アドビが自社製品に採用するデザイン言語「Spectrum 2」を発表した。これは2013年に実装された「Spectrum」を10年ぶりにアップデートするもので、同社のUI/UXデザインの根幹をなすものだ。

【画像】アドビが刷新したデザイン言語「Spectrum 2」

 デザイン言語とはデザインにおける共通の指標であり、設計の原則のこと。古くはアップルがApple IIのために設計・提唱した「Human Interface Guidelines」がある。使いやすい・見やすいソフトウェアを設計するためにはこうしたデザイン言語によってインターフェイスの統一性を整備することが欠かせない。

 今回はアドビのシニアディレクターであり「Spectrum」の担当を務めるShawn Cheris(ショーン・ケリス)氏にインタビューを行い、「Spectrum 2」誕生の経緯について伺うことができた。

ーーアドビがデザイン言語、つまり「Spectrum」をどのように重視しているのか、何を達成するためにデザイン言語を活用しているのか教えてください。

Shawn:それでは、「Spectrum」とはなにか? という、本当に基本的なところから説明しようと思います。デザインとは原子のような非常に小さなモノ、抽象的なモノから始まり、ウェブサイトやアプリのような複雑で具体的なものへと構築されていきます。

 人々がデザインについて語るとき、しばしばこのような比喩が使われますが、これはまさに正しく、「Spectrum」を構築する際にも「色」「タイポグラフィ」「ボタン」などの検討から始まり、それらをモーダル・ウインドウに実装していくような形で作っていきました。レゴのピースを組み立てていくようなイメージです。シンプルな造形はもちろん、たくさんのピースがあれば複雑な形を作れます。

 たとえば、家を建てるならもう少し複雑になります。それはどんな課題を解決しようとして建てられる家なのか、どんな建材を使い、どこに立地するのか、というような条件が加わります。そして当然、それを作るためには設計者も必要で、建築の専門家やエンジニアといったような人が必要になります。ソフトウェアを構築するのとまったく同じ話です。

 「Spectrum」のチームは設計するだけではなく、ツールも作っております。そのツールを作ってアドビのチームが仕事をしていくわけです。こうしたツールや仕様を作って、文書化し、CSSやウェブコンポーネントの実装に繋げていきます。

 アドビにとって「Spectrum」とは単なるコンポーネントに留まりません。これはアドビ全体のアイデンティティにも関わるものなのです。たとえば、「Adobe Photoshop」は2,000個近いアイコンを使用していますし、文章を扱うようなコンテンツストラテジストもいれば、デザインのプロトタイプを制作するチームにしても数十人の人間が関わっています。

 アイコンやロゴ、スプラッシュスクリーン、あるいはアドビ製品全体を通して「統一された体験」を得られるかどうかにも「Spectrum」は大きく影響してきます。ですから、「Spectrum」のような大きなデザインシステムを運用するうえでは、明確な規範やガバナンスが重要になるわけです。

 では、つづけて「Spectrum 2」がどういったものかご説明しましょう。そもそも「Spectrum 1」が誕生したのは2013年のサンフランシスコです。世界がまだモノクロに包まれていたころ……スペクトラム(光の波長=色)が無かった時代ですね(笑)。今でこそデザイン性に優れることで知られる企業でも、当時のWEBサイトは我々アドビを含め悲惨なものを採用していたんです。

 そうしたなかで、将来的な製品画面のイメージを作るなど、「未来のアドビ」を思い描きながらデザインを策定してきました。我々とて、当時は夢物語に過ぎないと思っていました。ですが、フタを開けてみればこの10年で当時掲げたデザインのビジョンにたどり着いてしまいました。

 その間、アドビにとってもいろいろなことが大きく変わりました。まずはじめにユーザの中にプロフェッショナルではないユーザが増えたということがあります。そして10年前に比べると市場の競合他社も増えています。デジタルエクスペリエンスそのものが非常に大きな進歩を見せました。

