ミツバチささやき』(73)と『エル・スール』(82)、そして『マルメロの陽光』(93)。半世紀のキャリアでわずか3作品しか長編を発表していない寡作家ビクトル・エリセ監督が、83歳にして31年ぶりに手掛けた長編映画『瞳をとじて』が2月9日に日本公開を迎えた。

【写真を見る】わずか5歳にして世界を虜にした名演技…ビクトル・エリセ監督の名を世に知らしめた名作から“アナ”の歴史が始まった

かつて映画監督をしていた作家のミゲル(マノロ・ソロ)は、あるテレビ番組への出演を依頼される。それはミゲルが22年前に手掛けた映画の撮影中に主演俳優フリオ・アレナス(ホセ・コロナド)が失踪した事件の謎を追うというもので、フリオの親友でもあったミゲルは取材に協力しながらフリオと過ごした青春時代、そして自らの半生を追想していく。やがて番組が放送され、ミゲルのもとに「フリオによく似た男が海辺の施設にいる」という情報が寄せられる。

本作で、失踪したフリオの娘アナを演じたのはアナ・トレント。エリセ監督のデビュー作となった『ミツバチささやき』で撮影当時5歳にして主演を務めたトレントは現在57歳。2011年にオムニバス映画『3.11 A Sense of Home Films』でエリセ監督が手掛けた短編『Ana Three Minutes』に出演したことはあったが、長編映画でタッグを組むのは実に50年ぶりのこととなる。

スペイン内戦が終結した直後の時代を舞台に、村に巡回上映でやってきた映画『フランケンシュタイン』を観て怪物に魅せられる少女アナを演じたトレント。愛らしくつぶらな瞳で世界中の映画ファンの心を掴み、スクリーンデビュー作にして“伝説の子役”と語り継がれる存在にのぼりつめた。

その後トレントは、カルロス・サウラ監督の『カラスの飼育』(76)で三姉妹の次女アナ役を演じ、子役俳優としての確固たる地位を築き上げると、第53回アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた『エル・ニド』(79)の演技でモントリオール世界映画祭主演女優賞を受賞する。

演劇を学ぶためにニューヨークへと留学し再び女優業に復帰した1990年代には、スペインで公開当時大ヒットを記録したアレハンドロ・アメナーバル監督の『テシス 次に私が殺される』(95)に主演し、ゴヤ賞主演女優賞にノミネート。ナタリー・ポートマンとスカーレットヨハンソン共演の『ブーリン家の姉妹』(08)にも出演するなど、現在に至るまで順調にキャリアを積み重ねてきた。

エリセ監督とは『ミツバチささやき』の後から連絡を取り続けていたようで、エリセ監督の談話によれば本作への出演が決まったのは2021年の末ごろ。トレントが出演していた舞台を観に行ったエリセ監督は、彼女に話しかけ新作に出演してほしいと直々にオファー。トレントは二つ返事で承諾し、50年ぶりの本格コラボレーションが実現に至ったという。

ミツバチささやき』の撮影時、自分の名前と役名が異なることに困惑していた幼いトレントに、エリセ監督は彼女の本名である“アナ”という役名を与えた。その後トレントは『カラスの飼育』のほか、パコ・プラサ監督のホラー映画エクリプス(17)や短編映画『Le Prochain』(18)などでも“アナ”という役名を演じてきた。そして今回、すでに実力派女優へ成長を遂げた彼女が再びエリセ監督のもとで“アナ”を演じる。主人公のミゲルの前に現れるその姿からは、たしかに『ミツバチささやき』のあの少女の面影を感じることだろう。

現在『瞳をとじて』の公開を記念して、全国各地の劇場で『ミツバチささやき』と『エル・スール』の再上映も行われている。まだ観たことがないという人は是非ともこの機会にスクリーンで映画史に刻まれた名作を味わい、最新作とあわせてエリセ作品を堪能してほしい。ビクトル・エリセの新作をリアルタイムで劇場で観られる、こんな貴重な体験ができるのはいまだけだ。

文/久保田 和馬

『ミツバチのささやき』から『瞳をとじて』まで、アナ・トレントの50年を振り返る/[c]Everett Collection/AFLO