マグリット400
『マグリット400』(ジュリー・ワセージュ/青幻舎)

 近未来の監視社会を描いたジョージ・オーウェルの『1984』はディストピア小説の傑作である。その表紙を見て、僕は謎めいていて底知れぬ恐怖を、本能的に感じるようだった。

 スーツを着て山高帽を被った男の顔に青りんごが重なっている。青りんごの奥では、この男は笑っているのかもしれないし、静かな憤りを抱きながら無表情を貫いているのかもしれない。この有名な絵は、ルネ・マグリットという画家の作品で、タイトルを「世界大戦」という。

世界大戦
《世界大戦》1964年  ©Succession René Magritte – SABAM Belgium.

『マグリット400』(ジュリー・ワセージュ/青幻舎)では、400点ものマグリットの作品が時代ごとに紹介されている。

 ただし、マグリットは自分で描いた絵について解説することをあまり好まず、タイトルからしても奇妙で、一見するとまったく関連のないものをつけるため、その真意を読み解くことはかなり難しい。

“「わたしの絵に、説明できうる謎など何ひとつない」とマグリットは繰り返し語った。それゆえ、描いたイメージとは結びつかない詩的なタイトルをつけることで、自分の作品が独自に解釈されることを避けながら、鑑賞者をさらに「魅了」した。” 「はじめに」より抜粋

ビートルズにも影響を与えた、マグリットの「青りんご」の意味とは?

 例えば次の絵を見て、あなたはどのようなタイトルがつけられていると予想するだろうか? また絵が意味するものは何なのだろうか? 少し考えてみてほしい。

視聴室
《視聴室》1952年  ©Succession René Magritte – SABAM Belgium.

 青りんごが部屋いっぱいに膨張して巨大化している様子が描かれている。左側の窓からは海と空が見えており、昼間であることがわかる。床は木の無垢材で、壁は明るいオレンジ色である。オレンジ色の補色(反対色)は青色だが、青りんごの色とは大きく異なる…。

 色々な想像ができる。試しに、3つほど考えてみた。
青りんごは、未成熟な状態で家に転がる息子で、働くことなく家の中に居座り、ぶくぶく肥大化した姿を揶揄しているのではないか?

②冒頭の絵画で顔を隠していたことから、青りんごは「顔」の象徴で、これは多数の顔が集まる会合の様子を表現しているのではないか? 集まる人々の顔つきは皆同じようなものなので、ひとつに結合して肥大化してしまっている…。

③青二才や尻が青いなど、「青」は若さを表現することから、少年/少女が、外に出ていきたいのに出ることを許されないという抑圧された感情が肥大化し、今にもはちきれそうになっていることを表現しているのではないか?

 しかし、先にも記述したように、マグリットは解説を好まないため実際に意味するところはわからない。さて、タイトルを見るとあなたはさらに困惑することになるだろう。

「部屋いっぱいに膨張した青りんご」を描いた作品のタイトルは?

 この作品のタイトルは…「視聴室(The Listening Room)」。さっぱりである。何を視聴するというのか…。ちなみに、イギリスのロックバンド・ビートルズはマグリットの青りんごの絵画に影響を受けて、アップル・レコードというレコード会社のトレードマークを作成している。それには、少なからず「視聴室(The Listening Room)」という題名からの影響もあったのではないかと予測される。

 この絵のように、ある物体(この場合は「青りんご」)を本来あるべきところ(例えば「食卓」や「農園」や「冷蔵庫」)から、別のところへ移動させることによって、今まで見えなかった美やイメージを創り出す手法は、「デペイズマン」と呼ばれる。本来の姿から巨大化させることもまた、この手法のひとつのようだ。

 マグリットは「青りんご」だけでなく、例えば「チェスの駒」や「空中に浮かぶ岩」「燃えるトランペット」など様々なモチーフを何度も描いた。そのたびに本来ない場所に配置し、奇妙なタイトルをつけて表現している。一見すると何を表現したいのかわからないのだが、混乱するということは、それだけ想像できる幅が広いということにほかならない。そしてきちんとした本人の解説がないとなれば、もう好きなように想像するのがマグリットの絵の楽しみ方だと言っても過言ではないだろう。400枚の奇妙な絵から、あれこれ妄想を巡らせてみてほしい。

文=奥井雄義

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ビートルズにも大きな影響を与えたルネ・マグリットの青りんご。不可解で奇妙なシュルレアリスムの絵の謎を楽しむ方法とは?