 画像の左側に出ているのが「Spectrum 1」のアイコンです。非常にシャープというかキリッとしていてプロ向けなことがわかります。一方、右側に出ているのが「Adobe Express」のアイコンです。ちょっとこれはフレンドリーすぎるというふうに思いましたので、間を取って調整をしました。

 数年前、自社組織を再編した際にアドビの理念について社員全体で話し合い、社の掲げるテーマとして合意を得たものがあります。一つはインクルーシブ(包括的)であるということ。そしてアクセシビリティ(利便性)があって、エクイティ(公平・公正)でなければいけないというビジョンです。

 私たちは、アドビのミッションとして「Creativity for all:すべての人に『つくる力』を」を掲げています。すべての人に、とうたっていますので、製品を使うすべての人たちが同様に使えるようにしなければいけない。

 そしてどんなプラットフォームを使っても慣れ親しんだものであると感じてもらうことも重要で、モバイルでもデスクトップでもWebでもそういう体験を得られることが大切です。提供する経験が磨き上げられていて、使っていて楽しい喜びを感じるようなものにすること、軽量で開かれた、そしてより親しみやすいものにすることなども重要なトピックになりました。ブランドカラーも「Spectrum 2」のカラーとして統合しています。

ーー「Spectrum 1」が実装された2013年~2014年ごろというのはインターフェイス・デザインの刷新が活発に議論された時期だと思います。いわゆるフラットデザインの流行もあり、Googleがマテリアルデザインを提唱したのもこの時期でした。こうした時代の流行、その中にはスキューモーフィズムからの脱却というアプローチも含まれますが、こうした時代背景が「Spectrum 1」あるいは2、いずれもに影響を及ぼすことはありましたか?

Shawn:この流行の渦中に居た人々というのは、大体みんな“同じ穴のムジナ”というか、“同じところの水を飲み合う仲”だったと言えると思います。ですからインターフェイス・デザインにはファッション(時流)の要素があるのは確かだと思うんです。

 スキューモーフィズムは哲学と宗教の中間のようなもので、それは古くはスティーブ・ジョブズのアイデアでしたが、私は、一般の人々がソフトウェアの使い方を理解できるようにするために、そのような作り方を徹底することについてはあまり同意できませんでした。正直私は、個人的にはあそこまでやる必要があるのか? と思っていたんです。

 とはいえ、「Spectrum 1」は少しミニマムすぎたかもしれません。その反省を踏まえつつ新しいデバイスのための体験を作り始めているいま、デバイスのフィジカリティ(物理性)と3Dを活用することは現代のデザイン、モダンなデザインにふさわしいと感じています。

ーー関連した質問ですが、ディスプレイのコントラストレンジ向上やカラーの表示能力の進化というのは、「Spectrum 1」が「Spectrum 2」に至る際に影響を及ぼしていますか。

Shawn:ちょっとお見せしたいものがあります。これは社内で開発した「Leonard(https://leonardocolor.io/#)」という技術デモです。これは非常に凝ったアルゴリズムで、背景色を与えると、コントラスト比に基づいてアクセス可能な前景色を生成することができます。

 これは、将来の「Spectrum」に搭載したいものです。人々は太陽の下にいるときもあれば、暗い部屋にいるときもある。ほとんどのデザインシステムはカラーパレットが静的ですが、私たちがやりたいのはユーザーの好みに基づいて動的にパレットを生成することです。こうすることで、ハイコントラストモードなどOSの設定にも対応できるようになりますし、色覚異常や視覚障害など、人間のあらゆる視覚障害を考慮することもできます。

 私たちがデスクトップ製品の再構築に着手する際には、明るさやコントラストだけでなく、フォントサイズ、スケール、濃度についてもユーザーの好みを反映させたいと考えています。取り組んでいることの一部はまだラボにあり、おそらく特許を取得することになるでしょう。

プロフェッショナルのものだからといって、すべてがシャープで合理的でなくてもよい

ーー「Spectrum」のようなインターフェイス・ガイドラインを作るときにはプラットフォームとなるOSのガイドライン、つまりiPadならiPadの“お作法”を考慮する必要があるかと思うのですが、そうした既存のガイドラインと「Spectrum」が衝突(コンフリクト)するような問題もありましたか。

