2005年の12月8日に、秋葉原AKB48劇場グランドオープンの舞台に立ってから、20年目の年に入った前田敦子さんにインタビュー。

トップアイドルとしての栄光の日々は、皆の知るところ。にもかかわらず、現在“もとアイドル”の肩書きを意識させずに、俳優としてキャリアをまい進し、求められ続けている前田さんは、そもそもAKB48に入った当初から「俳優志望」だった。そんな前田さんが、本当の意味で強く「役者になりたい」と思った“映画界との出会い”を語った。

さらに、辞めてみて改めて知った「アイドルの影響力のすごさ」にも触れた。

また『幼な子われらに生まれ』などの三島有紀子監督が、自身の受けた性暴力被害をモチーフにオリジナル脚本で挑んだ作品であり、前田さんが主演を務めた公開中の映画『一月の声に歓びを刻め』への思いも聞いた。

◆歌って踊るのは違うかなと思っていた

――芸能デビューから20年目になりますが、前田さんは最初から演技をやりたかったとか。

前田敦子(以下、前田):芸能界への憧れはありました。でも歌って踊るのは違うかなと。お芝居は小さなころからドラマを見ていて好きだったこともあって、「挑戦できるかもしれない、1回ぐらいはやってみたい」と思っていました。大きなきっかけは12歳のときです。初めてスカウトをされて、そこから強く思うようになりました。でもその時は「2年くらい待って欲しい」と言われて、本当に置いておかれました(笑)。

――そこから改めて連絡が来たんですね。

前田:AKBのオーディションを受けてみないかと。その方に声をかけられなかったらAKBには入ってなかったですし、そういったことも考えてなかったです。

――自分では応募しなかったですか?

前田:絶対に応募できなかったと思います。そんな勇気はありませんでした。でもオーディション募集要項を見てもらうと分かるんですけど、最初にAKBに応募したときは、「秋葉原に劇場ができるので何かやります」といった内容だけだったんです。歌って踊りますなんて書いてなかった。だから私は、お芝居をすることもあるかもしれないというところに希望を託して応募したんです。そしたらアイドルになりました(笑)。

◆映画界の皆さんが「こっちにおいで」と言ってくれて

――その後、俳優業へと場を移しましたが、お芝居に関してもいわゆる王道エンタメ街道に行くという道もあったかと思います。でも前田さんは、作家性の強い監督さんと組むことも多いですね。

前田:山下敦弘監督の『苦役列車』(2012)に出たときに、本当の意味で強く「役者になりたい」と思いました。正直、お芝居の場に行って「所詮アイドルでしょ」という目で見られたことがなかったかといえば嘘になります。それを、ウェルカムな体勢で受け入れてくれたのが映画界の皆さんでした。だから映画を本当に好きになれた。

もともと「映画をたくさん観なさい」と秋元康先生に言ってもらってたくさん観ていました。その映画のことを製作の場を含めて、すごくステキな世界だなと実感したときに、「いっぱい映画を観てるんだね。嬉しいよ。こっちにおいで」と映画界の皆さんが言ってくれたんです。その恩を、私は忘れられません。

秋元康さんからプレゼントされた『ベティ・ブルー』

――秋元康さんが「映画を観なさい」と話されたのは、前田さんが最初からお芝居希望だったことを知っていたからですか?

前田:そうです。「役者になりたいと言うのなら、たくさん映画を観なさい」と。初めてプレゼントしてもらったのが『ベティ・ブルー』(※)だったので、ちょっと刺激が強くて、「なぜこれを?」と最初は思いましたけど(苦笑)。でも作家性の強い映画とのドカン!という出会いになりました。そこから映画っていろんな作品があるんだなと思って、観まくりました。

※『ベティ・ブルー 愛と激情の日々』1986年製作のフランス映画。愛し合う男女の姿を赤裸々に描き、日本を含め世界的なヒット作となった。

――実際に映画を作る側に入ってみていかがでしたか?

