なぜ日産「ティーダ」は「上質なコンパクト」を実現できた? 細部まで配慮の行き届いた室内デザインには理由がありました【カタログは語る】

21世紀の日産を支えた新世代コンパクトのヒット作

2004年にデビューした日産のコンパクトハッチバック「ティーダ」。ルノー「ルーテシア」と共通のプラットフォームをもとに、多くのメーカーが挑戦し続けるも失敗することの多い「クラスを超えた上質感」を具現化していました。国内では2012年までの1代限りに終わった名車を、あらためて振り返ります。

日産とルノーで初めて共同開発したプラットフォームを採用

日産「ティーダ」。この車名を聞いてすぐに実車のカタチを思い浮かべられる人は、なかなかの日産車通かもしれない(筆者は好きなクルマの1台だったので、もちろんシッカリと記憶しているが……)。

1999年10月、当時の日産のトップに就いた「あの人」が「日産リバイバルプラン」を発表。その後、2年のブランクを置いて2002年に復活した5代目フェアレディZ」を皮切りに、同年、「マーチ」(3代目)、「キューブ」(2代目)、「ムラーノ」が登場。さらに2003年の初代「ティアナ」、2004年の「セドリックグロリア」に代わる「フーガ」の登場を経て、同じ2004年9月に登場したのがティーダだった。続けてティーダのノッチバックセダン版の「ティーダラティオ」(同年10月)、ミニバンの「ラフェスタ」(同年12月)、それと初代「ノート」(2005年1月)と矢継ぎ早に新型車が発売された。

ティーダは、それまでの日産車では「サニー」&「パルサー」に代わるモデルだった。特徴のひとつは、日産とルノーアライアンスにおける初めての共同開発によるBカテゴリーのプラットフォームをベースとしていた点。当時のルノー車には「ルーテシア」(本国名クリオ)などがあり、日産車ではほかに「ブルーバード シルフィ」、「ジューク」、「ウイングロード」といった車種も出自を同じくした車種だった。

クラスは違えどティアナに通じるテイストがあった

ティーダの実車は「Compact meets Luxury. コンパクトが初めて出会う上質」のうたい文句どおりとなる、上等な仕上げレベルが味わえるクルマだった。発表当時に筆者は実車に触れ、まず内装をじっくりと見回したのだったが、クラスを超えた素材感のよさには感心したもの。インパネ、ドアトリムにはソフトな表皮が用いられたほか、フロントのアームレストももちろんクッション性をもたせた素材だった。

さらにシートには風合いのいい表皮が用いられていたほか、さらに目を凝らせば、落ち着いたピッチで縫い込まれたステッチにも気付かされた。シートそのものも高減衰・低反発ウレタンが使われ、座るとスッと身体を受け止めてくれる、これもまたそれまでのクラスの概念を超える座り心地が味わえた。

2004年にデビューした日産ティーダを当時のカタログで振り返る

また「蓋モノ」といわれるグローブボックスやオーバーヘッドコンソール、カップホルダーなどはなんとダンパー式で、指先で押すとスーッと静かに展開。細部にまで配慮が行き届いていた。室内全体のデザイン、カラーなどは、モダンリビングを打ち出した初代ティアナにクラスは違えど通じるテイストがあったが、それもそのはずで、当時、ティーダおよびティアナの両車をまとめたチーフデザイナーは同一人物のNさん。

余談ながらNさんとは取材で話をしているうちに、筆者とプライベートで乗っていたクルマのセールスマンが共通だったことが判明。その時の筆者はA車、Nさんは同じラテン系のM車だったが、とある取材会場の駐車場でNさんのM車にはバックスキンのインパネをいたわるように、フロントガラスの内側にサンシェードがセットされていたのを目撃した憶えがある。こういう神経の使い方、気配り、センスが、ティーダ(やティアナ)のナイーブな室内デザインの仕上がりぶりに反映されているのだなぁ……と当時、思ったものだ。

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なぜ日産「ティーダ」は「上質なコンパクト」を実現できた? 細部まで配慮の行き届いた室内デザインには理由がありました【カタログは語る】