Shawn:ありました。これまで、私たちを含む多くの企業がやってきたことは、他で見た製品を“そのまま”iPadに押し込もうとすることでした。しかし、今後モバイルアプリを作っていく中では、iOSやAndroidの掲げる規定や規則をもっと重視しながら構築していくことになると思います。

 たとえばAndroid向けのアプリを作る際には、マテリアルを使いながら必要なものを追加していくというやり方です。おそらくそれがユーザーにとってもっとも適切でかつ自然だからです。

ーー「Adobe Illustrator」や「Adobe Photoshop」などのインターフェイス・デザインの根底にはかつてビル・アトキンソンが開発しスーザン・ケアがデザインを努めた「MacPaint」のデザインがあるかと思うのですが、「Spectrum 2」を実装するにあたり、こうした昔のインターフェイス・デザインについて振り返って検討することはありましたか?

Shawn:ごく初期の「Adobe Illustrator」や「Adobe Photoshop」が設計された時代には、参考になるような大きなアプリケーション群はなかったし、強力なルールもなかったんです。

 当時、スキューモーフィズムはコンピュータを使ったことのない人たちを助けるためのものだったけれど、現代にはそういう人たちはほとんど残っていないと思います。ユーザー・インターフェイスというのは言語であって、2、30年前にはなかった名詞や動詞、文化に対するコンテキストがあるので、それに対応した設計が求められるんです。

ーー若い人はフロッピーディスクを見たことがないけれど、それが保存のアイコンであることは知っているようです。

Shawn:実は、それに関しては我々も何年かテストをしているんですが、「フロッピーディスク」を実世界で見たことがない人ですら、あのアイコンの意味を知っていて、しかも残念ながらそれに取って代わるアイコン(意匠)がいまだに出てきていないんですよね。

 私の友人の子供は机の上のフロッピーディスクを見て、「なぜ“保存アイコン”の3Dプリントを持っているの?」と尋ねたそうです。繰り返しになりますが、これは言語であり、私たちは人々が理解できる言葉や概念でコミュニケーションを取るために、できる限り“発明”をしないように心がけています。

ーーつまり保守的な部分、既存の概念を保ち・守りつつも、かつてはいなかったようなユーザー、つまりこの10年間でぐっと増えたアマチュアのユーザーさんにも開かれた言語であることを両立する必要があったということですね。

Shawn:その通りです。「Spectrum 2」の実装はコンシューマー向けのアプリケーションから手がけているんですが、今後は「Adobe Illustrator」や「Adobe Photoshop」、「Adobe Premiere」といった製品への実装にも挑戦していきたいと思います。

 というのも、この実装を通してわかったことがあります。それはPhotoshopのユーザーがこぞって「良いものにはしてほしいけど、できれば何も変えないで欲しい」と、思っているということです。「900万人を対象としたとき、ディナーに何を頼むのか」というチャレンジにも似ています。

 しかし、これまでに私たちが行ったデザインや試作のいくつかに基づいて考えると、私たちがデスクトップ製品に持ち込もうとしているものに、ユーザーの皆さんはとても興奮してもらえるだろうと思います。私達自身もこれでいいと自信が持てる状態で、かつテストも行った上で出していきたいと思っています。

ーーデザインという言葉は、日本では結構「色や形を変えること」というような意味合いで使われることが多いのですが、本来は“設計(Architect)”というニュアンスを多分に含んだ言葉だと思います。企業やクリエイターはデザインによって製品を強く訴求することができる。こうしたデザインの戦略についてアドビが考えていること、自社の製品をどのように見て欲しいと思っているのか? どこに魅力があってどのように伝えようとしているのか?つまり、“アドビのデザイン”について、改めて教えて欲しいです。

