重要な手続きにおいて求められる「印鑑証明」ですが、手元の三文判を印鑑登録している人も少なくありません。しかし、よく考えずに登録用の印鑑を選ぶことが、のちに重大な問題を引き起こすリスクをはらんでいるのです。相続実務士である曽根惠子氏(株式会社夢相続代表取締役)が、実際に寄せられた相談内容をもとに、生前対策について解説します。

遺産分割協議書は実印押印、印鑑証明書を添付する

相続時に遺言書があれば、亡くなった方の意思として優先されます。しかし、遺言書がない場合や、遺言があっても遺産分割法についての指定がない場合等は、相続人全員で話し合い、納得できる分割を決めることになります。

遺産の分配を「遺産分割」といい、その割合を「相続分」といいますが、遺産分割は、必ずしも法定相続分どおりに分ける必要はなく、相続人全員が納得すれば、どのように分けてもかまいません。

いろいろな状況を考慮して話し合い、遺産分割の内容がまとまって全員の合意が得られたときは、「遺産分割協議書」を作ります。この協議書は「相続人全員が同意した」という証拠になり、のちの争いを回避します。そのため「実印」を押印し、印鑑証明書も添付するのです。

遺産分割協議書の作成には厳密なルールはありませんが、

①相続人全員が名を連ねること

②印鑑証明を受けた「実印」を押すこと

上記の2点は必須項目です。また、相続人が未成年者の場合や、認知症などのために代理人を選任した場合は、代理人の実印と印鑑証明が必要になります。

「印鑑登録」と「印鑑登録証明書」

印鑑登録(いんかんとうろく)とは、印鑑により個人や法人を証明する制度です。居住地の市区町村で登録、発行しています。印鑑登録をしたことを証するものを印鑑登録証と言い、印影と登録者の住所・氏名・生年月日・性別を記載したものを印鑑登録証明書(印鑑証明)といいます。

1人につき1個の印鑑(印章)しか登録できないため、変更したい場合は、再度登録し直さなければなりません。

不動産を登記する際や、遺産分割協議書には実印を押印するため、印鑑証明書は必須の添付書類となります。また、不動産の売却や贈与などで所有権移転登記の際には、所有者は印鑑証明書にて本人確認をするため、添付が必須となります。

【事例1】よく似た印鑑だったが…「正直、覚えていない」

15年前に父親を亡くした前田さんのケースです。きょうだいによる遺産分割協議の結果、自宅は長男の前田さんが相続することで合意し、遺産分割協議書や戸籍関係、印鑑証明書など相続登記に必要な書類を揃え、あとは登記するだけの状態になっていました。

ところが、本人は仕事に追われるうち、登記申請を失念。15年経過後のいまとなって、相続登記をしたいと相談に来られました。

登記関係の書類はきちんと整理されていました。遺産分割協議書や戸籍関係、印鑑証明書など当時の書類はそのまま使えるとのことから、新たに登記申請の委任状を作成するだけでよいとのことで、司法書士によって法務局へ登記申請がされました。

ところが、遺産分割協議書の印と印鑑証明書の印が違うと法務局から指摘があり、登記申請が差し戻されたのです。

前田さんの実印登録の印は、名字だけの認印でした。似た印影の印鑑が複数あることから、それらを調べると、やはり法務局の指摘どおり、遺産分割協議書の鑑は実印ではないと判明しました。

「ずっと前に買った印鑑だから、どれが登録したものか、正直覚えてなくて…」

しかし、手持ちの認印を確認した結果、正しいものが判明。押印した印鑑の隣に正しい実印を押し直して法務局に再申請し、無事に15年前の相続の登記が完了しました。

【事例2】目を凝らしてもわからない! ありふれた三文判の印影

相談者の小川さんは、数カ月前に夫が亡くなり、子ども3人と遺産分割協議を行いました。自宅は既婚の長女が相続することになりましたが、子どもたちはまだ20代~30代の若さで、印鑑証明書が必要な契約の経験がなく、実印も持っていませんでした。

そのため、子どもたちは相続手続きのためにそれぞれ実印登録をし、遺産分割協議書に調印しました。3人の子どもたちは仕事が多忙なことから、書類を順番に送付して、それぞれ押印するという流れで遺産分割協議書を完成させ、その後司法書士に依頼して相続登記の申請を行いました。

ところが、長女の印鑑が実印と異なると法務局から指摘を受けたと、司法書士から連絡がありました。法務局では印鑑証明書と照らし合わせ、違いを発見したのです。

長女の名字はよくあるもので、この実印もやはり、名字だけの認印でした。

戻ってきた遺産分割協議書と印鑑証明書を照らし合わせ、筆者も目を凝らして確認しましたが、一見すると、朱肉の量の差だといわれたらわからないほど似ています。目のいい事務所スタッフがじっくり確認して、やっと違いがわかったほどです。

長女に確認したところ、同じような認印が複数あるので、間違えたのだろうということでした。

筆者はそれらの印鑑をすべて持参してもらったところ、なんと、片手でつかめないほどの本数があるのです。忘れるたびに買い直しているうち、このような数になってしまったということでした。

仕方なく、事務所スタッフ総出で、ひとつひとつ押して印影を確認しました。その結果、返却された書類の印影の違いを見つけたのと同じスタッフが「これだ!」と正しい印鑑を探し当て、無事、遺産分割協議書の押印の隣に実印を押し直すことができました。

その後、法務局に申請し直し、無事に相続登記が完了しました。

さすがの法務局、担当者の眼力はすごい

上記の事例は、いずれも認印で実印登録したことによるトラブルです。こうした事態にならないよう、フルネームの印鑑で実印登録をすることをお勧めします。

登記の専門家である司法書士や職員が気づけなかった実印の違いを、法務局の担当官が見破ったということは、やはり数をこなしているプロだからこそでしょう。

今回のケースは、いずれも時間的に余裕があったことから、押印し直して再提出で事なきを得ましたが、もしも売却の場面など、相手がいるところで、契約の当日に「実印が違う」「実印が見つからない」ということになれば大変です。

実印登録をし直せば済む話だとはいえ、当日の出来事となれば問題は深刻ですから、やはり、実印の管理には十分な注意が必要でしょう。

※登場人物は仮名です。プライバシーに配慮し、実際の相談内容と変えている部分があります。

曽根 惠子 株式会社夢相続代表取締役 公認不動産コンサルティングマスター 相続対策専門士

◆相続対策専門士とは?◆

公益財団法人 不動産流通推進センター(旧 不動産流通近代化センター、retpc.jp) 認定資格。国土交通大臣の登録を受け、不動産コンサルティングを円滑に行うために必要な知識及び技能に関する試験に合格し、宅建取引士・不動産鑑定士・一級建築士の資格を有する者が「公認 不動産コンサルティングマスター」と認定され、そのなかから相続に関する専門コースを修了したものが「相続対策専門士」として認定されます。相続対策専門士は、顧客のニーズを把握し、ワンストップで解決に導くための提案を行います。なお、資格は1年ごとの更新制で、業務を通じて更新要件を満たす必要があります。

「相続対策専門士」は問題解決の窓口となり、弁護士、税理士の業務につなげていく役割であり、業法に抵触する職務を担当することはありません。