歴史的事実を素材にしたドラマや映画は、エンターテインメントの中でも人気の高いジャンルだ。韓国でも、朝鮮王朝から近現代史にいたるまで多くの傑作が生み出されてきた。だが『梟ーフクロウー』(公開中)は、既存の史劇ものはもちろん、ホラーやミステリー、サスペンスといったジャンルに留まらない魅力がある。17世紀の記録物「仁祖実録」にある第16代国王・仁祖の長男昭顕世子の怪死事件をヒントにしている点では史劇と言えるが、そのルックやストーリーラインはモダンノワールだからだ。

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新鮮さの要因の一つは、リュ・ジュンヨルが演じた主人公ギョンスというキャラクターだ。病の弟を抱えながら鍼医として腕を振るう盲目の彼は、類い希なる鍼の才能を認められ、内医院(朝鮮王朝時代に宮中で医療を行う官庁)に登用された。ある夜、ギョンスは見えないはずだった自身の目がおぼろげに見えていることに気づく。彼は昼間の明るい中ではほとんど見えず、暗がりの中でだけ見える症状“昼盲症”だった。

リュ・ジュンヨルはアン・テジン監督と共に実際の昼盲症当事者へインタビューを行う中で、どうすれば観客に対し、現実に目が見える自分が偽物に受け止められないかを模索した。かつて「鳳梧洞(ポンオドン)戦闘」 (23)で狙撃の名手を演じたが、その時の瞬きをしない練習を生かし瞳孔を調節した。

『梟ーフクロウー』の目が見えない演技で最も難しかったのは「感情を表現すること」だと明かしている。それでもなお、本作で驚嘆するのはリュ・ジュンヨルの眼差しだ。彼が言う目の演技というのは、よく俳優が口にする眼差しに感情を乗せることを意味しているのかもしれない。ただ生気がないという意味ではなく、どこか底知れない力が宿っているにもかかわらず一切それを見せないスキルだ。

この映画のハイライトシーンは、まさにその瞳が大きな力を持つ。「多くの人は、盲人の目が見えることを好みません」と語り、一切目が見えないふりをすることで平穏に暮らしてきたギョンスだったが、世子の死に仁祖がかかわっていると疑うと、“昼盲症”を利用して近づく。鍼の腕前を使って仁祖を殺そうとするシーンは、平民のギョンスが位の高い王の生殺与奪を握るスリリングなシーンだが、ギョンスの目には一筋の涙がある。彼はスーパーヒーローではない。病気の弟を慈しみ、それなりに裕福な暮らしをするため宮廷の御医になる夢を抱き、与えられた仕事を淡々とこなす、私達と同じ小市民だ。その小市民としての感情がこの涙に全て凝縮されていて、リュ・ジュンヨルの表現力に息を呑む。

■若者の未来を打ち砕くのは誰なのか?歪んだ社会への問題提起『グローリーデイ』

自他共に認める多作俳優で、どんな役柄でも当たり役にしてしまうリュ・ジュンヨルのフィルモグラフィから共通のキャラクターを読み解くのは至難の業だが、作品のメッセージを伝える青年を象徴的に演じることが多い。ピョン・ヨハンと共演した映画デビュー作『ソーシャルフォビア』(15)と、若手俳優の登竜門と呼ばれる「応答せよシリーズ」の一つ「恋のスケッチ〜応答せよ1988〜」(12)への出演で注目株に躍り出たリュ・ジュンヨルが、より多くの韓国映画ファンに訴えかけたのが『グローリーデイ』(15)のジゴンだった。

ヨンビ(ジス)、サンウ(スホ)、ジゴン、ドゥマン(キム・ヒチャン)の仲良し4人組は、海兵隊に入隊するサンウの見送りに出かける。入隊前のつかの間の青春を謳歌していた彼らは、漁港で男性から暴力を受けていた女性を救い出すが、もみ合ううち男性に大怪我をさせてしまう。通報を受けた警察から逃げる途中、サンウはひき逃げ事故で瀕死の状態に。さらに、怪我をした男性が死亡したことを聞かされる。正当防衛を主張するヨンビたちだったが、被害者の女性が保身のために4人の暴行を主張したことで、事態は最悪の展開へ向かっていく。

ジゴンは議員の父と教育熱心な母を持つが、本人は落ちこぼれでお調子者なところがあり、そこがチャーミングだ。そんな彼が、事の重大さに耐え切れず、身勝手な大人たちに仕向けられるまま最愛の友人を裏切る方法を皆に提案してしまう。

