2月9日に一挙8話の配信が開始されたばかりの「殺人者のパラドックス」が、ドラマファンの心を確実につかんだ。12日に発表されたオンラインコンテンツサービスランキング集計サイト「フリックスパトロール」によると、スタートから3日後の11日はTVシリーズ4位にランクイン。日本でも、話題の地上波ドラマ「不適切にもほどがある!」に続く2位で、韓国ドラマというジャンルで言えばNo.1の人気を誇った。現在はNetflix独占でエピソード8まで配信中だ。

【写真を見る】天然キャラはどこへ!?「殺人者のパラドックス」で狂気の犯罪者を演じるチェ・ウシク

「殺人者のパラドックス」は、韓国の作家コマビ氏によるウェブトゥーン「殺人者◯ナンガム」を原作としている。平凡な大学生イ・タン(チェ・ウシク)は、毎日を流されるまま暮らしていた。コンビニでのバイトを終えたある夜の帰り道、彼は思いもよらず殺人を犯してしまう。自分がしでかしたことの恐怖に怯えるタンだったが、その後予想外の事実が発覚する。なんと自分が殺した男が、かつて凶悪な殺人事件を起こした指名手配犯だったのだ。その後も偶発的な殺人に手を染めていくタンだったが、そのすべての被害者が罪深い犯罪者で、さらにタンの犯行の証拠も残らず、疑惑から免れ続けた。一方、当初からタンに目をつけていた刑事チャン・ナンガム(ソン・ソック)は、執拗に彼を追っていく。

手掛けたのは「他人は地獄だ」や『死体が消えた夜』(18)のイ・チャンヒ監督だ。新鮮に再現したキャラクター造形、原作を巧みに映像化した作り手の手腕で称賛を受けている。配信に先駆けて公開されたメインポスターに写るのは、覇気のない顔で棒立ちしているコンビニ店員チェ・ウシクと、ワイルドな色気をまとったソン・ソック。このビジュアルで、ソン・ソックが型破りで執念の刑事、チェ・ウシクが狂気の犯罪者であるとはなかなか予想外で、すでに多くの視聴者が好奇心を刺激されていたに違いない。

癒やし系のイケメン”と称され、今回のドラマで破格の姿を見せたチェ・ウシク。今回は、彼がイ・タンを演じるまでの軌跡をたどってみたい。

■“悪人を認識する能力”で殺人を繰り返す青年の顛末を描く新機軸のスリラー「殺人者のパラドックス

チェ・ウシクと言えば、BTSのV、パク・ソジュン、パク・ヒョンシク、Peakboyなど、芸能界きっての親友5人で構成されている“ウガファミリー”の中で3番目に年上だが、最年少のVにもツッコまれるおっとり天然キャラが魅力だ。2人兄弟の次男として生まれ、11歳のときにカナダへ移民として移り住んだ国際派の彼は、7歳違いの兄を持つ末っ子として愛情たっぷりに育ったという。芸能界へ足を踏み入れたきっかけも、当時の恋人が「今、韓国では目元の優しい人が人気だから、俳優をしてみたら?」と勧め、さらにオーディション用のプロフィールを企画会社へ送ってしまったことだった。こうして何かと世話を焼いてあげたくなるあたりに、チェ・ウシクの愛され属性の強さを感じる。

もちろん、こうした人間チェ・ウシクの持つ柔和な特性を存分に生かした作品も充分にチャーミングだ。一方で俳優としての凄みとは、イメージと異なる役柄も、まるでそれが自身の内面の一部であるかのように表出してみせるポテンシャルなのではないか。「殺人者のパラドックス」の主題は、偶然と必然、表と裏というような相反する概念への疑問だ。ナンガムのセリフ「風船ガムと普通のガム、違いはない。やろうと思えば普通のガムも膨らむ」が象徴するように、特別な人間ばかりが凶悪な犯罪を犯すわけではないのかもしれない。その逆として、タンが持つという“悪人を識別する能力”も、実際にそんなスーパーパワーがあるのか疑わしい。“命を断罪する権利は一体誰にあるのか”という答えの出ない問いかけが、ストーリーを最後まで貫いている。

イ・チャンヒ監督は、「視聴者の方々がこの配役に没入してほしかった。いくら偶発的な殺人だとしても、没入できるか悩んだが、チェ・ウシクさんのような人物が殺人を犯したなら、“彼の話も聞いてくれないと”と説得できるんじゃないかと思った」とキャスティング秘話を語るように、イ・タン役にはチェ・ウシクしか思い浮かばなかったそうだ。

