ある年代の法学部出身者、とくに30代から50代に"その名前"を聞いて「知らない」と言うならば、少なくとも「民法」の学習はまともにしていない可能性がある――。さすがにこれは言い過ぎかもしれないが、それほどまでに絶大な知名度を誇ったのが、東大名誉教授の内田貴氏だ。

その著書『民法』シリーズ(東大出版会)はわかりやすく、法学の学習をする人にとってまさに理想的な教科書で、現在も司法試験受験生に人気である。内田氏は早々に東大を退官したあとも、法務省で民法の債権法改正(2020年4月施行)の作業をすすめるなど大きな実績を残している。民法という法律の一大ジャンルの「権威」と言ってよいだろう。

退官前の数年間、東大ロースクールで教鞭をとっていたが、実はその前の「ロースクール構想」では、唯一教授会で反対した人物でもある。

ロースクール構想は1990年代からはじまった司法制度改革の一つで、多様な人材を法曹に取り込もうとしたものだ。これに合わせて法曹人口の増加も掲げられたが、その「理想」はいまだに芽吹いていないように思える。

ロースクール制度スタートから20周年を迎える今、はたして何を思うのか。現在も研究を続けながら、弁護士としても活動する内田氏に聞いた。

●「理念」と整合しない制度設計が「失敗の原因」だ

――司法制度改革、特にロースクール制度や法曹養成は「成功した」と考えていますか? それとも「失敗した」と考えていますか?

誰も「成功した」とは思っていないんじゃないですかね。もちろん個々の教室での教育はうまくいっているところもあると思いますが、本来目指した「理念」を実現できていないので、「失敗した」といえると思います。司法試験を目指す人が減り、期待していたほど多様な人材を養成することができず、ひたすら法律の勉強をしてきた人だけしか法曹に入ってこない状況になっているからです。

――本来目指した「理念」は正しかったと思いますか?

法曹に多様な人材を呼び込むという「理念」は正しくて、時代のニーズに合致していたと思います。国際的な法律業務が増えて、多様な能力を持った弁護士が必要になってくるという経済界の期待もありました。そういう意味でも真逆の方向へ進んでしまったと思います。

――「失敗の原因」は何でしょうか?

一言でいえば、「理念」と整合しない制度設計がされてしまったからだと思います。

とくに法曹人口です。当時の政治状況もあって、弁護士の数をケタ違いに増やすというと、日弁連が反対に回ってしまうので、国会の答弁でも言われていましたが「2018年頃に法曹人口5万人」という目標となりました。フランスの弁護士人口の割合を日本に当てはめると、大体それに近い数になるからという理由です。ちなみに、フランスを基準に正確に計算した場合、約7万人になります。

ところが、なぜフランスがモデルになるのかという説明はまったくありませんでした。日本の法学者はフランスよりもドイツのほうが好きな人が多いのですが、ドイツを基準にすれば約16万人になります。しかし、そんな声は出てきませんでした。また、アメリカの制度をモデルにしたい人も多いのに、アメリカの弁護士人口を日本に当てはめると、当時で約41万人、現在では49万人を超えますが、そんな声もありませんでした。

――とても根拠があやふやな目標だったんですね。

この「5万人」を達成するために「2010年頃に新司法試験の合格者数を3000人まで増加させる」という目標も決まりました。さらに新司法試験は、ロースクールを卒業しなければ受験できないけれど、受験者の7、8割が合格できるようにするというのです。

合格率7、8割であれば、受験者数は3700人から4300人程度です。旧司法試験時代には数万人が受けていた試験ですから、受験者数をおさえないといけなくなります。ところが、どうやってその数をおさえるのか、という方策がまったく示されませんでした。

初年度は約7万人がロースクールを目指して、約8000人が入学しました。合格者数3000人というのは、約7万人から考えれば合格率が1割を切ってしまうことになるのですが、ロースクールを出た人の7、8割が受かるということだけが、強調されていました。

――入学者が8000人もいれば、当然、司法試験の受験者数も増えてしまうわけですが、当時、ロースクールの数を絞るという話はなかったんですか?

