ナポレオンズ」マジックの楽しさを知った人は少なくないはず。『笑点』(日本テレビ系)などの演芸番組を中心に活躍し、1988年にはマジックの世界大会で第3位を獲得。人気と実力を兼ね備えた唯一無二のコンビだったと言える。

しかし、コメディ色の強いナポレオンズのマジックにとって重要な“トーク”を担当する、パルト小石氏が肺炎のため2021年に逝去。その後、マジックを担当していたボナ植木氏は一人での活動を始めたが、その現在地とは――。

ナポレオンズ結成のきっかけは…

――昔からマジシャンという職業に憧れはあったんですか?

ボナ植木:子供の頃からマジックには親しんでいて、大学でもマジックサークルに入りました。当時、老人ホームの慰問で披露したり、デパートマジックショップのアルバイトをしていたんですが、「卒業したらプロマジシャンになってもいいかも」と思い始めていましたね。

――ナポレオンズ結成のきっかけを教えてください。

ボナ植木:大学を卒業してからもマジックショップのアルバイトをやっていたんですが、やはりプロマジシャンになりたいという思いは捨てきれず。1970年代は日本全国にグランドキャバレーがたくさんあり、出演するマジシャンの需要もありました。ただ、求められたのは見栄えのする大がかりなマジックで、少なくとも二人組でないといけなかったんです。そこで、知人に女性マジシャンを紹介してもらって会うことになりました。

――そこは小石さんではないんですね。

ボナ植木:そうですね。でも、私は奥手だったので女性と二人で会う勇気が出ず、大学のマジックサークルの友人だった小石に「一緒に来てくれ」と頼んだんです。そして、三人で面談をしたんですが、小石は「あの女性はやめたほうがいいな。植木が食われそうだ」と。「それなら一緒にやってくれないか?」と誘ったら、小石はサラリーマンをやっていたんですが、会社を辞めてその話に乗ってくれたんですよ。

◆徐々に独特のスタイルが形成されていく

――ナポレオンズさんのスタイルは、お喋りを交えたお茶の間向けのイメージです。そうしたスタイルはどのように始まったんですか?

ボナ植木:小石もマジックサークルのメンバーではあったんですが、そんなに熱心ではなかったんですよ。むしろ、弁が立つので発表会でも司会をしていました。なので、キャバレーの仕事の時でも途中、小石がしゃべりを入れてくれて。マジック担当の私としては助かりました。

――喋りを入れて解説するだけではなく、笑いも盛り込むスタイルはどのようにして出来上がったんですか?

ボナ植木:キャバレーが一世風靡した時代が終わって、演芸の余興仕事が増えていくと、格好つけても大衆にウケなくなってきたんです。また、『笑点』や『花王名人劇場』などの演芸番組の仕事が増えていきました。当時の『花王名人劇場』のプロデューサー澤田隆治先生に、マジックのネタ見せするたびに「不思議なだけやな。オチはないのか」とよく言われました。

◆「実は1位だった」世界大会の裏側

――日本での実績をひっさげて、1988年にはマジックオリンピックと言われる「世界マジックコンテスト(FISM) 」に出場。世界の壁はどうでした?

ボナ植木:実はそれ以前にも、FISMには挑戦していましたが、1988年は賞をとりにいく覚悟でいったんです。

――そして見事、グランドイリュージョン部門で3位を獲得されていますね。その時の気持ちを聞かせてください。

ボナ植木:ここだけの話ですが、当時はまだ人種差別がありましたね。ヨーロッパの由緒ある大会に東洋人が参戦してきたのですから。まあ、名前も「ナポレオンズ」でしたので、おふざけで参加していると思ったんでしょうね。日本に来た外国のマジシャンが「徳川家康」と名乗るようなもんですから(笑)。

――どんな差別があったんですか?

ボナ植木:後に審査員から聞かされたんですが、得点では1位だったそうなんです。でも、その時私たちの耳に届いていたのは「似たようなマジックはすでにある」「あれは誰々のコピーだ」など、辛辣な批判を受けました。最終的には「3位ならあげるよ」という上から目線。内心「ふざけんな!」と思いましたね。

◆無二の相方がいなくなってわかったこと

――そして2021年に小石さんが亡くなられました。影響は大きいものでしたか?

ボナ植木:もちろんです。彼はマジックにのめり込んでいませんでしたから、私が「こんなマジックがある」と見せると、冷静な目で批評して「こうした方がいい」とか意見を出してくれていたんです。

――個人的には、小石さんのリアクションも一つの芸だったように思います。

ボナ植木:そうですね。お客さんを代弁する存在だったので、あいつがリアクションすると、お客さんもリアクションしていました。非常に重要な役割を担っていました。

――小石さん亡き今、それを埋めるために工夫していることはありますか?

ボナ植木:実は私、ソロでの舞台を20年以上続けています。開催は220回を超えていて、そこで私はかなり喋りまくっています(笑)。なので、舞台上で喋ることに抵抗はありませんでしたし、おかげで一人になってもなんとかやっていけています。ただ小石がいない分、これまで以上に、常にお客様の立場になって客観的に見るようにしました。実践を積み重ねながら試行錯誤を繰り返す毎日ですね。

◆息子とナポレオンズの芸をやることも

――物理的に、人が二人必要なネタもあると思いますが。

ボナ植木:今でも「頭ぐるぐる」を見たいというお客様はいらっしゃいますね。そのときは、息子で落語家の三遊亭好の助と一緒に行って、「頭ぐるぐる」や人体浮揚をやります。好の助は結構うまくやっていますよ。

――現在はどんな思いで舞台に立っていらっしゃいますか?

ボナ植木:名刺には「70歳の新人ピン芸人マジシャン」と書いてあります。コロナも落ち着いて来た昨年くらいからぼちぼち仕事も入ってきています。でも今は、アシスタントもいない新人ですから荷物を自分で持って移動しているんです。芸人は体力が大事だとつくづく感じています。お客様には“不思議と笑い”両方とも楽しんでもらいたいと考えていまして、それこそが「ナポレオンズ魂」といってもいいかもしれません。

◆いつかピンで『笑点』に出たい

――今後の展望を教えてください。

ボナ植木:まずはピン芸人としての認知度をもっと上げたいですね。ピン芸人としてまた『笑点』にも出られたら嬉しいですね。そして、演芸だけでなく講演もやっていきたいと思っています。

――マジック講座のような講演ですか?

ボナ植木:いえ、テーマは「詐欺予防」です。実は、詐欺師と手品師の手口は同じなんですよ。マジックを見せながら「人はなぜダマされるのか」を学んでいただくことで、詐欺予防のお役に立てればいいかなと思っています。

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突然の別れを経て、今ではピン芸人として研鑽を積むボナ植木氏。あくまで謙虚に、目標に向かって努力を続ける姿勢は誰しもが見習うべきではないだろうか。

<TEXT/Mr.tsubaking>

Mr.tsubaking】
Boogie the マッハモータースのドラマーとして、NHK「大!天才てれびくん」の主題歌を担当し、サエキけんぞうや野宮真貴らのバックバンドも務める。またBS朝日「世界の名画」をはじめ、放送作家としても活動し、Webサイト「世界の美術館」での美術コラムやニュースサイト「TABLO」での珍スポット連載を執筆。そのほか、旅行会社などで仏像解説も。

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