テリー M―1と言えば、審査委員長の松本(人志)さんが大変だね。

山田 ねぇ。年明けからいろんなことになっちゃって。

テリー どう思いますか。

山田 何とも言えないですけどね。でも、松ちゃんの性格はわかってるんで。品はいいですよ、松ちゃんって。で、モテモテだから女の子に困ってるっていうこともない。

テリー なるほど。

山田 みんながビックリするような、有名な芸能人ともいっぱい浮名を流しているから、そんな素人さんに下品なことをすることはないと、私は思うんですけど。

テリー でも活動休止しちゃったね。

山田 いいやり方だったと思いますよ。笑えなくなっちゃうからね。楽しいことを担当してるのに、いつもいつも片方でモメ事がついて回るのは、ちょっと気分的にもイヤだったんだろうなと。だから休むっていうふうにしたんだと思いますけどね。

テリー あと俺が思ったのは、多分休むと家で自分が出ていないテレビ見ることになるでしょう。そうすると、また違う発想が出てくるんじゃないかな。レギュラーが7本も8本もあると、どうしても流れ作業みたいになっちゃう。一旦そこから離れるのは悪くないと思うよね。

山田 そうでしょうね。客観的ないろんなことを見たり、考えたりするいい機会になるんじゃないかしら。もう60歳だしね。

テリー その割にいい体してるよね。

山田 すごい作ってますよね。住んでるマンションの下か何かにいいジムがあるみたいで、それがきっかけだったって。私も久しぶりに会った時にあまりにもパンパンだったから聞いたら、そんなようなこと言ってましたね。

テリー でもさ、考えてみると邦ちゃんがデビューした頃と今って、お笑い芸人のステータスが全然違うよね。

山田 すごい大スターみたいな扱いですもんね。私たちの時は、「色もの」とか言われて、歌手の方のオマケみたいな感じで。

テリー 昔は歌手の人たちは「お笑いとカラみたくない」って言ってたもんね。

山田 挨拶に行ったら、「あい」って言われるだけですよ。それがもう「おはようございます」って向こうから言ってきてもらえるんだから。変わりましたよ。

テリー 芸人になりたい人も変わったよね。

山田 いい大学を出てたり、いいところのお坊ちゃんだったり。私も今振り返ってみれば、短大まで出してもらって、ちゃんと建設会社に就職も決まっててね、親の顔に泥を塗ったもんだなと思うけど。スカウトしてもらったら、「ああ、もうデビューできるんだ」と思っちゃって、この世界にもう44年もいますけど。

テリー もうそんなになるんだ。

山田 その中には何人かいますよ。「デビューさせたいんだけど、プロの目で見てどうだろう」って相談されたことが。

テリー あ、そんなのあった?

山田 何回もあります。吉川晃司君とか。

テリー ええっ、「モニカ」が来たの?

山田 まだ「モニカ」でデビューする前ですよ。で、私「うーん、ダメだと思う」って言って。随分後になって、「君にそう言ったことがある。ごめんなさいね」って謝りましたけど。あとは阿部寛君とか。

テリー 阿部寛って、「メンズノンノ」の表紙をずっと飾ってましたよね。

山田 そうです。で、その時も「ちょっと背も大きすぎるし、向かないと思うから、いい大学出てるんだから、ちゃんと就職した方がいい」って本人に言ったの。それも後でちゃんと謝りましたね。

ゲスト:山田邦子やまだ・くにこ)1960年東京都生まれ。1980年、芸能活動開始。1981年、デビュー曲「邦子のかわい子ぶりっ子バスガイド篇)」で全日本有線放送大賞新人賞受賞。「オレたちひょうきん族」「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」(共にフジテレビ)などで人気に。1988年1995年までNHK好きなタレント調査で8年連続1位。2007年、乳がん発覚。2008年、がんに対する知識と理解を呼びかけるチャリティー団体「スター混声合唱団」を設立、団長を務め全国各地にて活動中。2022年より「M-1グランプリ」(朝日放送)の審査員を務める。

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