日本を代表する大学のひとつ、京都大学「自由の学風」を重んじるこの大学には、日本中から優秀な学生が集まると同時に「変人」と呼ばれる人も数多く存在する。九月さん(@kugatsu_main)は、京都大学教育学部卒業後にお笑い芸人になったという稀有な経歴の持ち主であり、変人の1人と言えるだろう。

事務所無所属のピン芸人として、一人芝居風のコントを中心に活動中。劇場、アートギャラリー、バー、民家、廃墟、山、海など、場所を選ばないコントライブが特徴だ。そして、2023年に初のエッセイ『走る道化、浮かぶ日常』(祥伝社)を出版。多岐にわたる活動を行っている。

今回は、“妖怪になること”を目指して京大に入学したという九月さんに、京大が「変人が多い大学」と言われている理由や、実際に存在した変人たち、そして自身が目指している「妖怪像」についてお話を聞いた。

◆あえて京大進学を選んだ理由は…

――青森県出身の九月さんが京都大学に進学したのは、どのような理由だったのでしょうか?

九月:青森県の優秀な学生が進路選択するときは、東北大学国立大学医学部が念頭に浮かびます。地元に残って就職するのであればこのどちらかで完結するので、これが王道ルートなのです。ですので、東大や京大を目指す人はちょっと物好きな人になっちゃうんですよ。そんな物好きもほぼすべてが東大に行くのですが、僕はもう1回ひねって京大を選択しました。

――なぜ、あえて京大を選ばれたのでしょうか?

九月:京大の文化圏が故郷と離れていることが大きな理由でした。青森を出るまでは関西の文化に縁がなかったので、知らないものにあふれている場所に行ってみたかったのです。そして、京大は自由を重んじる学風が特徴だったので、「立身出世したい」といった“王道の道”を外れた存在に出会えるという期待を抱いていました。ですが、実際に進学してみたらそんなことはなく……。

僕にとっては裏の裏をかいた選択でしたけど、関西圏出身者が京大へ進学するのは、勉強ができる優秀な人による立身出世のための最も効率的かつ合理的な選択なのです。ですので、実際に僕の思っていたような人たちであふれているわけではありませんでした。

◆九月さんが見た「変人」のリアル

――京大は「変人が多い」とよく言われますが、そうではなかったということでしょうか?

九月:変人が多いと言われて集まってくるのは、実は変人じゃなくて“変人が好きなやつ”なんです。そして変人を祭り上げたい立身出世型の優等生が集まってきて、そこに裏の裏をかいてきたわれわれのような“妙なヤツ”が加わって、やっとそこでピースが揃うんです。僕のような非関西地域から京大に行った人間は進路選択で既に裏をかいているので、その時点で変人候補なのです。

そして、変人の素養のある人間を関西圏の優等生たちが発見していくのです。なので、京大のいい点は逸脱に対して寛容というところですね。誰かが不思議なことやよくわからないことをしたときに「直せ、正せ」と言う人はいないですね。ある程度お互いを野放しにし合う、程よい無関心と不干渉が貫かれているので、徹底的な個人主義な社会が形成されています。

◆「京大以外の大学のことをばかにする」同級生たちに驚き

――九月さんは大学院の頃に芸人活動を始められましたが、それ以前の学部在学時代はどのような学生だったのでしょうか?

九月:入学してすぐは周りの空気になじめず、1年生のときは2~3単位くらいしか取れませんでした。最終的に大学に行かなくなってしまいました。というのも、大学の雰囲気が「自由の学風」から想像されるものとは程遠く感じられたんです。ずっと偏差値ランキングみたいなヒエラルキーがそばにある感じというのでしょうか。大学生というより、進学校の4〜5年生をやってる感じがしてしまったんです。

出身校をわかりやすく表すなら、僕の出身校は“進学校弱”くらいだったのですが、周囲のほとんどは“進学校強”出身者ばかりで。彼らは京大以外の大学のことをめちゃくちゃばかにしていたのですが、それにすごくびっくりしてしまって。住んでいる世界や育ってきた環境がそもそも違うな、と思ったのも大学生活に絶望した理由のひとつです。