Shawn:まず第1におっしゃる通り、アドビではデザインを問題解決のために使う“ツール”だと考えています。ツールというのはユーザーが直感的に使えるものでなければならず、人々がやろうとしていることを達成できるような道具でなければなりません。そしてそれらの道具がモダンで、使っていて楽しさを感じられるようなものでなければなりません。これは美的な問題です。

 「Spectrum 2」ではこれらの問題を踏まえた調整を行いました。プロフェッショナルの使用に足るものでありながらも親しみやすく、そして使って楽しいものを作ろうと試みています。プロフェッショナルのものだからといって、すべてがシャープで冷たい感じの、合理的な厳しいものばかりでなくてもよいのです。楽しくて、美しく、かつプロフェッショナルユースであることを実現すること、「Spectrum 2」はその一つの答えです。

 私は料理をするのが好きなんですが、そこで使うナイフはソフトウェア・ツールと似たようなものだと思っています。良いツールは美しさと機能性を兼ね備えているもので、料理をしているときに手が伸びるナイフというのは、それを高いレベルで両立しているナイフです。カメラもそういうツールですね。

ーーちょっと別の視点の質問を。現在アドビの数々のプロダクトに生成AIが実装されています。その実装の方法も非常にユニークだと感じました。生成AIをインターフェイスと統合した理由を教えてください。

Shawn:生成AIの統合についてはデザインの話というよりはビジネスの話だと思っていますが、とはいえAIは本当に素晴らしいテクノロジーなので、これを実装しない手はないと思います。多くの製品において確実にこれは人の助けになると思います。

 一方デザイナーとしてはまったく新しい慣例が導入されるため、魅力的な挑戦だと感じています。その中には、“チャット”のように従来からとても馴染みのあるデザインもある一方で、まったく新しいインターフェイスの可能性も見えてきます。たとえば何かタスクを実行したときに必要なインターフェイスリアルタイムで生成されるようなものなど。

 なので、従来のようにパネルがありボタンがあり全部固定されている、というものではなく、もっと動的なインターフェイスを作れると思うんです。これは“Whole new world”です。いまはまったく新しい世界の入口に立ったばかり、これからいろいろ考えなければいけないところですね。

ーー“Whole earth catalog”に生成AIは載っていなかったでしょうしね。

Shawn:その通りです。スキューモーフィズムの例と同じように、人々が知っているアイデアを使うことと、可能性を解き放つような新しいアイデアを生み出すことのバランスが必要なんです。

 AIのための理想的なインターフェイスというのはまだ発明できていないと思いますし、仮に既に発明されているなら、人がまだそれについて行けていない状態ではないかと思います。理解を醸成して、そして共通言語というものを作っていくのには時間がかかりますから。

ーーー最後の質問です。アドビは「Creativity for all:すべての人に『つくる力』を)」というステートメントを掲げ、技術へのアクセシビリティを高めながらその実現を目指している企業だと思います。なぜこのステートメントを掲げているのか? そして、このステートメントが達成された世界はどのような姿をしているのでしょうか?

Shawn:これは明らかに目標への「Journey(旅)」であり、果たしてこれがいつ達成できるのか、そもそも達成できるのかということすらわかりません。しかし、アドビで15年以上働いた経験から、アドビで働く人々は多大な共感を持ち、このステイトメントを使命として受け止めていると感じます。

アドビがこれから目指す方向性についてひとつ言えるとすれば、私たちのソフトウェアはよりシンプルになる必要があります。今、「Adobe Photoshop」や「After Effects」を使おうとすると大きなディスプレイが必要で、そこにはパネルがあってボタンもあちこちにあります。こうしたスタイルに圧倒されてしまうユーザーもいるでしょう。

 本当に幅広い人々に貢献するためにはパワフルでありながらもミニマルにする、そのためにどうすればよいのかを考えるべきだと思っています。これは何年もかかる課題ですが、これまで学習してきたことから一つ言えるのは、とても具体的でピンポイントなニーズを抱えている人に向けて作ったソフトウェアというのは、それ以外の広くたくさんの人にとってもより良いソフトウェアになる、ということです。

(取材・文=白石倖介)

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