着任当時の実験室。まさにからっぽからのスタートだった
着任当時の実験室。まさにからっぽからのスタートだった

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第33話

筆者が主宰する研究室には、多くの留学生が在籍している。中国、フィリピン、タイ、アメリカ、ギリシャなど、国籍もさまざまだが、彼らの大半は日本語を話せる。その理由は?

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【イラスト】佐藤教授のラボのロゴ。音楽が好きな人なら由来はわかる!?

■1、8、14、16、13、26

いきなりだが、↑の小見出しの数字が意味するものは、私の研究室(ラボ)に所属するメンバーの人数の、年ごとの変遷である。

2018年4月に私は、東京大学医科学研究所の感染症国際研究センターに、准教授として着任した。准教授ながら「研究室主宰者」のポジションであったので、私は、「2018年4月に独立し、自分のラボを立ち上げた」ということになる。

ちょっとややこしいので補足すると、大学教員の役職は主に、教授、准教授、講師、助教である。その一方で、自分のラボを運営している人のことを「研究主宰者」と呼ぶ。ややこしいのは、大学教員としての役職と、「『研究主宰者』かどうか?」ということにはあまり関連がないことにある。つまり、教授ではなく、准教授や助教であっても、「研究者主宰者」として自分のラボを運営している人はいる。

日本のアカデミア(大学業界)では昔から、「講座制」というひとつのラボ(教室、あるいは「ゼミ」ともいう)の中に、教授、准教授(以前の「助教授」)、助教(以前の「助手」)という複数の教員が所属するピラミッド構造(あるいはヒエラルキー構造)が一般的だった。つまり、ラボの頂点に君臨するのはあくまで教授であって、准教授や助教はその組織の屋台骨、という構造である。

そのため、「私は准教授です」と言うと、「ああそうですか。それでは、あなたのラボの教授は誰ですか?」と問われることがままあった。しかし上記の通り、私は「研究室主宰者の准教授」として、東京にやってきた(そして2022年の4月に、同じく東京大学医科学研究所で、内部昇進する形で教授になった)。

話を元に戻すと、私は2018年の4月に自分のラボを立ち上げたが、最初はたったひとり、からっぽのラボスペースからのスタートだった。

ありがたいことに、前所属の京都大学のスタッフが、ラボの立ち上げを手伝うために月に一度くらい東京に来てくれて、少しずつラボの形になっていった。

その年の秋には事務作業もできるスタッフを雇用し、正式なラボメンバーがふたりになる。そして翌年度の2019年4月に、ひとりの博士研究員(現在の准教授のⅠ)と、京都で私が指導していた5人の大学院生が合流してくれて、ラボメンバーが一気に8人に急拡大する。

それからはテクニシャン(実験補助員)さんを雇用したり、博士研究員やインターンの学生を受け入れたりして、10人強の体制で新型コロナ禍での研究を進めてきた。

それが2023年になり、獲得した研究費が安定してきたこともあって、博士研究員を多めに雇用し始めると、人数がさらに増加。ふと気づけば、30人弱の大所帯になっていた。

■15

↑の小見出しの数字が意味するのは、2023年度に私のラボに所属していた日本人の人数である。ひとつ前の小見出しに書いたように、2022年度から2023年度にかけて、ラボメンバーは13人から26人に倍増したが、そのほとんどが外国人ということになる。

正直に述べると、留学生を増やすことには最初は抵抗があった。そもそも私自身、そんなに英語に自信があるわけでもないので、ちゃんと責任をもって指導できるか不安があったからだ。それに、やはりなんだかんだ言っても文化が違うので、きちんとコミュニケーションがとれるのかもわからない。

そこで私はまず、インフォマティクス解析(パソコンを使ったデータ解析)を補助するためのスタッフとして、アメリカ人のAを雇用した。Aはおもしろい経歴で、東京藝大で音響心理学の博士号を取得している。

「なぜそれでウイルス学のラボに?」と思われるかもしれないが、彼は音響心理学の研究で、RやPythonなどのプログラミング言語を使ったデータ解析技術を習得していた。その技術を、私のラボで進めているインフォマティクス解析でも活用できるのではないか、と考えたわけである。