――怖いですね(笑)。

九月:怖いですよね(笑)。「京大なんて受かって当たり前」「国立大以外に行くヤツは馬鹿か不良か不登校」とか平気で発言するんですよ。そのため、彼らと持っている感覚や常識のラインが全然違うなと感じてしまい、雰囲気についていけずに居場所がないように感じてしまいました。

◆京大は「妖怪」と出会って成長できる環境

――その後はどのように大学に復帰されたのでしょうか。

九月:大学3年の頃には「勉強自体はしよう」といったモードに切り替わり、大学の講義やゼミに対して、熱心の取り組むようになりました。その頃には、入学時に選民思想的な怖さを持っていた人たちも、いくぶんマイルドな価値観に着地していました。彼らは「小さい頃からさまざまなものを犠牲にして京大まで来ているので、ある種周りを見下してもいい」といった自負の持ち方をしてしまっていたのではないか、と思いました。

僕はそのような幼少期や学生時代を送ってきたわけではなかったので、彼らの感覚に追いつけませんでした。ですが、彼らは大学生活を送るうえで非関西圏からきた学生や留学生、アルバイト先の先輩などの“異文化”に触れるわけです。そこで何かしらの抱いていた境界を越えて、自分が存在する範囲が広がる経験を経てマイルドに着地をするのだと思います。

――九月さんも誰かにとっての境界的・異文化的な存在だったかもしれませんね。

九月:そうですね。僕自身が青森を出て京大に行ったことも越境でしたが、誰かが僕と関わることについてもその人自身の越境だった可能性はありますね。僕は、京大に入学した一番の理由が「妖怪になりたい」ということだったのですが、やはりいろんな“妖怪的存在”と触れ合って世界を広げられることも、京大の魅力のひとつなのかもしれません。

◆九月さんが出会った「京大に出没する妖怪」

――では、九月さんは京大でどのような「妖怪」と出会ってきたのでしょうか?

九月:大阪出身の同級生で、友達の母校を訪れるのが好きなヤツがいました。彼はわざわざ青森まで行って、僕の母校の写真を撮ってLINEで送ってくれたんです。「これ、君の母校だよ」って言って。それも毎年。彼は普通に妖怪だと思いました。いわば、「妖怪・母校訪れ」でしたね。めっちゃ怖かったです。

あとは、毎年好きな自治体の成人式に参加しているやつもいましたね。しかも式の参加の時に、袴やスーツじゃなくて黄色いカッパの姿で行くのです。いわゆる小学生が雨の日に着るようなカッパですね。彼はまさに「妖怪・成人式訪れ」です。めっちゃ怖かったです。

また、予備校に関する教育学的な研究をしている友達は、予備校アルバイトをして貯まったお金で予備校の資料をヤフオクで買って……。予備校に関する論文を書いて、それを繰り返して研究者になりましたね。予備校ですべてを完結させている彼は「妖怪・予備校通い」でした。めっちゃ怖かったです。

◆妖怪には「まだまだなれていない」

――突然地球一周したり、起業したりというよりはナチュラルな妖怪が多いですね。

九月:そうなのですよね。彼らは必然的な問いに向き合った生き方を選んだタイプだと思います。選んだ方法と自分の問題意識が直結している感じがあるのかもしれません。ちなみに「妖怪・母校訪れ」は現在、奈良で柿を作るアルバイトをしているそうです。なんかすごい人生ですよね。

――では、九月さんは自身がどのような妖怪になられたと思いますか?