「大学を出ても就職はできない」というセリフや、きらめく青春を強制的に終わらせる入隊という“通過儀礼”。丁寧なヒューマンドラマを撮ることに定評のあるイム・スルレ監督が制作に携わった『グローリーデイ』は、酷薄な社会構造の犠牲になる若者を描き、問題提起を図っている。のちに出演したドラマ「LOST 人間失格」では、家族や恋人などの役割を代行するサービスで日銭を稼ぐガンジェを演じた。

本作では、誰かから見下されたり、排除されたりしてきた人たちのドラマに焦点を当てている。『グローリーデイ』で大人たちに感情を殺され、刹那的に生きることを選ばざるを得なくなった若者の未来が「LOST 人間失格」であるというのは十分想像できる。

■純粋さゆえに権力の犠牲になる不条理。『ザ・キング』で演じたドゥシクというキャラクター

1980年代に政治の裏側で暗躍した検事という存在を主役に据えた『ザ・キング』(17)でのリュ・ジュンヨルの存在も象徴的だった。

本作は名の知れた不良青年テス(チョ・インソン)が、悪を権力で制する検事に憧れて地方検察庁の検事となり、ソウル中央地検のエリート部長ガンシク(チョン・ウソン)の後ろ盾を得ながらのし上がっていくピカレスクムービーだ。テスが権力欲に目がくらんだのは新人検事時代。女子生徒に性的暴行を働いた体育教師を、地元の有力者の息子だからと見逃した瞬間だった。以来、汚職まみれのガンシクと共に権力欲を満たし続けていく中、裏金や暴力などの汚れ仕事を引き受けていたのが、リュ・ジュンヨル演じるテスの幼なじみドゥシクだった。

テスの代わりに体育教師を懲らしめたドゥシクは、テスの周囲で唯一、野心とは別の行動原理で動く。それは“親友を最後まで守る”という人間としての純粋さだ。結局、用済みになったテスはガンシクの策略で地方へ追いやられ、ドゥシクも消されてしまう。そのことが忘れかけていたテスの良心を奮い立たせ、ドラマはガンシクへ怒涛のリベンジを果たすカタストロフィへとなだれ込んでいく。

■軍事政権に抵抗した若者を象徴するキャラクターを演じた『タクシー運転手 ~約束は海を越えて~』

そして日本の観客の記憶に残っているのは、『タクシー運転手 ~約束は海を越えて~』(17)で演じた学生ジェシクだろう。

本作は、1980年5月18日に光州市で起きた、軍事政権に対する民主化要求の蜂起、いわゆる「光州事件」を素材にしている。歴史を紐解くと、民間のタクシーがデモの鎮圧で重傷を負った民衆を病院に運んだり、軍隊の前に車両で立ちはだかるなど運転手たちが市民と連帯した記録が残っている。本作はソウルからドイツ人記者を乗せた、光州で起きている事実を知らない平凡なタクシー運転手の視点を通して、市井の人たちがいかにして国家権力の横暴に立ち向かっていくかをドラマティックに描いた映画だ。デモに加わっていたジェシクが大学へ入学したのは、当時放送局が主催していた大学生の歌謡祭に出たかったからだった。

そんな夢を語りながら屈託なく笑う彼が不条理な死を迎えるシーンは、何度観ても涙を禁じ得ない。若者が権力に未来を砕かれていくという姿を描くことは、それだけで強い怒りのメッセージだ。リュ・ジュンヨルが等身大の演技で見せた、抵抗の種火のようなジェシクという青年は、事件当時に光州の至る所にいたに違いない。

『梟ーフクロウー』のギョンスが、そこにある真実をから目を背けるという行為から、全てを確と見ようという行動に出るという展開は、存在を顧みられない人物を演じてきた俳優リュ・ジュンヨルが、演技の中で果たした抵抗と復讐だと位置付けてみると興味深いものがある。

そして、役作りで明かされたエピソードの中で特に印象深いものがある。リュ・ジュンヨルが子供の頃、遠戚に目の見えない人がいた。法事で彼にあうたび「まるで夢を見ているような表情だ」と、リュ・ジュンヨルは思ったそうだ。眼差しに哲学的な悟りも感じたこの記憶もまた、ギョンスに役立てた。「LOST 人間失格」のガンジェは、思い描いた未来とはかけ離れた生活への鬱屈と、父を亡くした喪失感を抱えながらも「俺よりも悲しい人を見て、優しくしたくなった」と他者に対しさりげなく手を差し伸べていた。リュ・ジュンヨルは周縁で忘れられる青年を演じてきたが、彼もまた、存在を省みられることの少ない誰かの存在を目と心に留めながら生きる人間なのだろう。

文/荒井 南

一晩のうちに起こった怪事件の真相を究明するために宮中を奔走するギョンス/[c]2022 NEXT ENTERTAINMENT WORLD & C-JES ENTERTAINMENT & CINEMA DAM DAM. All Rights Reserved.