前田:みなさん基本的に映画オタクなんです。山ほどの映画が頭の中に入っている。それが羨ましくて。私も「もっと観よう!」となりました。本当にオタク気質でいい人たちなんですよ。

――ご自身にもオタクの顔が出てきた時期がありましたか。

前田:そういう時期もありましたね。そういえば、ある時、本当に映画にたくさん出ている役者さんたちにお礼を言ってもらったことがあるんです。「大きなアイドルグループの子が、映画をたくさん観ていて、映画が大好きだ、映画館をはしごしているという噂が広がって、それで映画を観ようと思ってくれた人もいる。映画界としては大きな出来事だ。だからそうやって映画を好きだと言ってきてくれて嬉しい。あなたのおかけだ」と。

◆アイドルは、人の心の中に入っていけるスゴイ職業

――先輩方からそんな風に。

前田:私としては、ただただ映画の世界に入りたい一心でいっぱい観ていただけなんです。ただ、アイドルの影響力のすごさについては、あとになって私自身も感じています。もとはといえば、自分がなりたかった職業ではなかったけれど、振り返ってみると、アイドルというのは、本当にすごい職業なんだなと。

アイドルってなんだろうって考えると、人の心の中に入っていけるものなのかなって。やっぱりキラキラしてるんですよね。自分が辞めたあと、オーディション番組とかを見ていると、感動します。頑張っている子たちを見て感情移入したり、それで好きになったり。アイドルってやっぱりすごいなって。やっているときはただ夢中でしたが、辞めたあとになって感じますね。

◆メラメラと、心の中の炎を育てている

――現在は、本当にやりたかったお芝居の世界にいます。突き進めていますか?

前田:やっていけばいくほど、悩みも出てきます。でもその分、やっぱり諦めたくない。悩んでいる自分を突破したいと思う。自分との葛藤ができる職業でもあるんです。そうやって一生懸命やったことが次の自信につながる。人には見えないかもしれないけれど、ひとりでメラメラみたいなものは年々持てている、心の中の炎はちゃんと育っていると思います。


◆『一月の声に歓びを刻め』は出演するか悩んだ

――映画『一月の声に歓びを刻め』が公開中です。『Red』などの三島有紀子監督が、幼いころの性被害体験をモチーフに、3人の主人公たちの物語を生み出しオリジナルの脚本で挑んだ人間ドラマです。前田さん演じるれいこは、監督自身がもっとも強く投影された役ですが、オファーを受けて即決とはいかなかったそうですね。

前田:三島監督とは数年前から「いつか一緒に映画をやろうね」とお話していました。その監督が自主映画で、自分の内側から出てきたお話を作るとのことでした。すぐに飛び込んでいきたかったのですが、今の自分に応えられるだろうかとすごく葛藤させてもらいました。やり遂げられなかったら一番失礼ですから。時間って限りがあるものなのに、監督は何も言わずにずっと待ってくれて、悩む時間をいただきました。そのことに、ご自身のすごくパーソナルなことの含まれる作品を私に託してくださっている思いも感じました。

◆完成作を観たときの印象は?

――北海道洞爺湖、東京・八丈島、前田さん出演の大阪・堂島と、3つの場所で物語が紡がれますが、繋がった完成作を観たときの印象はいかがでしたか?

前田:はじまった瞬間、北海道の大地の広大さが映像から気持ちよく伝わってきました。撮影は大変だったと思いますけど、観ているこちらとしては、すごく清々しい気持ちになれるスタートだと思いました。内容はナーバスなものではありますが、カルーセル麻紀さんの一人芝居から始まり、みなさんの独白シーンが本当にステキだと思いました。

――人物たちの感情がとてもリアルに伝わってきましたが、それぞれのセリフは脚本に忠実なのでしょうか?

前田:みなさん忠実だと思います。ただその現場にどれだけ馴染むかということを、監督がとても必要とされていました。私は、れいこに独白のきっかけを与えるトト役の坂東龍汰くんとのシーンが多かったんですけど、坂東くんにもすごくリアリティを求めていました。

◆かわいそうな人だと見てほしくない

――作品は公開中ですが、れいこを演じた前田さんから、最後にひと言お願いします。

前田:れいこは、特に大きなものを抱えてはいますが、人から見て小さな悩みだとしても、その人にとってはすごく大きな悩みだったりもします。人は、それぞれいろんなものを抱えて生きています。監督もおっしゃっていますけど、れいこをかわいそうな人だとは見てほしくないんです。今回、背負ってきた人生の大きな一部を話せるタイミングがきて、彼女は話せた。人が生きている中の、ひとつの瞬間が、それぞれ3つの作品になって描かれているのを見てもらえたら嬉しいです。



<取材・文・撮影/望月ふみ>

(C) bouquet garni films
一月の声に歓びを刻め』はテアトル新宿ほかにて全国公開中

【望月ふみ】
ケーブルテレビガイド誌の編集を経てフリーランスに。映画周辺のインタビュー取材を軸に、テレビドラマや芝居など、エンタメ系の記事を雑誌やWEBに執筆している。親類縁者で唯一の映画好きとして育った突然変異 Twitter:@mochi_fumi

前田敦子さん