家族やパートナーなど身近な人の死後、のこされた遺族には「大量の実務」が待っていると、『親を見送る喪のしごと』の著者で作家・エッセイストの横森理香氏はいいます。しかも、家族構成や状況によってぶつかる壁はさまざま。娘の進学のために夫と離れて暮らしていた村山さんは、急逝した夫の“あるヒミツ”のせいで、死後の手続きに苦労したそうです……みていきましょう。

妻と娘は東京、夫は鹿児島…葬儀や手続きのため何度も往復

懇意のイントゥイティブカウンセラー、村山祥子さんの夫君が亡くなったのは3年前。糖尿病性昏睡だったという。朝、急激に血糖値が上がって自宅で倒れ、連絡がないのを不審に思った職場の人に発見され、搬送された。

「出勤しようと思って制服に着替えてたの。ズボンはいて、ベルトする前に倒れちゃった」

村山さんは娘たちの進学のため東京住まい。夫君は霧島の山の家から通勤、仕送りしていたという。「私が病院に駆け付けたときは、もう亡くなっていたの」

夫君の実家は鳥栖なので、鳥栖での葬儀から始まって、さまざまな手続きのため、東京から鹿児島に何回も通わなければならなかった。「3、4か月かかったかなぁ。いやー、大変だった」と当時を振り返る村山さん。

「幸い、相続人が私と娘2人だけだったので、遺産分割協議書を作って、財産分与に関してはスムーズに進んだの。霧島の山の家買ったときもお世話になった、友人の司法書士にお願いして」

死後判明した“夫のヒミツ”

「実は、私たちが知らないアパートを借りていて。呑み屋から這ってでも帰れる街中にあったんだけど、まずそこを解約するのが大変だったの」

山の家は国立公園の中にあり、街場からは車で1時間ほどかかる。呑んだら運転もできないし、呑みに行くのが好きだった夫君は、家族には内緒で部屋を借りていたのだ。

携帯電話の履歴を辿ってね、がーっと、かなり辿って、やっとアパマンショップが出てきたのよ」

入ってみると、たいした荷物はなかったという。「ほんとに寝るだけの部屋だから、ベッドも膨らませて作る簡易ベッドだったの」

まずそこを片づけて、アパートを解約し、夫君の会社とのやり取りから始まった。管理会社に勤めていたので、制服や備品の返却、諸々の書類作成。銀行関係、保険金請求、遺族年金の手続き、さまざまなものの名義変更。

「定期預金にあるはずだった100万円もなくなっていて。ガールズバーに20万円、30万円使ってたのよ」「ひええっ」

うちの母もそうだが、人は死ぬ前、好きなことにお金を使うものなのだろうか。母はお買い物、村山さんの夫は呑み屋と、所持金は使い切る。

レコード、CD、楽器、家具…“思い出の品”は思い切って売却

環境保護のために夫が住み続けた「山の家」

霧島の山の家は、私も家族で何度かお邪魔したことがあるが、4,000ヘクタールの雑木林の中にある。環境保護の観点から、この雑木林を保護する意志で住み続けたのは、直系の村山さんではなく、夫君だった。

「鬱蒼として家に日が当たらなくなったからって木を切ると、烈火のごとく怒ってね」

そこは村山さんの父親が買った土地で、山の家も建てた。別荘として使っていたのだが、晩年は半分ぐらい住んでいて、お父様もそこで倒れた。よって、親の代からのさまざまなものが使ってない部屋に詰め込まれていた。

夫君が愛してやまなかったステレオセットと大量のレコード、CD。10代の頃から愛用していたもので、夜、お酒を飲みながら音楽鑑賞するのが好きだった。その他さまざまな調度品や家具、すべて大きなものなので、東京の家には入らない。

「母の買い集めたものはアンティークショップにタダ同然で売って、レコード900枚、CD500枚は東京のレコード屋さんに売ったの。段ボールを送ってくれるからそれに詰めて。DVDやMDは捨てて、オーディオや楽器は地元の音楽関係リサイクルショップに、ピアノは買ったお店が買い取ってくれたの」

「山林」は売れづらい…売却時は地元の人に相談を

片づけて、売れる状態にしても、山林は二束三文だという。

「4,000万円で買った土地が、たった500万円にしかならないの。それでも固定資産税がかかるより、売ったほうがいいから考えあぐねてたんだけど……」

最近になり、市が環境保護のため買い取ってくれることになった。買ったときの半値だが、2,000万円で売れた。

「山林は目的があって買う人には価値のあるものだけど、そうでないとお金にはならないの。だからこれは、その土地のことや買い手をよく知る地元の人に相談したほうがいいの」

亡くなってから3年。時間はかかったが、故人も環境保護の遺志を果たしたのだ。

横森 理香 一般社団法人日本大人女子協会 代表 作家/エッセイスト

(※写真はイメージです/PIXTA)