近ごろ話題をよく耳にする「マルハラ」なるワード。「マルハラスメント」を省略した言葉で、LINEなどでメッセージをやり取りした際、文末に「。(マル)」を付けることが、相手に威圧感を与えてしまうのだそう。

 ならば絵文字を付けてはどうかとやってみれば、「おじさん構文」だと言われ、何もつけなければ「冷たい」と思われ……じゃあ結局何が正解なんだよ!……という心の叫びを訴えた投稿が、Xで話題になっています。

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「了解しました。」←マルハラ
「了解しました(⁠^⁠o⁠^⁠)」←おじさん構文
「了解しました~(笑顔の絵文字)」←おばさん構文
「了解しますた」←ねらーかよ
「了解しました」←なんか冷たい
「了解しました!」←「!」こわい
………何が正解なんだよ………

 こうつぶやいた「めがね」さん。さまざまなパターンを提案しても、結局は受け手に意図を歪曲されてしまい、上手く伝わらないことを嘆いているもよう。

 投稿には2万件もの「いいね」が付き、返信欄には「難しい世の中やなぁ」「こんなんで悩まなきゃいけない時代が来るとは」「いやもう全てが面倒くさい……」など、さまざまな意見が入り乱れる結果となっています。

 めがねさんの投稿は、一見すると大げさにも聞こえますが、受け手の解釈としてはたしかにどれもあり得そう。

 送り手としては他意はなくても、「怖い」「冷たい」と捉えられてしまえばそれまで。相手のことを気にしすぎる必要はありませんが、良好なコミュニケーションを築くためには、出来る限り気持ちよく受け取って欲しいものです。では、一体どうすることが正解なのでしょう。

■ 相手によって文章を使い分ける案

 筆者個人としては、相手との関係性を考慮し、時と場合によって使い分ける……しかないのではないかな、と思います。

 筆者も特段意識しているわけではありませんが、よくよく考えてみると相手によってメッセージの送り方を何パターンも使い分けていました。親しい間柄の相手には句読点なし、付き合いが浅い人には絵文字を交え、仕事上のやり取りには「!」を多用したりといった感じです。

 言葉とは場により、時により、人により異なる意味が加わる性質を持つ、生き物のようなもの。文章だけでなく、句読点や記号、絵文字にも同じことが言えるのではないかなと。

 加えて、日本語は特に難しい言語とされており、直接的な対立を避けるために、間接的な表現や謙遜する表現が多用される傾向にあります。言葉自体が持つ意味が繊細で複雑であるからこそ、相手への配慮を忘れないようにしたいところです。

■ 普段のコミュニケーション次第案

 めがねさん自身は、「どのような文章だとしても、その相手との人間関係が構築されていれば問題がないのでは?と思っています」とのこと。

 たしかに、オフラインのコミュニケーションがしっかりとれていれば、たとえ会社の上司・部下であっても、そこまで気を遣う必要はないでしょう。自分が受け手と仮定した場合、親しい間柄であったり、お世話になっている上司であれば、句読点絵文字の有無に気持ちは左右されません。

 こうしたやり取りが話題になるということも、ある意味ではコミュニケーションが希薄になっていることを象徴しているのかも。とはいえ、ライフワークバランスが叫ばれる現代において、密度の高いコミュニケーションを図るにも限度があるのも事実。メッセージのやり取り1つが相手との関係性に影響を与えることは必至でしょう。

 相手によってメッセージの送り方を工夫すること、合わせて可能な限り常日頃からコミュニケーションを図ること。その両方が出来れば、正解に近付けるのかもしれません。それにしても、メッセージひとつでここまで気を遣わないといけないとは……それはそれで、やりづらい世の中になったものですね。

<記事化協力>
めがねさん(@tea_time_lover_

(山口弘剛)

Publisher By おたくま経済新聞 | Edited By 山口 弘剛‌ | 配信元URL:https://otakei.otakuma.net/archives/2024021303.html
「。はダメ」「絵文字もダメ」なら何が正解?メッセージの送り方に様々な意見