【日本の99%は山手線からは見えない 第9回】

「田舎モンはそこで生きているだけでコストがかかるから、とっとと移住しろ」

10年前にそんなことを言ったら大炎上するところだが、どうやら今は違うらしい。

能登半島地震で活発化した「移住議論」

2024年の元日に能登半島地震が発生し、1月2日には、震災にあった珠洲市の市長から「4000〜5000世帯は自宅に住めない」との衝撃的な発言があった。珠洲市が公表している「統計すず」(令和5年)によれば、令和4年の人口は1万2947人、世帯数は5901世帯だから、どれだけ凄まじい被害であったかがわかる。

また、珠洲市の年齢別人口は0〜64歳が41.1%、65歳以上が51.7%となっており、過疎対象地域になっているなど高齢化が著しい地域でもある。人口は平成2年から見ればほぼ半減しており、震災の被害によっては地域の存続が危ぶまれることになるかもしれない。

そんな中、衆議院議員米山隆一氏がXに「地震前から維持が困難になっていた集落では、復興ではなく移住を選択する事をきちんと組織的に行うべきだと思います」とポストしていた。これは震災から7日後の1月8日にポストされたものだから相当に思い切った発言で、当然に多くのインプレッションを得ることになった。

「ただでさえコストがかかる地域を、さらにコストをかけて復興させても、さらにコストがかかり続けるだけ。だったら移住してもらったほうがいい」というある種の暴論は、普通なら大炎上し議員辞職まで追い込まれてもおかしくないのだが、そうはならなかった。賛同の声も少なくなかったのだ。

社会保障費の青天井の増大が不可避のものとなるなど、この国の住民たちは、全国津々浦々まで平等に扱ってもらえることに限界がくることを感じている。だからこそ、すでに過疎地域であり今後の人口増など望めない地域に巨額の復興費を投下することに疑問を持ち、その「人でなし」な思考を許容するようになってきた。

こうなると、田舎モンはことあるごとに居住地を追われる恐怖に駆られることになる。しかし、田舎モンにとってそれは決して不幸なことではないと思う。

◆田舎に住んだほうが老化が加速する?

私が住む地域は車がないと何もできない。だから、高齢者になり車が運転できなくなったら一人での生活には大きな支障が出る。

私の両親もそうだが、田舎の人は本当に歩かない。歩いて生活していては時間がかかって仕方がなく、車を常用しないと生活が成り立たないのが理由として大きい。なので、加齢と共に足腰が弱くなっていき、歩くことが億劫になり、さらに弱っていく悪循環になる。

65歳を超えて会社を完全に退職したら、田舎から出て都市部で暮らすことを選択すべきだ。半強制的に歩く生活になるし、歩いて行ける距離で生活は十分成立する。その年齢で新たな土地で生活することに抵抗はあるかもしれないが、そもそも田舎が人間的に温和で穏やかに生きられるという嘘はもうバレているので、都市部でだってなんら変わらないだろう。「退職したら田舎でのんびり暮らしたい」は危険な罠で、田舎に来たら加速度的に老化していくことを計算に入れていないのだ。

田舎モンは、田舎が好きなわけではない。常に不便さに腹が立っているし、閉鎖的な考え方にうんざりしている。言葉の端々から感じる同調圧力にも辟易してもいる。都市部で生活することで、それらが魔法のように解決してくれるとは思っていないけど、ここよりはマシだとの思いは決して弱くない。

◆移住をすることは「裏切り」なのか?

しかし、現実的に移住は難しい。まずは親族の理解が必要だ。

田舎に居を構えた瞬間に、親族からは「あてになるフルメンバー」として登録される。何かあったときは頼りにできそうな支援者としてインプットされるのだ。

そのインプットは田舎に住む自分に対しても行われる。だから移住を検討する際に「これは裏切りなのではないか?」との後ろめたさに襲われることになる。たとえ相手はそう思っていなくても、そう思っているだろうと感じてしまう。それが、移住への決断を鈍らせる。そんなことを気にしない人物は、そもそも田舎なんかに帰ってはこないのだ。

「ここはどこにいくにも遠すぎるよ。私は絶対に帰ってこないと思う」

正月に進学先から帰省した長女ははっきりとした口調でそう言った。彼女は大阪まで電車で10分の場所に住んでいる。そこと比べたらここは僻地以外何者でもなく、何をするにも時間を大きくロスするように感じるのだろう。田舎に住むことは、リソースのロスが都市部と比較して大きいのだ。

人口減少が加速度的に進んでいく田舎にあって、移住は人生を改善するための再現性の高い手法であり、検討しない奴は馬鹿でしかない。しかし、土地と親族、そして友人関係などのしがらみで決断ができない。自分が「裏切り者」と言われるのではないかと怯えている。それもまた、田舎で長く住んだことによる呪いの一つの形だ。

だから、誰かに言い訳を準備してほしいと願う。「出て行きたいわけじゃないんだけど、ほら、仕方なくね……」という裏切りも仕方がなかったという大義名分が欲しいのだ。

長く住んだ、沈みゆく船から「イチ抜けた」は後ろめたすぎる。それは長く住んだからこそ、心に重くのしかかる。行政が主導し、移住を推奨するような施策を打ってくれれば、それを理由に移住ができる。それは仕方のない選択肢として免罪される。

◆「移住のための言い訳と補助金をくれ」

移住する選択をしても、後ろ指を刺されない言い訳が欲しい。故郷と親類知人を置き去りにするだけの言い訳が。

震災に端を発した、「田舎を見捨てる論」に田舎モン全員が不快感を持っているわけじゃない。

「もっと大声で言ってくれ。そして、移住のための言い訳と補助金をくれ」

そう願う人だっているはずだ。

頑なに被災地を元通りに復興させることを望む人は、その土地に住民を縛り付けることを望んでいるのだろうか。それが本当に当事者を幸せにするのだろうか。田舎モンは、好きで田舎に住んでいるわけじゃない。

復興とは、土地や建物ではなく、被災者の人生が元通りかこれまで以上によくなるために行われるべきだ。移住への補助は、復興の施策の一つとしてあってほしいと願う。

被災はしたけど、それがきっかけで田舎を出られて、人生が開けた。そんな声が聞ける選択肢があってもいいじゃないか。

【猫山課長】
金融機関勤務の現役課長、46歳。本業に勤しみながら「半径5mの見え方を変えるnote作家」として執筆活動を行い、SNSで人気に。所属先金融機関では社員初の副業許可をとりつけ、不動産投資の会社も経営している。noteの投稿以外に音声プラットフォーム「voicy」でも配信を開始。初著書『銀行マンの凄すぎる掟 ―クソ環境サバイバル術』が発売中。Xアカウント (@nekoyamamanager

写真はイメージです