司法制度改革に関わった人の中にも「ロースクールが全国で70校以上もできるとは思わなかった」と言っている人がいました。おそらく少ないロースクールの数からスタートして、7、8割が合格すると思っていたのかもしれません。

しかし、設置基準を決めてどうぞと言えば、どんどん参入してくる可能性があるのは当然ですよね。規制改革の思想と司法制度改革は一体で進んできたので、ロースクールの数を人為的に絞るということ自体がおかしな発想です。そういうところからして、やはり理念と制度設計が整合していなかったのだと思います。

根本の間違いは、「合格者数を3000人まで増加させる」です。合格者数の枠をとりはらってしまえば、ロースクールがいくらできても構わないわけですよ。

――ズバリ理想の「弁護士人口」はどれくらいでしょうか?

そのようなものを国が決めるべきではありません。誰かが決めるべきものではなくて、日本社会のマーケット全体の中で決まることです。アメリカの場合、資格試験なので7割くらいが受かりますけれど、弁護士マーケットが飽和状態であれば、能力のある人は他の道を選びます。このように受験者側が調整していくわけです。

一方で、国家公務員地方公務員の法律業務は、すべて弁護士がやるべきだと私は考えています。また、大企業の法務部だけでなく、法務部のない中小企業も社内に弁護士を最低1人雇っていれば、トータルの紛争コストを節約できます。中小企業の上位1割だけでも約35万社あるわけで、1社1人となれば、中小企業だけで少なくとも35万人の弁護士が必要になります。何十万人かいないと足りないわけですね。

国民の中でも、弁護士に相談したことがない人どころか、そもそも弁護士に会ったこともない人が少なくありません。一方で、医者を見たことのない人はいないですよね。医師は約34万人で、歯科医師を含めると約44万人です。それに匹敵するくらいの数が必要なのかもしれません。

●「まずは失敗だったと認めることからはじめるべき」

――少し話が戻りますが、「失敗の背景」には何があると思いますか?

司法制度改革は、大学や日弁連だけでなく、最高裁法務省文部科学省といった「日本の法律関係のエスタブリッシュメント」が総力を挙げて推進したものです。ところが、日弁連は前向きにやると言いながらも、内部には増員に反対する勢力を抱えていました。

歴史上、どんなギルド制度についても言えることですが、少数安定の生活が保たれている人たちにとって、参入障壁を下げることは、競争相手が増えることを意味するので、必ず反対の声が出てきます。その声を抑えられるだけの強固な政策論を打ち出す必要があったわけですが、まったくなかったのです。

つまり、非常に高尚な「理念」を掲げつつ、その「理念」から制度を切り離して、数字だけポンと出てきて、その数字は非常に根拠があやふやで、それに帳尻を合わせるように制度が作られて、増員反対の声が強くなるとすぐ合格者の数を減らしていくという経緯をたどったのです。

結局のところ、私の印象でいえば、既存の法曹の「エリート意識」が失敗の背景にあると思います。「少数精鋭の優秀な法曹によって、これまでの司法制度は支えられてきた。それ自体はまったく間違ってない」という意識です。

だから、弁護士人口を増やすことで「質が落ちてきた」という声が出ると、「そら見たことか」という話になる。以前のように「少数精鋭にすべきだ」と思っている人たちが潜在的にいるために、一部の弁護士が数を減らせと声を上げると、それには強く反対できない。それでズルズルとその方向にむかってしまう。

弁護士に限らず、裁判官もそうですけど、功成り名を遂げた法律家たちが「最近、若手の質が落ちた」とか「我々の時代はもっと厳選されていた」ということをよく口にするのですが、その意識がある間は法曹を増やせないですよ。

この「エリート意識」は非常に高い壁で、何とか打ち崩さないといけないと思います。そのためには多様な弁護士を求める声が社会から高まる必要があるでしょう。「あなた方は確かに優秀だけれど、でもあなた方だけではダメな社会になってきているのです」という声です。

また、弁護士の資格を持つことは、超エリートの保証があるということではなくて、これから法律家のマーケットで競争していくためのスタートラインに立つことにすぎないんだ、競争する資格を得たに過ぎないんだ、という発想の転換もしないといけないでしょう。

