた大家さん。
「これこんなに全部もらっていいってことかい?」と恐る恐る私の顔を覗き込んできた。会話が噛み合っていない気もするけれど、むしろ貰ってくれるなら有難いのでこくりと頷くと鼻歌混じりで「ミント春の大収穫祭」がはじまった。
やるかやられるかの白黒しか答えはもう残っていないと思っていたけれど、共存という選択肢も残されていたのか。
ミント帝国の支配下に置かれているので疎開からはより一層遠のいたけれど、しばらくはミントと平和に過ごすことができそうだ。今では大家さんの奥さんがミントハーブティーを欠かさず飲んでいるらしい。こうして大家さんが毎日草を刈ってくれる不思議な関係性が生まれたのだった。
みんなもくれぐれもミントを植える時は気をつけてね。
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