準備さえしていれば、いずれ結実する瞬間が訪れる。巷で言い尽くされてきたこんな言葉を私たちに信じさせてくれるような現実を、『梟ーフクロウー』(2月9日公開)のアン・テジン監督は今歩んでいるのかもしれない。このスリリングなサスペンス史劇は、昨年の韓国公開初日で全体ボックスオフィス1位を記録すると、その後もスマッシュヒットを続けた。韓国国内の映画賞でも25冠を制するなど、興行面でも批評の点でも好評を得た本作を手掛けたアン・テジン監督は、撮影当時51歳という遅咲きの新鋭だ。

【写真を見る】控えめな口調の中にも映画人としての矜持が垣間見えたアン・テジン監督

ギョンス(リュ・ジュンヨル)は病の弟を抱える盲目の天才鍼医。その才能から内医院(朝鮮王朝時代に宮中で医療を行う官庁)に登用され、侍医マンシク(パク・ミョンフン)に連れられて宮廷に住み込むことになるが、ギョンスは誰にも言えない“秘密”を抱えていた。一方、清に人質として捕らわれていた世子(キム・ソンチョル)が帰国するが、間もなくして謎の死を遂げる。偶然にも世子の死の瞬間に立ち会ってしまったギョンスは真相をつかむべく、疑念と狂気に苛まれていた仁祖(ユ・ヘジン)とも対峙することになる。

アン・テジン監督は、『達磨よ、ソウルに行こう!』(04)の演出部に参加し映画界へ足を踏み入れた。『ラジオスター』(06)、『金子文子と朴烈』(17)、『空と風と星の詩人 尹東柱(ユンドンジュ)の生涯』(16)など、幅広いジャンルの作品を手掛けているイ・ジュニク監督の元で研鑽を積み、『王の男』(05)では助監督としてサポート。その後、シナリオ作業や投資者の募集、キャスティングなどを繰り返す苦渋の準備期間を過ごしていた。そんな4年前、アン・テジン監督は『梟ーフクロウー』の脚本を任される。

盲目の天才鍼術師ギョンスの“目”にまつわるある重大な秘密は、ストーリー展開の重大な鍵だ。これはフィクションの設定ではなく、現実の視覚障害にもある症状だそうだ。シナリオ作業当時から眼科医のアドバイスを受け、ギョンス役のリュ・ジュンヨルと共に視覚障害者の当事者へ話を聞きに行くなど、リアリティを追求した。

「本作を企画した映画制作会社の代表と脚本家がネットで検索して知った症状をもとに、“秘密”を持つギョンスのキャラクターを作りました。そこに仁祖(李氏朝鮮時代の第16代国王)と昭顕世子(仁祖の長男)の歴史的記録と、鍼術師という設定を加えた感じです 。実は『梟―フクロウ―』を提案される前は、時代劇を撮ろうと考えたことがなかったのですが、 “ある秘密を抱えた盲目の主人公が王宮の中に入り込み、何かを目撃する”というストーリーがとても興味深かったのです」

アン・テジン監督は秘密を持つ盲目というテーマに、朝鮮王朝時代の記録物「仁祖実録」にあった「まるで薬物に中毒して死んだ人のようだった」という、謎の死を遂げた昭顕世子の記録を結びつけて、本作の脚本を書き始めた。 シノプシスに書かれていたたった一文から、歴史の記録をたぐり寄せ、インスピレーションを膨らませるという驚くべき手腕。51歳の新人監督という面にばかり注目されるが、才能と努力によって培われた確かなポテンシャルを感じる。

■100回以上書き直したシーンも!監督こだわりの脚本と俳優の意見で作り上げた名場面

しかし、アン・テジン監督のこだわりが強すぎるせいで、脚本作業は困難を極めた。クランクイン直前までスタッフと俳優たちの意見を反映しつつシナリオの手直しに励み、ストレスで腸炎を起こすこともあった。特に、仁祖とチェ領相(チョ・ソンハ)がやりとりをするシーンは、100回以上脚本を修正したという。