――ロースクールができたばかりのころは、弁護士になれるという"夢"も広がりました。ロースクール自体は良かったのではないでしょうか。

開校初年度(2004年)は良かったですね。非常に優秀な人たちが集まっていたと思います。みんな授業のときに目が輝いていました。ただズルズルと入ってきた法学部出身者とは違って、何かを振り切って、そこに来た人たちですからね。自分の目標が非常にはっきりしていて、そのために勉強をするんだという姿勢が強かった。

だから、授業する教員にとっても非常に刺激がありましたし、もしこれを持続できていれば、とても素晴らしかったと思います。ただ、そのためには合格者数を万に近づけるくらい覚悟しないと、とても持続できないでしょうね。

――反省を活かして、どう改善していくべきでしょうか?

まずは「失敗だった」と認めることでしょう。ただ、それは制度を作った人の責任問題になります。責任を取りたくないのが日本の文化ですから、失敗を認めず、みんなで決めたんだから誰も悪くないということで、現行制度を存続させながら、弥縫策を重ねています。

多様なバックグラウンドを持った法曹を養成するという目標も達成できないまま、その負の遺産が毎年積み重なっている状態です。それによって、法曹を目指す人たちにしわ寄せがいっています。「失敗だった」と認めなければ、なぜそうなったのかを検証できませんし、きちんとした改善策を立てることもできません。

政府の肝いりで司法制度改革審議会が作られて、その意見を尊重するという形で進められたわけですから、国がきちんと責任を負って検証すべきでしょう。一方で、何でも国任せというのは、規制改革の時代にふさわしくないので、民間からも声を上げて、その失敗の原因は何であったかということを炙り出していくことも求められると思います。

●「試験に合格しただけで一生収入が保証されるのは、おかしな話」

――この20年の間で、どの分野も人材不足と言われるようになりました。優秀な法学部生たちも法曹以外の職業を選択するようになってきています。

それでも、やはり弁護士の仕事はやりがいがあると思います。大企業相手の訴訟で勝って莫大な収入を得るというのも面白いし、弱者の人権擁護のために奮闘するというのも面白い。さまざまな領域でわくわくする仕事があります。ただし、競争がないとダメです

実は、私は規制緩和に対して基本的に反対です。一般の国民には規制緩和なんか必要なくて、国がもっとサポートして、弱者を保護したり、競争に負けて落ちこぼれて生活できない人が出ないようにケアしたりすべきだという立場です。

他方で、弁護士から競争を外したら、何のために優位な地位を与えているのか、意味がわからなくなると思います。弁護士のような専門職は徹底して競い合って、お互いの能力を磨いていくべきです。

――弁護士が食えないというような話もあります。

まったくそんなことはないと思います。営業センスのない人が弁護士事務所を開設して、じっと座っていてもお客さんが来なくて、収入が入らず、貯金もなくなり、食べていけないというならば、事務所をたたんで、ふつうの会社に就職すればよいのです。弁護士の仕事は事務所で働くだけではないですから。

ふつうの会社に勤めていて、法律トラブルが起きた際、外部の弁護士に依頼する前に内部で調整できる能力を示すことができれば、それなりの待遇が得られると思います。何ができるかによって収入は決まるべきで、試験に合格しただけで一生収入が保証されるというのは、おかしな話だと思います。

●このままでは法学研究も先細る可能性がある

――ロースクールは今後どうあるべきでしょうか?

法学部の学生は、旧試の時代と同様に、当然に司法試験の受験資格を認めてよいと思いますので、ロースクールは、法学ではなく、他分野の学位を持った人たちのためのものにすべきです。他分野の修士号、博士号を持っていれば入れるようにする。学士号でもトップクラスであれば、教授の推薦書付きで入れるようにする。そして、その人たちに3年間徹底的に教育して、7割くらいの確率で合格できるようにする。

あとは司法修習の場です。司法研修所のキャパシティは約1500人ですから、何千何万という単位で合格者が出てくると場所がありません。そこで、ロースクールと各地の弁護士会が提携して司法修習の場を提供するというのが、ロースクールの良い活用方法ではないでしょうか。そう考えると、全国にロースクールが必要ですね。

――ロースクールを経ない「予備試験」から法曹を目指す人が増えています。予備試験については、どう思っていますか?