その後、ビールを飲んでいるときにAが話したことなのでどこまで本当なのかはわからないが、私のラボに応募した理由について、キャリア的にも音楽通のAは、「ラボのロゴを見て決めた!」と話していた(音楽が好きな人であれば、私のラボのロゴの由来は大抵わかる)。

私のラボのロゴ。その由来についてはまた別の機会にでも
私のラボのロゴ。その由来についてはまた別の機会にでも

ともあれ、当時の私にとっていちばん大事だったのは、日本語も英語もできるAのバイリンガルのスキルだった。彼のおかげで、日本語に難のある留学生にも、事務的なことなどをスムーズに伝達することができるようになり、またそれによって、留学生を受け入れることに対する心理的なハードルをかなり下げることができた。

■留学生が増えたことによる副次的な効果

私は、今のラボメンバーたちにとても満足している。なにより、留学生の彼らはとにかく明るい。ミーティングルームでよく談笑し、笑い声がよく廊下に響いている。

「明るく楽しい雰囲気」というのは、意図してもなかなか人工的には作ることができない。そのような空気が自然と湧いてきたのは、集まってきてくれた留学生たちのおかげによるところが大きいと思っている。

そして驚くべきことに、母国語もできて、英語も話せて、その上で日本語も話せる留学生は意外に多いのである。私のラボに在籍する留学生の半数以上が、程度の差こそあれ、日本語を理解し話すことができる。

これによって、私のラボに在籍する日本人メンバーも、ちゃんと彼らとコミュニケーションを取ることができている。また、外国語があまり得意でない日本人メンバーたちも、そんな環境の中でがんばって伝言したり、意思疎通しようとしている。それによって外国語に対する意識も変わるようで、日本語発音だったりブロークンだったりする英語でも、積極的にコミュニケーションしようという姿勢が散見されるようになった。

ほかにも、フィリピン人同士がタガログ語で話しているところに、中国人が混ざってきたら会話が日本語に切り替わり、そこにスウェーデン人のインターン学生と日本人スタッフが混ざると英語になる、というような不思議な光景も見られたりする。

そのような「ごちゃ混ぜの言語環境」によって、「言語の壁」に対する苦手意識は確実に低くなっているようで、それは日本人学生の意識にも良い影響を与えているように思っている。

■日本のアニメはすごい!

2022年の後半、海外から日本への渡航のハードルが下がった時期から、海外からのインターンの学生を受け入れる機会がとても増えた。インドネシアなどのアジアの国々だけではなく、フランスイギリススウェーデンなどからも受け入れた。

そのたびにウェルカムパーティーやフェアウェルパーティーを開催したりしていたのだが、あるとき、「なんで君たちはそんなに日本語ができるの?」と訊いてみたことがある。返ってくる答えはだいたい同じで、彼らはアニメやアイドル、J-POPなどの日本のサブカルチャーから日本語を学んでいるのである。

というよりも彼らは、まずはじめに日本のサブカルチャーを好きになり、そこから日本という国に興味を持ち、そこに行ってみたい、留学したい、そのために日本語を覚えたい、と考えるに至っているようである。

つまり、日本のサブカルチャーが、優秀な海外の学生や博士研究員を集めるためのひとつの装置になっている、ということになる。

しかし最近では、ポップミュージックについてはもはや言うまでもないが、アニメや漫画のジャンルでも、韓国や中国などに人気を奪われつつあると聞く。GDP(国民総生産)や給与待遇はもとより、サブカルチャーの覇権まで失ってしまえば、いよいよ日本は、海外から人材を集めることが難しくなることは想像に難くない。

これは、「きちんとした『仕事』をしていれば人は集まるはず」などという綺麗事で片付けられる話ではない。ここでの「仕事」には、どんな言葉でも大抵当てはまると思う。

サイエンス」然り「ウイルス学」然り、明るい未来を描くためには、優秀な人材が不可欠である。そして、その人材が明るく楽しく働くことができる環境を整えることが大切であることは、誰しもが認めるところかと思う。しかしポイントは、そのための綺麗事ではないhow toにあるのではないだろうか。

文・写真/佐藤 佳

着任当時の実験室。まさにからっぽからのスタートだった