「物語の分岐点となる重要なシーンでしてね。 仁祖がどれほど疑念に捕らわれているのか、宮廷の権力者たちが小市民に対してどれほど厚顔無恥なのか、そして真実を知り、もう後に引けなくなったギョンスがどう変化していくのかを、一気に表現したかったんです。俳優たちからも色んな意見が出ましたので、アイデアを反映しながら、何度も書き直しました」

こうして練り上げられた脚本はもちろん、神経の行き届いたディレクションにも驚かされる。韓国の観客に「本作を完璧に楽しみたいなら、ぜひ劇場で観てほしい」と呼びかけていたアン・テジン監督だが、実際向こうでは劇場公開時より、明暗の巧みなコントラストの映像や繊細な音響の表現のおかげで最後まで飽きさせないと好評を博した。

「特に力を入れたのは、ギョンスのぼやけたような視点のショットですね。CGを一切使わずに、できるだけリアルにギョンスの視野を表現したかったです。カメラの光学的な部分だけを利用し、レンズの前にストッキング湯たんぽを当てる方法で撮影しました」

■常に和やかなムードが満ちた名優たちとの撮影現場

ギョンスは視覚障害者である一方、これまで多くの映画で描かれてきた、ハンディキャップを持つキャラクターとは異なる造形だ。ギョンスが主体的に躍動し、ノワールのムードが満ちる緊迫のシーンもある。「ギョンスが社会的弱者であることは事実ですが、この映画のなかで彼はむしろ、真実を追求するために自分のハンディキャップを利用する瞬間もあります。そういうところが、観客の方々が楽しめるポイントになると思います」

韓国の映画ファンから支持されている映画評論家イ・ドンジン氏が「歴史の余白を埋める想像力に、演技巧者の俳優たちの新鮮な好演が力を加えた」と絶賛を送ったように、俳優の力も『梟ーフクロウー』の魅力の1つだ。キャスティングはまず主役のリュ・ジュンヨル、続いてユ・ヘジンにオファーが行き、『タクシー運転手 ~約束は海を越えて~』(17)でも共演していた2人は快諾したという。最初は緊張感に包まれた現場も次第に呼吸が合い、撮影にかかる時間が短くなるなど、スムーズに進んだそうだ。

最も記憶に残るエピソードを尋ねると、アン・テジン監督は「一番難しい質問ですね」と苦笑いしていたが、ありあまるほど思い出があるということは、さぞ心地の良い撮影現場だったのだろう。昨年開催された百想芸術大賞で新人監督賞を受賞した際、ステージから俳優陣へ向けて送ったメッセージも感動的だった。

「私がそれほど多くのディレクションをしたわけではないんです。すべての俳優たちが、まるで監督の役割をきちんとしてくれたような感じです。私、キャスティングが上手なんですよね(笑)。すばらしい俳優たちを選びさえすれば、後は流れに任せれば良いのだと思っています」

15歳のとき、忠武路(ソウルにある映画の中心地)の映画館で『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(85)を観て、自分は映画監督になるべきだと思ったというアン・テジン監督。1987年7月17日午後15時40分という、時間まではっきりと覚えている。あの日から苦節35年。いまはたくさんの制作会社からのラブコールが相次ぐ人気監督になったが、一方の本人は、「細く長く活動していきたい」と、案外素朴な目標を明かした。

「生活者として映画監督をしていこうかなという感じです(笑)。映画を続けていくモチベーションというのも、『大ヒットしたい!』とかではなく、応援してくれる家族のために、今後も頑張って映画を作っていこうと思っているだけです」

インタビューの最後、次回作としてソウルを舞台にAIが活躍するアクションスリラーを書いている最中だと教えてくれたアン・テジン監督。「今作や次回作とはまた違うジャンルの、いろんな映画を撮ってみたい」と意気込んだ彼が、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』にも匹敵する快作を撮る日も、そう遠くない。

取材・文/荒井 南

盲目の天才鍼師が“目撃”したものとはー?新機軸のサスペンス『梟ーフクロウー』/[c]2022 NEXT ENTERTAINMENT WORLD & C-JES ENTERTAINMENT & CINEMA DAM DAM. All Rights Reserved.