たいせつなものや、証明できないものについて考えたことはありますか? パスカルが証明することができないものを追求するのは、数学者だからだったのかもしれません。「絶対に分からないものはある!」と素直に考えたパスカルの、思索の痕跡をみてみましょう。著書『超要約 哲学書100冊から世界が見える!』(三笠書房)より、白取春彦氏が解説します。

有名な「パスカルの賭け」について

39歳で亡くなったパスカルが生前に書いていたノートにあった断片の文章をまとめたものが『パンセ』(思想という意味)です。

論拠を示すことなく自分の考えを書き、またキリスト教を擁護する論が多いので通常の意味での哲学書とはいいがたいのですが、今なおそれぞれが考えるに値する哲学的洞察がたっぷりと含まれています。

そして大きな特徴は、全般において人間の現実性を深く理解し、理性と呼ばれるものよりも心情や人間的な習慣のたいせつさを説いているところです。  

ここでは、パスカルが人間と世界をどのように見ていたのか、パスカルの洞察にあふれた文章を引用していきます。

「世には証明される事物がいかに少ないことか! …中略…習慣こそ、もっとも有力なもっとも信頼すべき証拠となる。…中略…あすはくるだろう、われわれは死ぬだろうということを、だれが証明したであろうか? …中略…だから、それらをわれわれに信じさせているのは、習慣である」(由木訳以下同)  

習慣の他に、心情と想像もわたしたちを実際に動かしています。そういう見方をするパスカルの人間知がどれほど鋭いものかがわかります。

「想像力はすべてを左右する。それは美や正義や幸福をつくる。それはこの世のすべてである」 「神を直感するのは、心情であって、理性ではない。これこそすなわち信仰である。心情に直感される神、理性にではない」    

パスカルは、神の存在は論理や知性では証明されない、と考えています。それでもなお、人間は神がいるだろうということを否定できない心情を持つ傾向があるのです。  

パスカルは、たとえ、神が存在していないとしても、神がいると前提して良く生きることに賭けるほうがましだと考えます。なぜならば、神がいないとわかった場合でも、良く生きたこと自体が結局は自分の得になるからです。この考え方が、有名なパスカルの賭け」と呼ばれるものです。  

人間には決してわからないことがある

人間は自分の可能性は無限大と考えがちですが、実際には人間は両極端の中間にいることでしか生きられないパスカルはいいます。

たとえば、人間の感覚は極端なものは知覚しないし、快楽だと感じるようなものであってもあまりに強すぎたり長すぎたりするならば不快になるし、人の話を聞く場合でもそれが短すぎても長すぎても全体が理解しがたくなります。  

知るという行為においても事情は同じです。何事かについて確実にその全体を知ってしまうということがわたしたちにはありえないのです。ある程度しか知ることがなく、また、完全に無知だということもないのです。

自分の身体というものが何であるか知らないけれども身体を動かすことができ、精神が何であるかも知りませんが精神の働きを感じています。そういうふうに、人間の生は極端の中間にのみあるわけです。

また、どこかに自然的原理が隠れているのだろうとわたしたちはつい考えがちなのですが、わたしたちが発見して利用しているところの原理とは、わたしたちが自分の生活に習慣づけることのできた原理のみであり、わたしたちの習慣からまったく離れた純粋な原理というものはないのです。

このように、わたしたちが知ったり利用したりできるものすべては、わたしたち人間の中間的な生き方に合った形でしか存在していないのです。  

残された深い思索の痕跡

10歳になる前に三角形の内角の和が二直角であることを自力で証明したパスカルは、科学者として世界に大きな貢献をしました。19歳で最初の機械式計算機を発明し、他に「パスカルの定理」「パスカルの三角形」「パスカルの原理」(この気圧原理は現代でもヘクトパスカルという単位とともに役立てられている)の業績を残し、フェルマーの定理で有名なフェルマーとの文通の助けもあって確率論の基礎を考案しました。

社会的には、貧民救済の資金をつくるために乗り合い馬車を考案して会社を創り、1662年の春にはパリに乗り合い馬車を開通させました。  

天才であったパスカルの考え方の特徴は、「人間」「時間」「自然」「存在」「神」といった、ふだんよく口にしたり、身近であったりするものを「無定義概念」と見たところです。

つまり、それらはわたしたちにとってまったく何だかわからないものなのです。何だかわからないのだけれども、わたしたちはそれらをいろいろに利用して生きているわけです。むしろ、それらなしでは生きてはいけない。  

この、曖昧な、宙ぶらりんの場所に置かれているのが人間です。そうでありながら、人間は自分の日々の生活の仕方によって、定義されないものに自分なりの概念を与えていくことになるのです。

このような状態から静かに人間の不安が生まれてきます。しかも、自分の生き方が多くのことを決定していくのです。パスカルのこういう哲学はまさしく、キルケゴール、ニーチェマルセル、ヤスパース、サルトルら実存の哲学のあまりにも早いさきがけとなっているのです。

賢人のつぶやき 人間は〈考える葦〉である

白取 春彦

作家/翻訳家 

(※写真はイメージです/PIXTA)