予備試験は非常に高級な試験で、それに受かる人たちの知的能力の高さと、疲れを知らない知的持続力はすごい能力だと思います。予備試験の合格者が優遇されるということは、市場はロースクールの教育なんかまったく評価していないということですから、ロースクールは市場競争で負けているわけです。市場で評価されるためにはどうすればいいか、根本的に考え直す必要があります。今のままではダメでしょうね。

――ロースクールの教育はどうあるべきでしょうか?

大学教授は受験教育ではなくもっと高度な教育をすべきです。そして、その対象は司法試験受験生ではなく、専門性を求める弁護士であるべきでしょう。弁護士が生き残りのために専門性を求めるときに、大学教授から専門知識を授かれば、仕事に役立つ知識をどんどん吸収できると思います。

しかし、現在は、大学教授の能力を無駄遣いしています。学生から「ちょっと答案みてくれませんか?」と頼まれて、答案の書き方を指導するというのは、学者がやるべき仕事じゃないし、まったく自分に向かないことを無理やりやらされていると思います。本来、受験テクニックは予備校に任せればいいのです。

ロースクール制度は、いまのままだと、その専門性を身につけるうえで妨げになってさえいます。若い時期の貴重な時間を、試験のための勉強に費やしすぎです。試験のための勉強は、そんな何年も耐えられるものではありません。あんなに長くやったら、法学の面白みがなくなりますよ。それに耐えた人しか入れないというのでは、偏った人材しか来なくなってしまいます。

――大学教授の能力を無駄遣いしているということは、法学の研究が先細るのではないでしょうか?

大学教授時代、これでは研究者の養成ができなくなると考えたので、私は教授会でロースクール構想に反対しました。

研究者も若いときに10年ぐらい徹底的にトレーニングしないと、一流の学者にはなれなません。研究が好きでひたすら研究したいという人を早い段階で研究者の道に入れないといけません。しかし今は、ロースクールという実務家養成ルートでそれなりの成績を修めないと研究者になれなくなっています。

そもそも法学研究者に求められる能力は、現在のロースクールで良い成績を取るための能力とは別物です。ロースクールで試験勉強をやらされるのは、ものすごく無駄なことだと思います。

――ロースクール前はどうだったのか?

私の時代の東大の例でいえば、法学部を卒業してすぐ「助手」になれる制度がありました。学部では司法試験なんか気にせず勉強して、その成績が良ければ卒業してすぐ助手になれ、給料をもらいながら3年で論文を書き上げると、研究者の職が得られるというものです。私も、もし現行制度のもとにいたら、経済的にロースクールというのは難しく、学部卒業後すぐ就職して、研究者になるのは断念していたかもしれません。

法学部の場合、学者にもなれるけど、実務家にもなれるという人はいっぱいいますので、それなりのルートを用意しないと人材確保ができません。今のようにロースクールを通るルートだと、研究者になるハードルが上がって、優秀な人はみんな実務家になってしまいますよね。

人材の取り合いという競争市場があり、研究者の養成が非常に不利な立場にあります。しかし、実務を支えるのが学問です。学問がダメになると実務もダメになります。だから、きちんと研究者を養成して、早く一人前の学者になれるルートを作らないといけないと思います。

――学問の発展のためにも、ロースクールの位置づけは再考したほうがいいということですね。

今は弁護士になるのに、コストとリスクが大きい。それでもあえて法律実務家を目指す人たちは、本当に立派だと思います。しかし、本来は、もう少しきちんと法律関係の仕事の魅力を幅広く若者に伝えると同時に、その中に入ってきやすくするのが、制度設計者側の責任です。それがきちんと果たされていないために、若い人たちにしわ寄せがいく。それは気の毒だと思っています。

【プロフィール】内田貴/うちだ・たかし
東京大学名誉教授、1954年大阪生まれ。1976年東大法学部卒業。東大法学部教授、法務省(経済関係民刑基本法整備推進本部)参与を経て、現在は弁護士。専門は民法で、著書「内田民法」シリーズ(東京大学出版会)は、全国の法学部生に絶大な人気を博している。

内田貴・東大名誉教授、司法制度改革は「まずは失敗を認めることから」 法曹の"エリート意識"が「失敗の背景」