九月:僕はまだまだなれていません。妖怪というのはもっと味が出てこないといけないです。地元から裏をかいて京大に進学をして、京大生のなかでも裏をかいた進路で芸人になって、テレビで活躍しているような芸人たちの裏をかいて事務所無所属で活動して、いろんな裏をかき続けたら人生が書籍になりました。ですが、周りのことも自分のこともびっくりさせるくらいにたくさんの裏をかき続けないと、立派な妖怪にはなれないと思っています。

――私から見たら、九月さんは立派な「妖怪・裏かき」ですけどね(笑)

◆日本の大学で唯一京大だけが東大ありき

――「京大は非関西人にとって東大の裏をかいた選択」とおっしゃっていましたが、京大生からみた東大はどのような存在なのでしょうか?

九月:実は、日本の大学で唯一京大だけが東大ありきなんですよ。それが切なさでもあり存在意義でもあるというか。たった今常識とされているもの、王道とされているものに対して、カウンター的な価値観を提示する役割があるんだと思います。だからこそ、京都っていう、政治・経済・流行の中心ではない場所にあるんだろうなって思います。東京を睨みつけるための立地なんですよ。だから、もし日本から東大が消えたら京大も同時に消えます。存在する必要がなくなりますからね。

そして、僕自身も世の中において、東大に対する京大的な存在だと考えています。大手企業で働いている京大卒がいたり、芸能事務所所属の芸人がいたりするから、その裏をかいている僕が存在できるのです。ですので、僕の活動が長いスパンをかけて王道の価値観にヒビを入れたり、世の中の常識を1ミリでも動かしたりできれば、オルタナティブとして存在意義があったということになると思っています。

◆これから裏をかきたいのは「GAFA」のみ

――また、九月さんがこれから裏をかきたいと思っているものはありますか?

九月:GAFAですね。GAFAです。GAFAのみです。Google、Apple、Facebook、Amazon。僕はずっとこれらに「なぜこんなにもこいつらに手のひらを転がされるのか」と怒ったり憎しんだり喜んだり楽しんだりしています。もうこれらなしには生きられない世の中になってしまいましたからね。彼らに娯楽から、教養から、交友関係から、個人情報から、生命に関わるほとんど全てを握られているのがたまらなく悔しくて。絶対に裏をかいてやりたいです。

2023年8月に初のエッセイ『走る道化、浮かぶ日常』(祥伝社)を出版したのですが、今思えば、これもGAFAへの裏かきだったかもしれません。ITがどんどん進化するなか、紙の本を出版するという形式が残っているのってあと50年もないのではないでしょうか。だからこそ、本という媒体に間に合ってよかったと思っています。このような形で、GAFAの裏をこれからもどんどんかいていきたいですね。

◆今の自分に想像できることを10年後にしていたらダメ

―エッセイではどのような内容を書かれたのでしょうか?

九月:僕は普段より「万物の揚げ足を取りたい」と思っていて、今回はありとあらゆる事象の重箱の隅をつつきまくり、社会の違和感を面白がる魑魅魍魎エッセイに仕上げています。「言われてみればそう」、「そうとも言い切れないだろ」というところの中間くらいを狙った18篇を収録しており、読めば芸人・九月の頭の中を覗き込める内容になっています。ちなみに、Amazonで売っていますしKindleでも読めます。GAFAにはお世話になっております。

――ありがとうございます。最後に、今後の九月さんの野望を教えてください。

九月:僕はいろいろな場所に行くこと、文章を書くこと、人前で何かを披露することが好きです。だから、今後も手前勝手な芸人活動を続けていくのでしょう。ですが、今の自分に想像できることを10年後にしていたらダメだと思います。その時の勢いと好奇心の向くままに突っ走って、自分自身の裏さえもかいてやりたいです!

<取材・文/福井求>

【福井求】
ビジネス系ライター・インタビュアー。1993年1月生まれ。三重県出身。関西の国公立大学に進学し、文化人類学・セクシュアリティ・ジェンダーの分野を専攻。卒業後は大手印刷会社、出版社を勤務を経てフリーのライターに。現在はビジネス系のインタビュー記事をメインに執筆中。またWeb記事専門の編集プロダクション・合同会社にげば企画を運営。趣味は女装と映画鑑賞。特技はメイクとスペイン語

九月さん