「殺人者のパラドックス」のイ・タンに必要不可欠だったのは、どこにでもいるありふれた人物像を持ちながらも、触れたら暴発するような感情がどこかに隠されている可能性だったと思う。本作は痛快なダークヒーローの活劇ではない。ボタンをかけ違えた平凡な青年のジレンマのドラマだ。視聴者に単純にジャッジをさせないからこそ、奥行きのあるドラマに仕上がっている。

■無邪気だからこそ狂気を感じさせる謎の男を演じた『The Witch/魔女』

パク・フンジョン監督の『The Witch/魔女』(18)でも、チェ・ウシクは「殺人者のパラドックス」のタンの片鱗を見せている。

彼が演じたのは、主人公の少女ジャユン(キム・ダミ)をつけ狙う謎の男。名前も正体も不明なこの青年は、実はジャユンと同じく特殊な施設で育てられた実験体で、人知を超えたパワーを持つ殺戮マシーンだった。生まれてすぐに施設で育てられた彼らは、子供のような無邪気さと共に、血も涙もない性格が備わっている。チェ・ウシクがこうしたキャラクターを演じていると、残忍な行為さえ純粋に遊んでいるように見えて、どのシーンよりも背筋が寒くなる。これも、パク・フンジョン監督の狙い通りだったのではないだろうか。

■チェ・ウシクの“新しい顔”はポン・ジュノ監督が見出した?『オクジャ/okja』と『パラサイト 半地下の家族』

パラサイト 半地下の家族』(19)でチェ・ウシクとタッグを組んだポン・ジュノ監督は、彼について「黙って立ってるだけで、なんだか気の毒そうに見えますよね。そのままで、どことなく栄養が足りていないような印象がある人です。満腹になって席を立ったその瞬間に、栄養不足になっているような感じがある。心配事も多そうに見えるし、少し猫背気味のような気もするし、そういうイメージとよく合うんだと思います」(イ・ドンジン著「ポン・ジュノ映画術『ほえる犬は噛まない』から『パラサイト半地下の家族』まで」より)と語っている。たしかに、ちょっとシャイな野球部員に扮した『新感染 ファイナル・エクスプレス』(16)のように、チェ・ウシクは気弱そうな好青年の役が多い。だが『パラサイト 半地下の家族』で演じた、ソン・ガンホ扮するギテクを家長とした貧しい一家の長男ギウは、これまでのキャラクターからはやや逸脱している。

ギウはルックスも真面目そうで、人当たりもソフトだ。一方で、柔らかい口調と頭の回転の速さで人を言いくるめることにも長けていて、イメージを利用して裕福なパク家に取り入った節も否めないようにも感じる。

気の毒そうな青年」と評しているにもかかわらず、ギウのような役にチェ・ウシクを抜擢したポン・ジュノ監督。初めて二人が出逢った『オクジャ/okja』(17)でのチェ・ウシクの演技を見て、すでにポテンシャルを見抜いていたようだ。ポン・ジュノ監督の映画には、世代や社会、階級を分かりやすく象徴する人物が登場する。巨大な豚のオクジャと育ての親の少女ミジャの冒険を描いたこの映画でチェ・ウシクが演じていた今どきの若者・キムは、そんな“ポン・ジュノ的人物”の一人だ。作品のヴィランルーシー(ティルダ・スウィントン)率いる多国籍企業のミランド社は、ある壮大な計画に利用するためミジャからオクジャを奪い、ニューヨークへトラックで輸送しようと企む。その運転手がチェ・ウシクだった。トラックは動物愛護団体に襲撃されてオクジャが奪われるが、キムは「労災保険に入っていないし、俺には関係ない」と動こうともしない。組織に忠誠を誓う前時代的価値観が通用せず、その後ニュース番組のインタビューに登場するとヘラヘラしながらミランド社の失態を嗤う。わずかな出演シーンだったが、いかにも権力や体制を嫌うポン・ジュノ監督が好む人物ではないだろうか。彼が『パラサイト 半地下の家族』にキャスティングされる所以がよく分かると同時に、「殺人者のパラドックス」を観た後で想像すると、気だるそうなキムはもしかしたらイ・タンだったのかもしれない。

「殺人者のパラドックス」への出演の理由として、チェ・ウシクは「僕が演じるイ・タンというキャラクターも、俳優として挑戦したいと思った。自信もあった」と語っている。ごく自然に演じていたイ・タンはしかし、彼にとっても挑戦だったようだ。そしてこのドラマで、ベストアクトをまた一つ更新した。この先、どんなジャンルに挑もうとも、“信頼できる俳優”の一人として、長く私たちを楽しませてくれることだろう。

文/荒井 南

“癒やし系のイケメン”と称されるチェ・ウシク/[c]Netflix