モーツァルトと同じくらい、日本ではお馴染みの作曲家・ベートーヴェン。誰もが一度は耳にしたことがあるであろう有名曲『エリーゼのために』は石油ファンヒーターの灯油残量をお知らせする音楽にも使われています。『エリーゼのために』に込められたベートーヴェンの恋とは? 著書『生活はクラシック音楽でできている 家電や映画、結婚式まで日常になじんだ名曲』(笠間書院)から、音楽プロデューサーの渋谷ゆう子氏が、名曲に隠された作曲家の人生や時代背景を交えながら解説します。

市井の音楽愛好家から愛されたベートーヴェン

モーツァルトと同じくらい、いやさらに日本人にも馴染みがある作曲家はルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827)でしょう。ライオンヘアーで赤いスカーフを巻き、難しそうな怖い顔をした肖像画を知っている方も多いでしょう。ベートーヴェンのフルネームは知らなくても、「ジャジャジャジャーン」で始まる交響曲第5番ハ短調作品67〈運命〉』の冒頭はほとんどの人が一度は聴いたことがあるという実に有名な作曲家です。

「楽聖」と呼ばれる偉大な作曲家ベートーヴェンは、1770年に今のドイツ・ボンで生まれました。それまでバッハハイドンモーツァルトなどが作ってきた音楽をさらに進化させ発展させた交響曲を作り上げ、その後の音楽の歴史を変えていくほどのパワーがありました。バッハが教会での音楽で、モーツァルトが宮廷での音楽で一時代を築いたのとは違って、ベートーヴェンは当時の市民、音楽を愛する一般社会からも大きく期待され受け入れられた作曲家ともいえます。

当時のハプスブルク家お膝元の首都ウィーンでは、新興市民たちが経済力を持ちはじめ、文化も牽引していました。家庭でも音楽教育が施され、ヴァイオリンやピアノを家族で演奏することもありました。また、ディレッタントと呼ばれるアマチュア演奏家、音楽愛好家たちが集まり、自分たちでオーケストラを作ってベートーヴェンに楽曲の依頼をしたりします。音楽の都となったウィーンでは、それほどまでに市民の音楽文化が発展していました。そのような社会で、ベートーヴェンは音楽愛好家たちからその楽曲を愛され、演奏されていた人気作曲家であったわけです。

それは、あのライオンヘアーからもよくわかります。先述のとおり、バッハモーツァルトらは、当時の礼装として貴族階級のしきたりに沿ったカツラをかぶっていました。でもベートーヴェンはそんな姿ではありません。伸ばしっぱなしの髪を振り乱したような様相で肖像画にされています。貴族としてではなく、市民階層であり、またそんな社会から認められていたということも、ワイルドなその姿から垣間見ることができます。

初演から200年! 2024年は「第九」記念の年

とはいえ、ベートーヴェン恵まれていたとはとてもいえない、辛い人生を送ったのは確かです。20代後半頃にはすでに耳が聞こえにくくなりはじめ、それを苦にして1802年、32歳の時には遺書をしたため、一時は自殺も考えます。それでもベートーヴェンは病をなんとか乗り越えながら作曲を続けます。40歳頃には耳はまったく聞こえなくなっていたといいます。あの有名な「第九」は、耳の聞こえない状態で完成させた曲なのです。

作曲家としての才能だけでなく不屈の精神で生き続けて作り続けた楽聖のことは、今でも世界中で尊敬され、その楽は演奏され続けています。その最期の大作「第九」がウィーンで初演されてから、2024年がちょうど200年の記念の年となり、世界中でその記念のコンサートが企画されています。

いつも失恋してしまうベートーヴェンを暖めて

さて、そんな稀有(けう)な作曲家ベートーヴェンの作品が、日本の家庭でも流されていることにも注目しなければなりません。なんと石油ファンヒーターにその代表曲が使われているのです。ベートーヴェン作曲の美しいピアノの名曲『エリーゼのために』です。この曲は灯油の残りが少なくなったサインで、「灯油が切れそう、もうすぐ火が消えます」とお知らせしてくれます。

エリーゼのために』は美しいピアノ曲として大変有名です。演奏技術的にはそれほど難易度は高くないことから、ピアノのレッスン曲として必ず使われる曲でもあります。学校のピアノでこの曲を披露する生徒の姿を見た記憶がある方もいらっしゃるでしょう。

ベートーヴェンはこの楽曲を、恋した女性に贈りました。エリーゼというのが誰を指しているのか現在も確かにはなっていません。ただ、この恋は実らず、ベートーヴェンの片思いは終わってしまうのです。ベートーヴェンはこの曲以外にも恋した女性に送ったものがいくつか残されていますが、残念ながらどの恋も実ることはなく、生涯独身でした。

こうしたベートーヴェンの恋愛不遇な人生を知った上で、ファンヒーターのお知らせ音楽が鳴ったなら、この曲がもっと切実な訴えをしているような気がしてきます。灯油が切れそう、もう残りは少ないんだ、この部屋はもうすぐ寒くなってしまう、早く僕を暖めて。そう悲しげに訴えるベートーヴェンを想像すると、一刻も早く灯油を追加したくなるに違いありません。  

渋谷 ゆう子

音楽プロデューサー

(※写真はイメージです/PIXTA)